旅行の計画を立てる際、誰もが同じ宿泊プランを見る時代は、まもなく終わりを告げるかもしれません。世界最大のホテルチェーンであるマリオット・インターナショナルが、AIを活用した新たなパーソナライズ戦略を発表し、旅行業界に大きな変革の波をもたらそうとしています。
AIが創り出す「究極のパーソナライズ」とは
マリオットが導入を発表した新システムは、従来のダイナミック・プライシング(変動料金制)を大きく進化させるものです。これまでの変動料金は、主に予約時期、空室状況、周辺イベントなどの需要予測に基づいていましたが、新システムはそれに加え、顧客一人ひとりのデータを深く分析します。
具体的には、ロイヤルティプログラム「Marriott Bonvoy」で蓄積された膨大なデータ、すなわち過去の宿泊履歴、予約した部屋のタイプ、レストランやスパの利用状況、さらには予約サイトでの行動パターンまでをAIが解析。その結果に基づき、個々の顧客に最適化された料金と、付帯サービスを組み合わせたカスタムパッケージを自動で生成し、提示します。
例えば、過去にリゾート地のホテルでスパを頻繁に利用した顧客には、次の旅行で都市部のホテルを検索した際に「宿泊+スパトリートメント割引」のパッケージが。また、家族旅行でレストラン利用が多い顧客には「朝食・夕食付きのお得なファミリープラン」が、それぞれ異なる価格で提案されるようになります。これは単なる宿泊料金の最適化に留まらず、旅全体の体験をパーソナライズする試みと言えるでしょう。
なぜ今、マリオットはパーソナライズを加速させるのか?
この戦略強化の背景には、ホテル業界が直面するいくつかの重要な課題があります。
OTAとの熾烈な顧客獲得競争
Booking.comやExpediaといったOTA(Online Travel Agent)は、旅行者にとって便利な予約プラットフォームですが、ホテル側はOTA経由の予約に対して15〜25%とも言われる手数料を支払う必要があります。ホテルにとって、顧客に直接自社のウェブサイトやアプリで予約してもらう「直接予約」の比率を高めることは、収益性を改善する上で死活問題です。
マリオットは、AIによるパーソナライズを通じて「公式サイトで予約する方が、自分にとって最も魅力的で価値のあるプランが見つかる」という体験を提供することで、顧客をOTAから自社プラットフォームへと誘導する狙いがあります。
1億9600万人以上の会員データという「宝の山」
マリオットの強みは、その圧倒的な規模にあります。2023年末時点で全世界に8,700軒以上のホテルを展開し、ロイヤルティプログラム「Marriott Bonvoy」の会員数は1億9600万人を超えています。この膨大な会員データこそが、精度の高いパーソナライゼーションを実現するための「宝の山」です。OTAにはない、顧客の宿泊時の詳細な利用履歴を保有している点が、ホテルチェーン独自の強みとなっています。
「自分だけの体験」を求める旅行者の期待
現代の旅行者は、単に宿泊する場所を求めているわけではありません。「自分だけの特別な体験」を重視する、いわゆる「コト消費」へのシフトが顕著です。画一的なパッケージプランではなく、自分の好みやライフスタイルに合った旅の提案を求める声が高まっており、マリオットの今回の戦略は、こうした消費者の期待に応えるものと言えます。
旅行者と業界に訪れる未来
このマリオットの先進的な取り組みは、旅行者とホテル業界全体に大きな影響を与えることが予測されます。
旅行者にとっての光と影
旅行者にとっては、自分の好みに合ったユニークなプランや、これまで気づかなかったホテルの魅力を発見する機会が増えるというメリットがあります。自分にとって不要なサービスが削ぎ落とされた、よりコストパフォーマンスの高いプランに出会える可能性も高まるでしょう。
一方で、料金の透明性については新たな課題が生まれるかもしれません。隣の部屋の宿泊客と自分の宿泊料金が違う、という状況が当たり前になり、「なぜこの価格なのか」が分かりにくくなる可能性があります。また、自分のデータがどのように利用されているのかというプライバシーへの懸念も高まることも考えられます。
ホテル業界の新たなスタンダードへ
マリオットのような巨大チェーンが成功を収めれば、ヒルトンやIHGといった他の大手ホテルチェーンも追随し、AIによる高度なパーソナライゼーションが業界の新たなスタンダードになることは想像に難くありません。これにより、データ活用とテクノロジーへの投資が、ホテル経営における競争力の源泉として、ますます重要になります。
その結果、豊富な資金力とデータを持つ大手チェーンと、そうした投資が難しい独立系ホテルや中小ホテルとの間で、サービスや収益性の格差がさらに拡大する懸念も指摘されています。
まとめ:AIが旅のコンシェルジュになる日
マリオットの今回の発表は、テクノロジーが旅行のあり方を根本から変えようとしていることを示す象徴的な出来事です。将来的には、AIが優秀なコンシェルジュのように、私たちの好みや予算を瞬時に理解し、世界中の選択肢の中から完璧な旅を提案してくれる日が来るのかもしれません。
私たちの旅行計画は、よりスマートで、よりパーソナルなものへと進化していきます。その変化の最前線で、ホテル業界がどのような新しい顧客体験を創造していくのか、今後も目が離せません。

