ポルトガルという国を旅するとき、多くの人がリスボンやポルトの華やかな街並みを思い浮かべるかもしれません。しかし、その二大都市のちょうど中間に、時が止まったかのような古都が静かに息づいていることをご存じでしょうか。その名はコインブラ。ポルトガル最古の大学が丘の上に鎮座し、街全体が知性と歴史の香りに包まれた場所です。僕がこの街に強く惹かれたのは、ある一つの音楽が理由でした。それは、リスボンのファドとは似て非なる、この街でしか聴くことのできない「学生ファド」。黒いマントを羽織った現役の大学生たちが、男だけの声とギターで奏でる、切なくも美しい哀愁のメロディです。今宵、あなたをコインブラの石畳の路地裏へ、そして魂を揺さぶる音楽の夜へとご案内しましょう。
ポルトガル旅行を計画するなら、リスボンやポルトとは一味違うコインブラの魅力にもぜひ注目してみてください。
丘の上の大学都市、黄昏に染まる知性の古都

コインブラの朝は、モンデゴ川の静かな水の流れと、丘の上にそびえる大学から響いてくる鐘の音で幕を開けます。リスボンから高速鉄道アルファ・ペンドゥラールを利用すれば約1時間半、ポルトからでもおよそ1時間の距離にあり、アクセスは非常に便利です。日帰りも可能ですが、私に言わせるとこの街の真髄を味わうなら夜の時間が不可欠です。だからこそ、一泊、できれば二泊してじっくりとその空気感を堪能してほしいのです。
昼のコインブラは、知的好奇心と若々しい活気が入り混じる不思議な魅力に満ちています。街の中心に位置するコインブラ大学は、まるで要塞のような落ち着きと威厳をもって丘の上に構えています。中でも世界で最も美しい図書館の一つと称される「ジョアニナ図書館」は見逃せません。扉を開けた瞬間、思わず目を見張るほどの圧倒的な光景。金箔で装飾された豪華さに溢れる内装、天井まで隙間なく並べられた数万冊の古書。革の香りと古紙の匂いが混じる濃厚な空気の中には、何世紀にもわたる知の歴史が息づいているのを感じます。ここはただの観光スポットではなく、今なお研究者たちが活用する生きた学問の場であることに心が引き締まる思いがしました。
大学周辺には、迷路のように入り組んだ急勾配の坂道と石畳の細い路地が広がります。白壁の建物が寄り添い、窓辺には色鮮やかな花々が飾られている光景が続きます。時折、大学の制服である黒いスーツとマントを身にまとった学生が、分厚い本を抱え足早に通り過ぎていきます。こうした光景は、この街が単なる歴史的遺産ではなく、今もなお生き続ける学問の都であることを雄弁に物語っていました。アマゾンのジャングルで道なき道を切り拓いた経験とは異なる、歴史という名の迷宮に足を踏み入れる感覚。これはこれでまた、刺激的で心地よい冒険でした。
日が傾き、街全体が蜂蜜色に染まる頃、コインブラはもうひとつの顔を見せ始めます。モンデゴ川の向こうに夕陽が沈み、石畳が街灯の柔らかな光に濡れると、どこからともなくギターの練習音が聞こえてきます。それは、これから始まる特別な夜への序章。私の胸は期待と少しの緊張感で高鳴りました。今宵、あの黒マントをまとった学生たちが奏でるファドに出会えるのですから。
なぜコインブラのファドは特別なのか?
「ファド」と聞くと、多くの人はリスボンのアルファマ地区にあるファドハウスで、情熱的に歌い上げる女性歌手の姿を思い浮かべるでしょう。私もかつてはそうでした。しかし、コインブラのファドは、その起源もスタイルも全く異なるものです。
コインブラのファドは19世紀にコインブラ大学の学生たちの間から生まれました。彼らが歌う内容は、リスボンのファドがしばしば描く庶民の哀しみや運命(ファドの語源はラテン語のFatum、つまり「運命」)とは少し違います。学生ファドのテーマは主に学生生活そのもの。愛する人との出会いと別れ、故郷への恋しさ、学問への情熱、そして卒業後にこの街を離れなければならないという切なさ。いわば、若者たちの青春のセレナーデと言えるでしょう。
特筆すべき点は、歌い手も演奏者もすべて男性であること。そして彼らは大学の伝統的な黒いマント(Capa)を身にまとってパフォーマンスを行います。このマントは単なる衣装にとどまらず、ギターのボディに裾をかけて音の響きを微妙に調整する役割も果たしています。まるでマント自体が楽器の一部であるかのようで、その姿は厳かであり、どこか儀式的な趣すら感じさせます。
演奏に使われる楽器にも特徴があります。中心となるのは、丸みを帯びた洋梨型のボディを持つ12弦のポルトガルギター(Guitarra Portuguesa)。その澄んだ高音は、まるで涙の粒がこぼれ落ちるように煌びやかで、切なげなメロディを紡ぎ出します。これを支えるのがクラシックギター(Viola)の温かく包み込むような低音の響き。この2本のギターと、バリトンからバスまでの男性歌声だけが、コインブラ・ファドの世界を形作っているのです。
リスボンのファドが魂の叫びとすれば、コインブラのファドは静かな魂の囁きです。その控えめで内省的な音色は、学問の都の静謐な夜にこそ最もふさわしい音楽と言えるでしょう。
伝説の夜への扉、「Fado ao Centro」を訪ねて

コインブラで学生ファドを楽しむ方法はいくつかあります。街の中心部には観光客向けに毎晩ショーを開催しているファド専門のハウスが複数あり、その中でも特に有名で、私が訪れたのは「Fado ao Centro」です。
ここは単なる演奏会場ではなく、ファドの歴史や楽器についての展示スペースも併設し、日中は文化センターとして活用されています。学生や卒業生たちが運営しており、コインブラ・ファドの伝統を正しくかつ情熱を込めて伝えようとする強い意志が感じられる場所です。
予約は必須と考えたほうが無難です。特に観光シーズンは満席になることが多いと聞いています。私は日本にいる間に、彼らの公式サイトから簡単に予約を済ませました。ショーは毎晩18時から約50分間行われ、料金は一人あたり10ユーロほど。さらにショー終了後にはポートワイン一杯のサービスがあり、非常に良心的な価格設定でした。この手軽さも旅行者にとって大きな魅力の一つです。
会場はサンタ・クルス修道院のすぐそば、旧市街の中心部に位置しているため、散策の合間に気軽に立ち寄れます。開演直前に到着すると、すでに石造りの歴史的な建物の前で数名の客が開場を待っていました。国籍はさまざまでしたが、皆が静かな期待感に包まれているのが伝わってきました。
服装については特にドレスコードはなく、昼間の観光と同じくカジュアルな格好で問題ありません。重要なのは音楽に対する敬意の心で、それさえあれば誰でも温かく迎え入れられます。
扉が開いて中に案内されると、そこは小さな礼拝堂のような雰囲気でした。石の壁に囲まれた控えめな部屋には数十脚の椅子が並べられており、ステージと客席の距離が驚くほど近く、手を伸ばせば演奏者に触れられそうな距離感です。この親密さこそが、コインブラ・ファドの体験を特別なものにしているのです。私は一番前の席に腰を下ろし、壁に飾られた歴代の演奏者たちの写真や古いポルトガルギターを眺めながら静かにその瞬間を待ちました。サバイバルゲームで身を潜め、ターゲットを待つときの静けさとは異なる、心地よい緊張感が体を包んでいました。
静寂が音楽に変わる瞬間、サウダージに心を委ねて
やがて部屋の照明が落とされ、完全な静寂が訪れます。司会の男性がポルトガル語と英語でコインブラ・ファドの歴史やマナーを簡潔に説明し始めました。特に印象に残ったのは、「ファドは聴くものではなく、感じるものである(Fado is not to be understood, it is to be felt)」という言葉でした。そして、「演奏中は咳払いも控え、完全な静寂を保ってください。拍手は曲が終わり、歌手が礼をした後にお願いいたします」との注意もありました。その誠実な語り口から、彼らがこの音楽をいかに尊重しているかがひしひしと伝わり、自然と身が引き締まる思いでした。
やがて二人のギタリストと一人の歌手が、黒いマントをなびかせながら登場します。皆、まだ20代前半と思われる若さですが、その表情は真剣そのもので、学生というよりは何かを探求する修行者のような雰囲気を漂わせていました。
一瞬の間があって、ポルトガルギターの奏者が最初の音を奏でた瞬間、空気が震えたかのようでした。ポロン、と響くその音はまるで洞窟の奥に落ちた一滴の水滴のように、静寂の中に深く鮮烈に響き渡ります。これまでに聴いたどの弦楽器の音とも異なり、金属的でありながらも温かみを帯びた不思議な音色でした。
その後、クラシックギターが柔らかな和音を重ね、歌手がゆっくりと歌い始めます。彼の声は若々しいながらも奥行きがあり、哀愁を帯びていました。もちろん、歌詞の意味は全くわかりません。しかし不思議なことに、その歌声は直接感情の波動を心に送り込んできました。
それが、ポルトガルの人々が「サウダージ(Saudade)」と呼ぶ感情です。日本語で一言で表現することは難しいのですが、郷愁や思慕、憧れ、失われたものへの切ない想いが入り混じった、甘くも苦い感情です。彼の歌声には、愛する人への届かない想い、遠く離れた故郷の風景、そして戻ることの叶わない青春の日々への惜別が込められているように感じられました。
曲と曲の合間には、再び完全な静寂が訪れます。誰一人言葉を発さず、物音もたちません。観客全員が息を潜めて次の音を待ち、その静けさが一体感を生み出しているのです。この沈黙こそが、ファドの魅力を一層引き立てる最高のスパイスなのかもしれません。まるでジャングルの夜に感覚を研ぎ澄ませ、かすかな音を聞き分けようとするかのように、私の聴覚は限界まで鋭敏になっていきました。ギターの弦が指に触れるかすかな音、歌手の息遣い、マントが揺れる衣擦れの音さえもが、一つの音楽として耳に入ってくるのです。
約50分の演奏は瞬く間に過ぎ去りました。最後の曲が終わり、歌手が深くお辞儀をすると、これまで抑えられていた熱い拍手が小さなホールに溢れました。私もまるで夢から覚めたように我に返り、夢中で手を叩きました。それは単なる賞賛の拍手以上のもので、素晴らしいひとときと感動を共にできたことへの心からの感謝の表現でした。
ショーの後、隣の部屋ではポートワインが振る舞われました。甘く濃厚なワインを口に含みながら、まだ冷めやらぬ興奮と共に演奏の余韻に浸ります。演奏を終えたばかりの若者たちはマントを脱ぎ、リラックスした表情で観客と言葉を交わしていました。私は少し躊躇いながらも勇気を出して歌手の青年に話しかけました。「素晴らしい演奏でした。歌詞の意味はわからなかったけれど、とても感動しました」と。シャイな私にしては上出来の一言でした。彼は少し恥ずかしそうにしながら、「ありがとう。そう感じてくれたなら、僕たちの想いは伝わったということです」と流暢な英語で返してくれました。
彼らは皆、コインブラ大学で法律や医学、工学などの学びを続けながら、このファドの伝統を継承すべく日々練習に励んでいるそうです。彼らにとってファドは単なる音楽活動ではなく、コインブラの学生であることの誇りそのものなのです。その純粋な情熱に触れ、私は一層心を動かされました。お土産に彼らのCDを一枚買い、サインをもらう。そんな小さな交流もまた、旅の忘れがたい思い出となりました。
コインブラの夜を彷徨う、メロディの記憶と共に

「Fado ao Centro」を後にすると、すでに夜の闇が完全に訪れていました。湿った石畳は、オレンジ色の街灯の光をやわらかく反射しています。昼間の慌ただしさが嘘のように、旧市街の細い路地は静けさに包まれていました。
僕は行き先も定めず、丘の上へ続く坂道をゆっくりと上り始めました。耳の奥には、まだポルトガルギターの切なげな旋律が響き渡っています。頭の中では、あの若者の哀愁漂う歌声が繰り返し流れていました。
ファドの調べは不思議なことに、このコインブラの夜景に自然と溶け込んでいきます。見上げると、ライトアップされた大学の時計塔が暗闇の中、荘厳な姿で浮かび上がっています。眼下にはモンデゴ川の黒い水面が広がり、対岸の街の灯りが静かに揺らめいていました。この地で学び、恋をし、やがてこの町を離れていく若者たちは、代々この同じ光景を見つめながら、深いサウダージを感じてきたのかもしれません。
コインブラのファドは、華やかなエンターテインメントとは異なります。それは、この街の息吹そのもの、歴史そのものが音楽へと昇華したものです。だからこそ、公演が終わった後も、その魔法はいとも簡単には解けません。むしろ、ショーが終わった後の静かな夜の散歩こそが、ファド体験の最高潮とも言えるのではないかと感じました。
旅には様々な形がありますが、その土地の音楽に深く触れる旅は、心に最も強く刻まれます。風景や料理の思い出も素晴らしいものですが、音楽は時間や場所を超越し、その瞬間の感情を鮮やかに呼び起こしてくれます。きっとこれから何年経っても、あの夜に鳴り響いたポルトガルギターの音色を耳にするたびに、コインブラの石畳の匂いや、夜の冷たい空気を思い浮かべることでしょう。
もしあなたがポルトガルを旅する機会に恵まれたなら、ぜひコインブラで一泊してみてください。夜になったら、小さなファドハウスの扉をそっと開けてみてほしいのです。そこには、観光地の賑わいとは無縁の、深く、静謐で、そしてどこまでも美しい音楽の世界が広がっています。黒いマントを纏った学生たちが奏でる哀愁のセレナーデに耳を傾ければ、あなたの旅が忘れがたいメロディとともに、一層豊かなものになるはずです。その旋律は、きっとあなたの心の奥底に眠る、名もなき感情を優しく呼び覚ましてくれるでしょう。

