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    雲南の秘境、沙渓古鎮へ。時が止まる茶馬古道で味わう、一生忘れられない野生キノコ鍋の記憶

    旅の目的地を決める瞬間は、いつも直感に導かれます。地図を眺めている時にふと目に留まった名前、誰かから聞いた遠い街の噂、一枚の写真が呼び起こす抗いがたい郷愁。今回、私の心を捉えて離さなかったのは、中国・雲南省の奥深くに佇む「沙渓古鎮(shā xī gǔ zhèn)」という小さな町の名前でした。

    かつて茶葉と馬が行き交った伝説の交易路「茶馬古道」。その重要な宿場町として栄え、今もなお明清時代の面影を色濃く残す場所。喧騒に満ちた日常から逃れて、ただ静かに時間の流れに身を委ねたい。そんな想いが、私をこの場所へと突き動かしたのです。そして、この旅にはもう一つ、密かな目的がありました。それは、この土地でしか味わえないという、香り高い「野生キノコ鍋」を味わうこと。大地の恵みを丸ごといただくような、その滋味深い味わいを想像するだけで、胸が高鳴りました。

    鮮やかなネオンも、高層ビルもここにはありません。あるのは、悠久の時を刻んできた石畳と、黒瓦の屋根が連なる静かな街並み。これから始まる旅が、きっと特別なものになる。そんな確信を抱きながら、私は沙渓古鎮への一歩を踏み出したのです。

    目次

    時の迷宮、沙渓古鎮の石畳を歩く

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    大理のバスターミナルからバスに揺られること約3時間半。車窓には、近代的な建造物から次第に緑豊かな山々やのどかな田園風景へと変わっていく様子が映ります。そんな景色を楽しみつつ、バスは沙渓古鎮の入口に到着しました。そこに一歩足を踏み入れた途端、空気が一変したのを感じました。ひんやりと澄みわたり、どこか土の香りが漂う。まるで時が巻き戻ったかのような錯覚にとらわれます。

    町の中心へと続く道は、馬の蹄により磨り減った石畳で鈍い輝きを放っていました。両側には、年月を経て飴色に染まった木造の家々が軒を連ねています。壁には漆喰が塗られ、精緻な木彫りの窓枠が美しい陰影を生み出していました。アパレル業界に携わる身として、ついテキスタイルや建築の細部に目が行ってしまいますが、この町の建物のひとつひとつは、それ自体が芸術作品のようです。派手さはないものの、確かな美意識と職人の息遣いが伝わってきます。

    カラカラとキャリーケースを引く音が、この静寂の中では少しだけ場違いに響きました。やはりバックパックにすれば良かったかなと思いながら、予約していた客棧(旅籠)を探しました。沙渓古鎮には、古民家をリノベーションした風情ある宿泊施設が数多くあります。私が選んだのも、中庭を囲むように部屋が並んだ、地域の少数民族である白族の伝統建築様式を残す宿でした。木の扉を開けると、手入れの行き届いた草花が迎えてくれ、長旅の疲れがすっと癒されていくのを感じました。

    荷物を置いた後、すぐにカメラだけを持って町へと繰り出します。町の中心は「寺登街(sì dēng jiē)」、通称「四方街(sì fāng jiē)」と呼ばれる広場です。かつては馬が荷を降ろし、人々が情報を交換し、商売が賑わっていたであろう場所は、今も町の心臓部として息づいています。広場に面してそびえる「興教寺」の荘厳な姿、そしてその向かいには、かつて劇の舞台であった「古戯台」が、過ぎ去った時代の賑わいを記憶しているかのように静かに佇んでいました。

    石段に腰掛けて人々の往来を眺めます。ゆったりとした民族衣装をまとったおばあさんたちが井戸端会議を楽しみ、籠を背負って市場から戻る人々の姿も見えます。観光客もいますが、皆どこかこの町の穏やかな空気に合わせて歩く速度を緩めているように見えました。ここでは誰も急いでいません。時間に追われるのではなく、時間と共に生きている。そんな当たり前でありながら、現代の私たちが忘れかけている感覚を、この町は教えてくれます。

    路地裏へと迷い込むと、より一層ディープな沙渓の日常が垣間見えました。軒先で野菜が干され、藍染の布が風に揺られています。すれ違う子どもたちがにっこり笑い、「你好!」と声をかけてくれました。言葉が通じなくても、その笑顔だけで心が温かくなる。旅先でのこうした何気ない出会いこそが、記憶に深く刻まれる宝物なのだと改めて感じます。一人旅の不安も、いつの間にか優しい期待へと変わっていきました。

    茶馬古道のロマンと大地の香り

    沙渓古鎮の魅力を語る上で欠かせないのが、その歴史的背景である「茶馬古道」です。唐の時代に始まったとされるこの交易路は、雲南の特産品であるお茶をチベットの馬と交換するために開かれました。ヒマラヤの険しい山々を越え、インドやネパールにまで続く壮大な道のりでした。沙渓は、その長く過酷な旅の途中で、キャラバン(馬幇)たちが休息を取り、物資を補給する重要な中継地として機能していたのです。

    町を歩くと、いたるところにその歴史の名残が感じられます。例えば、馬を繋ぐための石杭や、キャラバンのための宿「馬店」の看板、そして四方街の広場もまさに彼らのために設けられた場所でした。ここで集い、酒を酌み交わし、故郷を懐かしみながら、次の旅の安全を祈った男たちの姿が目に浮かびます。

    そんな歴史を噛みしめつつ、私は旅の最大の目的である「野生キノコ鍋」の店を探し始めました。雲南省は世界的に有名なキノコの産地で、とくに6月から9月の雨季には、多種多様な野生キノコが山の恵みとして採れます。私が訪れたのはちょうど8月の終わり、まさにベストシーズンでした。

    宿の主人に尋ねると、「この町ならどこで食べても美味しいよ」と笑顔で話し、評判の良い数軒を教えてくれました。その中で、古戯台のすぐ近くにあるこぢんまりとした食堂に惹かれました。派手な看板はなく、入り口の籠に今朝採れたばかりと見える新鮮なキノコが山積みになっていたのです。それは最高の目印でした。

    店の扉を開けると、土と木が混じったような滋味深い香りが鼻をくすぐります。それはこれまで嗅いだことのない、力強くもどこか懐かしい香りでした。店内は地元の家族連れや旅人で賑わい、テーブルの上では土鍋が蒸気を立てて煮えています。

    「一人です」と告げると、奥の小さなテーブルに案内されました。壁には見たこともないキノコの絵や写真が飾られていて、メニューはあるもののキノコ鍋は「おまかせ」が基本のようです。店主と思われる恰幅の良い男性が現れ、片言の英語と身振りで説明してくれました。「今日は良いキノコがたくさん入っている。鶏の出汁で煮るのが一番だ。辛さはどうする?」と。

    もちろんおまかせでお願いし、辛さは控えめにしました。どんなキノコが出てくるのか、期待が高まります。この瞬間こそ旅の醍醐味であり、ガイドブックには載っていない、その土地の本当の味に出会うための魔法の扉を開けるひとときなのです。

    一期一会の味、野生キノコ鍋との邂逅

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    しばらくすると、大きな盆にのせられた色とりどりのキノコがテーブルに運ばれてきました。その光景を目にして、私は思わず息を呑みました。これは、私が知っている「キノコ」という概念をはるかに超えたものでした。

    鮮やかな黄色が美しい「鶏油菌(jī yóu jūn)」。アンズタケの一種で、その名の通り鶏の油のような香りが漂うそうです。珊瑚のように枝分かれした「掃把菌(sǎo bà jūn)」は、ほうき茸とも呼ばれます。そして、今回の主役ともいえる、雲南が誇る高級キノコ「見手青(jiàn shǒu qīng)」。これはヤマドリタケモドキの仲間で、特徴的なのは手で触れたり傷つけたりすると、その部分が青く変色することからその名が付けられたという点です。日本ではあまり馴染みのないキノコばかりでした。

    店主は一つずつ指差しながら名前を教えてくれましたが、とても一度では覚えきれません。しかし、その表情は誇らしげで、まるで自分の子どもたちを紹介しているかのようでした。彼らにとってキノコは単なる食材ではなく、この土地の自然そのものであり、生活の一部なのです。

    そして、テーブルの中央に、鶏一羽丸ごと入った黄金色のスープが満たされた土鍋が置かれました。地鶏をじっくり煮込んだというそのスープは、それだけでご馳走といえるほど、深く豊かな香りを放っていました。

    「いいかい、キノコを入れたら絶対に20分は触っちゃだめだ。タイマーを置いていくから、鳴るまでじっと待つんだよ」

    店主はそう告げると、慣れた手つきで火の通りにくいキノコから順番に鍋へと入れていきます。そして最後に、特に香りの強い「松茸(sōng róng)」とあの「見手青」を加えて蓋をしました。テーブルの上には砂時計ではなくキッチンタイマーが置かれ、カチ、カチ、と時を刻む音がやけに大きく響きました。

    この「20分」という時間には非常に重要な意味があります。野生のキノコの中には、加熱が不十分だと毒性を残すものがあるのです。特に「見手青」は、しっかり火を通すことが絶対の条件。だからこそ、信頼できる店で専門知識のある人が調理したものをいただくのが何より大切です。自分で採ったり、市場でよく分からないまま買ったりするのは絶対避けるべきだと、この美味しさの背景には自然への敬意と正しい知識が不可欠だと、改めて胸に刻みました。

    待つ20分間は、時にじれったくもあり、また至福のひとときでもありました。鍋の隙間から立ち上る湯気は、少しずつ香りを変えていきます。最初は鶏の出汁の香りが強かったのが、次第にキノコの持つ複雑で芳醇な森の香りが立ち上がってきました。目を閉じれば、雨上がりの湿った土の匂いや、木々の葉が擦れる音までもが聞こえてくるようでした。

    その瞬間、私はふと、この感動を誰かと分かち合いたいと感じました。隣のテーブルから家族の笑い声が聞こえてきて、ほんの少し胸がちくりと痛んだのは気のせいでしょうか。しかし、この味、この香り、この時間を独り占めできるのもまた、一人旅の贅沢なのかもしれません。

    大地の恵みをいただく、その一口の衝撃

    ピピピッとタイマーが鳴り渡り、待ち望んでいた瞬間がついに訪れました。店主がやってきて、にっこりと微笑みながら鍋の蓋を開けると、もわりと立ち上った湯気とともに、大地が凝縮されたかのような香りが一気に空間に広がりました。それはこれまで経験したことのないほど力強く、官能的ですらある香りでした。

    「どうぞ、まずはスープから味わってみてください」

    促されるままに、小さな器にスープを注ぎ、そっと口に運びます。その瞬間、全身の細胞が歓喜に満ちたかのように反応し、衝撃的な美味しさが広がりました。鶏の旨味を土台に、複数のキノコから溶け出した複雑な風味が何層にも重なっています。塩とおそらく少量の香辛料だけ。それだけでありながら、驚くほどの奥深さと重厚感を感じさせました。都会の洗練されたレストランで味わうコンソメとはまるで異なり、野性味と生命力にあふれた味わいです。一口また一口と、レンゲを止めることができません。

    次に、ついにキノコをいただきます。まずは鮮やかな黄色の「鶏油菌」。プリッとした歯ごたえとほのかな甘みが特徴です。続いて、ほうき茸の「掃把菌」はシャキシャキとコリコリした独特の食感でやみつきになります。噛みしめるたびにスープの旨味がじゅわっとあふれてきます。

    そしていよいよ主役の「見手青」。慎重に口に入れると、驚くほど滑らかでクリーミーな舌触りで、上質なバターやフォアグラを思わせます。濃厚な旨味と鼻を抜ける独特の芳香。これがキノコだとは信じがたいほどで、他のキノコとは一線を画す王者の風格を感じました。噂には聞いていましたが、これほどのものとは想像以上でした。

    松茸は言うまでもありません。日本産とは少し香りのニュアンスが異なるようですが、その高貴な香りと歯切れ良い食感は健在です。鍋に入れることで香りがスープ全体に広がり、味わいがさらに格上げされていました。

    夢中で口に運ぶうちに、それぞれのキノコが持つ個性的な食感や味の違いに気づきます。とろりとしたもの、こりこりしたもの、ふわふわとしたものが混ざり合い、まるで口の中で森のオーケストラが壮大なシンフォニーを奏でているかのような感覚です。途中で店主が特製ダレを持ってきてくれました。唐辛子や山椒、香草が入ったもので、これにキノコをつけると味が一変します。ピリリとした刺激がキノコの甘みを一層引き立ててくれました。

    料金は、私が頼んだおまかせコースでおよそ200元(日本円で約4000円)ほどでした。もちろん選ぶキノコの種類や量によって変わります。特に希少なキノコを多く使えば価格は上がりますが、それを踏まえても決して高くありません。むしろ、この感動を味わえることに感謝したい気持ちです。予約は特にしていませんでしたが、ピークシーズンや週末は混雑することもあるそうなので、不安な場合は宿の方に連絡をお願いして、電話で確認したほうが確実でしょう。

    鍋の具をほぼ食べ終えると、締めに麺かご飯を選べます。私は麺を選びました。キノコと鶏の旨味が凝縮された究極のスープを吸った麺は、言うまでもなく絶品。最後の一滴までスープを飲み干し、私はすっかり満たされていました。お腹も心も、大地のエネルギーをたっぷり補給したような、不思議な満足感。これは単なる食事ではなく、ひとつの文化であり自然との対話であり、忘れがたい旅の記憶そのものでした。

    沙渓の穏やかな時間に身を委ねて

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    キノコ鍋に満たされた翌日、特に予定を決めずに気ままに町を散策することにしました。早朝の、観光客がまだ少ない時間帯に歩くのがおすすめです。朝霧が漂う中、石畳の道はしっとりと濡れ、家々の屋根からは白い炊事の煙がゆっくりと上がっています。聞こえてくるのは、鳥のさえずりや遠くで響く鶏の声だけ。この静けさこそが、沙渓の最大の贅沢かもしれません。

    町の端まで歩くと、黒恵江という川にかかる古い石橋「玉津橋」があります。橋の上から見える景色は、水墨画のような幻想的な世界。川沿いの柳が風に揺れ、遠くにはなだらかな山並みが広がっています。かつては馬幇たちもこの橋を渡り、長い旅路へと向かったのでしょう。橋の欄干に腰かけ、しばらく川の流れをただ静かに見つめていました。日々の慌ただしさの中で、こうして心を無にする時間の尊さを改めて実感します。

    陽が高くなると、町は徐々に活気を帯びてきます。毎週金曜日には「金曜市」が開かれ、近隣の村々から民族衣装をまとった人々が集まり、大変な賑わいを見せるそうです。私の滞在はその曜日に合わなかったため見られませんでしたが、その光景を想像するだけで胸が躍ります。旅の計画を立てる際は、この金曜日を狙って訪れるのも良いかもしれません。

    町にはお洒落なカフェや雑貨店も点在しています。古い建物の趣を残しつつ、モダンな感覚で改装された空間は、歩き疲れた時の休憩に最適です。窓際の席に腰掛け、雲南産の香り高いコーヒーを味わいながら旅のノートに想いを綴る。そうした時間もまた、かけがえのないひとときです。Wi-Fiが利用できるカフェも多いため、少しだけデジタルの世界に戻って次の予定を調べたり、家族に連絡したりすることも可能です。

    服装に関してですが、雲南は標高が高いため、夏でも朝晩は肌寒く感じることが多いです。日中は日差しが強いので半袖でも十分ですが、薄手のカーディガンやパーカーなど羽織りやすいものを一枚持っていくと便利です。さらに、山の天気は変わりやすいため、折りたたみ傘やレインウェアを携帯すると安心です。そして何よりも、歩きやすい靴が必要です。石畳の道はヒールの靴ではとても歩けませんから。

    夜は驚くほど静けさに包まれます。店の灯りが消えると、町は深い闇と静寂の中に沈みます。その代わりに、空を見上げれば満天の星が輝きます。天の川がこれほどまでに鮮明に見えるとは、都会では決して味わえない光景で、思わず言葉を失います。宿の中庭で温かいお茶を飲みながら星空を見上げていると、ささやかな悩みなど取るに足らないものに思えてしまうのが不思議です。この景色を目の当たりにすると、人はきっと、もっと大きな流れの中で生かされているのだと感じずにはいられません。

    再び、日常へと続く道

    名残惜しい気持ちを胸に抱きながら、ついに沙渓古鎮を後にする日が訪れました。来たときと同じようにバスに乗り込み、窓の外に広がる黒瓦の屋根の連なりを、いつまでも目で追い続けました。

    沙渓古鎮へのアクセスは決して便利とは言えません。日本からの直行便はもちろんなく、昆明や大理、麗江などの都市を経由する必要があります。そこからさらにバスや車を乗り継いで、ようやく目的地にたどり着くのです。大理からは乗り合いのミニバンやチャーター車を利用する方法もあり、人数が揃えばそちらの方がより早く快適かもしれません。所要時間はおよそ3時間から4時間と見ておくのが良いでしょう。少し手間がかかりますが、その移動もまた旅の醍醐味の一部。だからこそ、到着した瞬間の感動はひとしおなのです。

    今回の旅で味わった野生キノコ鍋の味は、おそらく一生忘れられないでしょう。それは単なる「美味しい」以上のもので、私の旅の思い出と深く結びついた特別な味わいとなりました。あの香り、あの食感、そして店の温かな雰囲気。これらすべてが、五感に強く刻まれています。

    もしあなたが日常の喧騒に少し疲れているのなら。もしまだ誰も知らないような、静かで美しい場所を求めているのなら。そして、もしその土地の本物の味に出会う旅を望んでいるのなら。ぜひあなたの旅リストに「沙渓古鎮」を加えてみてください。

    そこには、過ぎ去った時間へのロマン、大地の恵みが育んだ生命力あふれる味わい、そして何よりも、あなたの心を優しく包み込む穏やかな時が流れています。石畳の道を歩き、満天の星空を仰ぎ、滋味深いキノコ鍋を味わう。ひとつひとつの体験が、あなたの毎日に新しい彩りを添えてくれることでしょう。

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    この記事を書いた人

    アパレル企業で働きながら、長期休暇を使って世界中を旅しています。ファッションやアートの知識を活かして、おしゃれで楽しめる女子旅を提案します。安全情報も発信しているので、安心して旅を楽しんでくださいね!

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