ベトナムと聞くと、多くの人々は活気あふれるホーチミンの街並み、ランタンが美しいホイアンの夜、あるいはハロン湾の幻想的な景色を思い浮かべるかもしれません。しかし、この国の魅力は、そうした華やかな光景だけにとどまりません。その歴史の奥深くには、静かに、しかし力強く現代にメッセージを送り続ける場所が存在します。今回私が訪れたのは、ベト’ナム中部のクアンチ省に位置する町、ケサン。かつてベトナム戦争で最も熾烈な戦いが繰り広げられた、歴史の記憶が色濃く刻まれた大地です。
賑やかな観光地とは一線を画すこの場所への旅は、単なる物見遊山ではありません。それは、過去と向き合い、大地に残された声なき声に耳を澄ませ、そして今ここにある平和の尊さを全身で感じるための、いわば巡礼のような時間です。風が丘を渡り、草木が囁く音だけが響く静寂の中で、私たちは何を思い、何を感じるのでしょうか。今回は、そんなケサンの地が持つ、深く心に響く旅の魅力について、私の体験を交えながらじっくりとお伝えしていきたいと思います。日常の喧騒から離れ、自分自身の内面と深く対話するような、忘れられない旅がここにあります。
ベトナムには、ケサンのような静寂の地だけでなく、霧と棚田が織りなす幻想風景で知られる癒しの旅も待っています。
ケサンとはどのような場所か?歴史の記憶をたどる

ケサンへの旅を語るうえで、まずこの地が歩んできた歴史を知ることは欠かせません。なぜここが、世界史に名を刻むほどの激戦地とならざるをえなかったのか。その背景を理解することで、目の前に広がる穏やかな景色の背後に潜む深い意味を感じ取ることができるでしょう。
ベトナム戦争におけるケサンの重要な役割
ケサンは、ベトナムを南北に分ける軍事境界線(DMZ)の南約20キロメートルの地点に位置しています。さらに西に進むとすぐにラオスとの国境がありました。この地理的な特徴が、ケサンを軍事的に非常に重要な拠点にしています。
当時、北ベトナムは南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)への兵員や物資の供給のため、ラオスとカンボジアの国境沿いに「ホーチミン・ルート」と呼ばれる補給線を設けていました。ケサンは、このホーチミン・ルートを監視し遮断するうえで最適な場所にあったのです。アメリカ軍と南ベトナム軍はここに大規模な基地「ケサン・コンバットベース」を建設し、北からの侵入を防ぐ最前線としました。
そして1968年1月、歴史的な「ケサンの戦い」が勃発します。北ベトナム軍は数万の兵力を投じて、ケサン基地を完全に包囲しました。アメリカ軍は、かつてフランス軍がディエンビエンフーで敗北した悪夢を払拭すべく、空から大規模な爆撃「ナイアガラ作戦」で応戦しました。77日間に及ぶ包囲戦は、両軍に甚大な被害をもたらしました。B-52爆撃機が投下した爆弾の総量は、第二次世界大戦中に日本に投下された原子爆弾の数倍に相当するといわれています。ケサンの地は、文字通り鉄の嵐に見舞われ、草一本残らないほどに破壊され尽くしたのです。この戦いはベトナム戦争の泥沼化を象徴する出来事として、今なお多くの人の記憶に刻まれています。
戦争の傷跡と現代に伝えるメッセージ
ケサンの戦いは最終的にアメリカ軍の勝利という形で幕を閉じましたが、その数カ月後、戦略的価値の後退を理由にアメリカ軍は基地を放棄し、破壊して撤退しました。多くの犠牲を払い守り抜いた拠点をあっさり手放した事実は、戦争の理不尽さを物語っています。
戦争から半世紀近くが経過した現在でも、ケサンの地には戦争の爪痕が色濃く残っています。特に深刻なのが、不発弾(UXO)の問題です。当時投下された大量の爆弾や砲弾のうち、爆発しなかったものが多数土中に埋没し、農作業中などに爆発して住民が命を失ったり重傷を負ったりする事故が絶えません。国際支援団体やベトナム政府が地道に除去活動を続けていますが、すべての不発弾を処理し尽くすためには、まだ多大な時間と労力が必要とされています。
一方で、人々は過去の悲劇に沈むばかりではありません。現在のケサン・コンバットベースは、戦争の惨劇と平和の尊さを次世代に伝える歴史遺産として保存・公開されています。訪れる人々は、錆びた兵器や残された塹壕跡を目にし、この地で何が起きたのかを肌で感じることができます。これは単に過去を忘れないためではなく、歴史の教訓を未来へ生かそうとするベトナムの人々の強い想いの表れです。ケサンは単なる過去の戦場跡ではなく、未来へのメッセージを発信する、生きた博物館といえるでしょう。
静寂の丘へ。ケサン・コンバットベースを訪ねて
フエの街から車で数時間走り、緑あふれる山々を越えて緩やかな丘陵地帯に入ると、目的地の「ケサン・コンバットベース」に到着します。かつて砲弾が飛び交い、兵士たちの怒号や悲鳴が響いていたこの場所は、今では信じがたいほどの静けさに包まれていました。風がさわやかに流れ、遠くで鳥のさえずりが聞こえるなかに立ってみると、時間の感覚がぼやけていくような不思議な感覚に襲われます。
ゲートを抜けて滑走路跡へ
素朴なゲートをくぐると、広大な赤土の大地が広がっています。ここはかつて、輸送機や戦闘機が絶え間なく離着陸していた滑走路の跡地です。現在はその面影も薄れ、所々に雑草が生い茂る広い空き地にしか見えません。しかし目を閉じて想像を膨らませると、轟音とともに離陸していくC-130輸送機や、負傷兵を乗せて急ぎ飛び立つヘリコプターの姿が自然と浮かんできました。
私はゆっくりと滑走路跡を歩きます。足元の赤土は硬く乾いていて、この地がこれまでにどれほどの血と汗と涙を吸い込んできたのか思わずにはいられません。77日間にわたる包囲戦の間、この滑走路は基地の命綱。その上には食料や弾薬、医薬品、そして兵士たちの希望を乗せた飛行機が、北ベトナム軍の激しい砲撃をかいくぐり降り立ちました。ここに立つことで、当時の兵士たちが抱いたであろう空への一縷の望みと、いつ砲弾が降り注ぐかもわからない緊張感を、ほんの少しだけ追体験しているように感じられました。青く澄んだ空と広大な赤土の対比は、あまりにも美しく、同時に深い悲しみを湛えていました。
展示される兵器が伝えるもの
滑走路跡周辺には、当時使われた兵器が屋外展示されています。巨大な砲身を誇るM107自走カノン砲、ずんぐりとした姿が印象的なM48パットン戦車、翼を休めるCH-47チヌーク大型輸送ヘリコプター。赤茶色に錆び付き、塗装が剥がれ落ちたこれらの鉄の塊は、まるで巨大な墓標のように丘の上に静かに佇んでいます。
私は戦車の前に立ち、その厚い装甲をそっと撫でてみました。冷たく硬い鉄の感触が手に伝わり、風雨にさらされざらついた表面からは時の流れが感じられます。この鉄の塊はかつて、大地を揺るがし火を噴き、多くの命を奪い、そして多くの命を守ろうとした存在でした。今は完全に沈黙し動くことのない兵器たちが、その静かな存在感によって、戦争の虚しさや破壊の大きさを雄弁に語りかけてくるようでした。彼らの周囲を様々な角度から見渡すうちに、機能的でありながら無機質な造形に、人間の知恵が生み出した残酷さを改めて胸に刻みました。
特に強く印象に残ったのは、撃墜された米軍ヘリの残骸です。歪んだローターや穴だらけの機体が、激しい戦闘の生々しい跡を伝えてきます。それはもはや単なる兵器ではなく、無数の鉄くずの塊。しかしこの鉄くずの山は、どんな言葉よりも力強く戦争の結末を物語っていました。そこにあるのは勝者も敗者もなく、ただ破壊と喪失のみだと静かに告げているかのようです。
資料館で触れる生々しい記録
敷地内には小さな資料館があり、当時の写真や地図、兵士たちの遺品が展示されています。派手さはありませんが、一つ一つの品物が強いメッセージを秘めています。
壁一面に貼られた白黒写真は、ケサンでの日常と非日常の瞬間を切り取ったものです。塹壕の中で束の間の休息を取る若い兵士たちの疲れた笑顔。砲撃で巻き上がる土ぼこりに不安そうに視線を向ける瞳。故郷の恋人から届いた手紙を読みふける横顔。そこには映画やドキュメンタリーに登場するような「英雄」の姿はありません。ただ極限状態に置かれた生身の人間の素顔がありました。
ガラスケースに収められた遺品の数々も、強く心を打ちます。錆びついた認識票(ドッグタグ)、泥で汚れた水筒、弾丸に貫かれたヘルメット、そして家族に宛てたであろう手紙。文字はかすれ読めない部分も多いものの、そこには故郷への思いと精一杯生き抜きたいという切なる願いが込められていたに違いありません。これらの品々はかつて持ち主が確かに存在し、人生と夢を抱えた一人の人間であったことを静かに物語っています。戦争が奪うのは単なる数字としての命ではなく、一人ひとりのかけがえのない人生そのものなのだという真実が、改めて胸に突き刺さります。
資料館を出ると、再び強い日差しが降り注ぎました。静寂に包まれた丘の上で、私はしばらく動けずにいました。ここで起こった出来事を思い起こし、犠牲となったすべての人々に心の中で静かに祈りを捧げます。ケサン・コンバットベースは単なる観光名所ではなく、過去と対話し、平和の意味を自分自身に問い直すための厳粛な場所だと実感しました。
| 施設名 | ケサン・コンバットベース (Khe Sanh Combat Base) |
|---|---|
| 所在地 | Khe Sanh, Hướng Hóa District, Quảng Trị, Vietnam |
| 営業時間 | おおよそ 7:30~17:00(季節によって変更の可能性あり) |
| 入場料 | 50,000 VND(ベトナムドン、2023年時点の情報) |
| 見どころ | 滑走路跡、屋外展示の戦車・ヘリコプター・大砲、塹壕跡、資料館 |
| 注意事項 | 多くの展示が屋外のため日差しを遮る場所が限られています。帽子や日焼け止め、十分な水分の持参を推奨します。また足元が悪い箇所もあるため、歩きやすい靴で訪れることをおすすめします。 |
山岳民族の暮らしと文化に触れる旅

ケサンの旅は、単に戦争の歴史を辿るだけには終わりません。この地域は、古くから山岳少数民族が生活してきた土地でもあります。彼らの文化や暮らしに触れることは、ケサンという場所が持つ別の顔を知ることを意味し、戦争という大きな歴史の流れの中であっても、人々が日々の営みを続け、文化を息づかせてきた事実を改めて実感させてくれます。
ヴァンキエウ族とパーコー族の集落を訪ねて
ケサン周辺の山岳地帯には、主にヴァンキエウ族やパーコー族などの少数民族が暮らしています。彼らは今も独自の言語や文化、そして伝統的な生活様式を大切に守り続けています。フエやドンハ発のツアーに参加すると、こうした村を訪れる機会が得られることがあります。私が訪れた村も、緑豊かな山間にひっそりと佇み、時間がゆったりと流れるような場所でした。
彼らの住まいは、高床式の伝統家屋で、風通しが良く湿気を避けるための先人の知恵が込められています。軒先にはトウモロコシが干されていたり、庭先ではニワトリがのんびり歩き回っていたりと、どこか懐かしさと穏やかな空気が漂っていました。村の人々は最初やや控えめな印象でしたが、こちらが笑顔で挨拶すると、照れながらも温かい笑顔を返してくれました。
ガイドを介して話を聞くうちに、彼らの生活が自然と密接に結びついていることがよく理解できます。山の恵みに支えられ、焼畑農業や狩猟で暮らしを立てる。その暮らしは決して豊かとは言えませんが、都市生活では感じることが難しい精神的な豊かさや、強いコミュニティの絆を感じ取ることができました。ただ、彼らの生活も戦争の影響からは逃れられませんでした。ホーチミン・ルートが近くを通っていたため、多くの村が爆撃を受け、多くの住民が故郷を去らざるを得なかったのです。厳しい歴史を乗り越え、今なおこの地で伝統を守りつつ生活する人々の姿は、人間のたくましさや生命力の強さを教えてくれます。
ケサンの市場で感じる地元の息吹
旅の楽しみのひとつに、現地市場の訪問があります。ケサンの市場は観光客向けではなく、地元の人々の日常に根ざした活気あふれる場所でした。早朝から開かれる市場には、周辺の村々から山岳民族の人々が自ら育てた野菜や果物、山で採れた恵みを売るために集まっています。
色鮮やかな野菜や見慣れないハーブ、竹筒に詰められたご飯など、並ぶ品々はどれも興味深く、食品商社に勤める私にとっては格別の喜びでした。特に印象に残ったのは、鮮やかな赤色の唐辛子や香り豊かな山胡椒です。この土地の料理がどのようなスパイスで味付けされているのかが垣間見えました。
市場を行き交う人々の表情は生き生きとしており、売り手と買い手が冗談を交わしながら値段交渉をしていたり、女性たちが井戸端で楽しそうに話し込んでいたりと、そこには平穏な日常が息づいています。戦争の記憶が色濃く残るこの土地で、人々が笑い語り合いながら日々の糧を得ている姿は、何よりも尊く力強く感じられました。市場の片隅にある小さな食堂で、一杯のフォーをいただきました。素朴ながらも深い味わいのスープが、歩き疲れた体にじんわりと染み渡ります。その温かい味わいは、この土地の人々の優しさや強さを象徴しているかのようで、忘れがたい一杯となりました。
ケサンへの旅路。フエからのアクセスと心構え
ケサンはベトナムの主要な観光ルートからやや外れた場所に位置しているため、訪問には事前の計画が必要です。しかし、その道中もまた、中部ベトナムの多彩な風景や歴史に触れる貴重な体験となります。ここでは、ケサンへのアクセス方法と旅を楽しむためのポイントをご紹介します。
おすすめの交通手段
多くの旅行者は古都フエやDMZ観光の拠点であるドンハから、日帰りか一泊でケサンを訪れます。主な移動手段は以下の通りです。
ツアー参加: 最も手軽で一般的な方法です。フエやドンハの旅行会社が催行するDMZツアーに参加すると、ケサン・コンバットベースのほか、ヴィンモックトンネルやヒエンルオン橋など、軍事境界線周辺の複数の戦跡を効率よく巡ることが可能です。歴史に詳しいガイドが同行するため、それぞれの場所の意義を深く理解できるのが大きな魅力です。初めて訪れる方には特におすすめの方法です。
プライベートカーのチャーター: グループ旅行や、自分たちのペースでじっくりと見学したい場合は、車とドライバーをチャーターするのも良い選択肢となります。ツアーより費用はかかりますが、時間に融通が利き、興味のある場所に長時間滞在したり、予定外のスポットへ立ち寄ったりもできます。また、途中で気になる風景があれば、車を止めて写真を撮ることも可能です。
バイクでの旅: ベトナム旅行に慣れた冒険好きな方には、バイクをレンタルして自力で向かう方法もあります。自由度は最も高いですが、ベトナムの交通事情は日本とは大きく異なり、道路状況も必ずしも良好とは言えません。フエからの道のりは長く、天候の変化にも柔軟に対応する必要があります。十分な運転技術と準備、自己責任の覚悟が必要なため、上級者向けの選択肢といえるでしょう。
フエからケサンへ向かう道中、窓の外には水田地帯から山岳地帯へと変わっていく美しい田園風景が広がります。単に目的地へ移動するだけでなく、変わりゆく景色を楽しむ時間もケサン旅行の魅力の一つです。
旅の前に知っておきたいポイント
ケサンの旅をより意義あるものにするために、いくつか心に留めておきたい注意点があります。
歴史への敬意: ケサンは単なる観光地ではありません。多数の命が失われ、多くの悲しみが刻まれた場所です。訪れる際には、この地で起こった出来事や犠牲となった方々に対する敬意と追悼の念を持つことが大切です。大声で騒いだり、不謹慎な行動は厳に慎みましょう。
心の準備: ケサン・コンバットベースの展示や資料は、戦争の悲惨さをリアルに伝えています。人によっては精神的に重く感じたり、ショックを受けることもあります。事前にベトナム戦争について少し学んでおくと、現地での理解が深まると同時に、心の準備にも役立つでしょう。
気候と服装: 中部ベトナムは年間を通じて高温多湿ですが、ケサンは標高がやや高いため、朝晩は涼しく感じられることもあります。乾季(2月~8月頃)は日差しが強烈なので、帽子やサングラス、日焼け止めの準備は必須です。雨季(9月~1月頃)は急なスコールの可能性があるため、雨具の用意も忘れずに。遺跡内は歩く距離が長いため、履き慣れた歩きやすい靴をおすすめします。
ガイドの重要性: 可能であれば、現地のガイドを利用することを強く推奨します。彼らは教科書には載っていない、この土地に伝わる生の物語や声を知っています。彼らの解説を聞くことで、錆びた兵器やただの丘が歴史の証人として蘇り、旅の深みが格段に増します。ガイドの存在は、旅をより豊かなものにしてくれるでしょう。
大地に響く声なき声を聞く。ケサンの旅が教えてくれること

ケサンからの帰路、私は車の窓越しに流れていく緑豊かな景色を見つめながら、この旅で得た感覚を繰り返し噛みしめていました。訪れる前には、戦争の悲惨さや歴史の重みの前に圧倒されるのではないかという、少しの不安を抱いていました。しかし、実際にその地に立ってみると、感じたのは単なる悲しみや虚無感だけではありませんでした。
ケサンの丘を渡る風は、思いのほか穏やかに吹いていました。かつて鉄の嵐が荒れ狂った土地は、今や青々とした草木に覆われ、力強い生命の息吹が戻ってきています。それは、どんなに深く刻まれた傷跡も、自然は時間をかけて癒し再生していくという、厳かで美しい真理を静かに示しているかのようでした。そして、市場で出会った人々の無邪気な笑顔。戦争という過酷な歴史を背負いながらも、彼らはしっかりと前を見据え、日常の一瞬一瞬を大切に生き抜いています。その姿は、人間の持つ回復力と未来へ向かう希望そのものを象徴していました。
ケサンの旅は、私たちに静かな問いを投げかけます。歴史とは何か、平和とは何か、そして私たちは未来のために何をなすべきなのか。その答えは、ガイドブックやネットの情報には決して見つけることはできません。静けさに包まれた丘の上に立ち、赤土を踏みしめ、風の音に耳を傾け、自身の五感と心で感じ取ることの中に、その答えのヒントが隠されているのです。
錆びた戦車の前で、国籍も立場も異なる兵士たちがこの空を見上げながらどんな思いを抱いていたのかに思いを馳せる。資料館の写真に写る若き兵士の瞳の中に、自分と似た不安や希望を見つけ出す。そうした体験を通して、遠い過去の出来事が自分自身の物語の続きであることに気づかされます。歴史の事実を知るだけでなく、その場で「感じる」ことこそが、ケサンを訪れる意義の最も深い部分かもしれません。
もしあなたが、忙しい日々に追われて大切なものを見失いかけているなら、または人生の岐路に立ち、自分自身と向き合いたいと願っているなら、ベトナム・ケサンへの旅を検討してみてはいかがでしょうか。そこには、あなたの心を揺さぶり、明日を生きるための新たなエネルギーを授けてくれる、声にならぬ声が響いています。静寂に満ちたこの大地は、訪れるすべての人々をいつでも静かに、深く受け入れてくれることでしょう。

