アリゾナ州の真ん中に、まるで地球の息遣いが聞こえてくるような場所があります。その名はセドナ。空に向かって突き出す赤い巨岩群、渦巻く大地のエネルギー「ボルテックス」、そしてどこまでも青い空。訪れる誰もが、その神秘的な風景に心を奪われる場所です。かつて神社仏閣を巡る旅をしていた私が、今、この聖なる大地に立っている。その事実だけで、胸が高鳴るのを感じていました。けれど、セドナの本当の魅力を知る方法は、展望台から景色を眺めるだけではなかったのです。それは、自らの足で、この赤い大地と一体になること。そう、マウンテンバイクで風を切って駆け抜けることでした。
「マウンテンバイクなんて、体力に自信がないし、なんだか難しそう…」
旅立つ前の私も、そう思っていた一人です。でも、もしあなたが同じように感じているのなら、どうか安心してください。セドナは、驚くほど初心者に優しいマウンテンバイクの楽園だったのです。今回は、運動経験がほとんどない私でも心から楽しめた、セドナの絶景マウンテンバイク体験のすべてをお伝えします。この記事を読み終える頃には、きっとあなたも赤い土の上を走り出したくなっているはずです。
この赤い大地での冒険に続いて、アメリカの大自然を満喫するなら、ヨセミテ国立公園での星空キャンプも一生の思い出になるはずです。
なぜセドナで、マウンテンバイクなのか

セドナの魅力を楽しむ方法は多岐にわたります。ジープツアーで荒野を駆け抜けるのも、ハイキングで聖なる岩に触れるのも素晴らしい体験です。しかし、マウンテンバイクには、他のアクティビティでは味わえない特別な感動が存在しました。
それは、まるで自分が大地の一部と一体化したかのような感覚です。ペダルを踏む足裏に伝わる土の感触、肌を撫でる乾いた風、ジュニパーの木が放つ爽やかな香り、そして目の前に広がる360度のパノラマ。自分自身の力で進むからこそ、セドナの自然が五感すべてに直接呼びかけてくるのです。
車では決して通れない細い小道、いわゆるシングルトラックの先には、息をのむ絶景が待ち受けていることもあります。観光客の喧騒を離れた静けさの中で聞こえてくるのは、自分の鼓動と鳥のさえずり、そしてタイヤが土を掴む音だけ。その瞬間、私は確かにセドナのエネルギーと深く繋がっていると感じました。これは単に景色を「眺める」のではなく、全身で「感じる」旅。マウンテンバイクは、そのための最高の翼となってくれるのです。
「私でもできる?」その不安、ここで解消します
「でも、本当に初心者でも大丈夫?」
もちろん、大丈夫です。なぜなら、セドナは私たち初心者を温かく迎え入れるための環境が完璧に整っているからです。街には経験豊かなバイクショップが複数あり、専門のガイドがそれぞれのレベルに合ったベストなコースへと案内してくれます。
私が訪れたのは、セドナで特に評判の高いバイクショップの一つです。店のドアを開けると、明るいスタッフが「ハロー!」と元気に出迎えてくれました。マウンテンバイクは初めてだと伝えると、彼はにっこり笑って「Welcome to Sedona! それなら素晴らしい体験になるよ」と言ってくれました。その言葉で私の緊張はすっと和らぎました。
スタッフは私たちの身長や手足の長さに合わせて、最適な一台を選んでくれます。サドルの高さはミリ単位で調整し、ブレーキの握り方やギアチェンジの方法まで、まるで初めて自転車に乗る子供に教えるように、丁寧かつ根気強く教えてくれました。ここで大切なのは、怖がらずに何でも質問することです。「こんな基本的なことを聞いたら笑われるかも…」と心配する必要は一切ありません。彼らは私たちが安全に楽しむことだけを何よりも願っています。
そして特に頼もしいのが、ガイド付きツアーの存在です。セドナのトレイルは網目のように広がっており、地図だけで初心者が走り回るのは非常に難しいです。しかし、ガイドがいれば安心です。彼らは瞬時に私たちの体力やスキルを見極め、その日のコンディションに応じて最適なルートを提案してくれます。「この先の坂はちょっときついから、一番軽いギアにしてみて」「このカーブは少し体を傾けるとうまく曲がれるよ」といった的確なアドバイスが、どれほど心強かったことか。
私が選んだのは約3時間の半日プライベートガイドツアーで、料金はバイクレンタルやヘルメット、グローブなどの装備一式込みでおよそ250ドルでした。グループツアーならもっと手頃な料金で参加できるでしょう。最初は少し高いかなと思いましたが、体験を終えた今、断言できます。この料金には最高の思い出と何物にも代えがたい安心感、そして自分自身への自信という、かけがえのない価値が含まれていました。
冒険の始まりはバイクショップから

ツアーの予約は、日本にいる間にショップの公式ウェブサイトから行いました。多くのショップがオンライン予約システムを導入しており、ツアーの種類や時間帯、レンタルしたいバイクのグレードなどを簡単に選択できます。英語が苦手でも、翻訳機能を活用すれば、それほど難しくありません。どうしても心配な場合は、メールで問い合わせてみるのもおすすめです。セドナの温かいホスピタリティは、メールのやり取りからも感じられます。
ツアー当日の朝、指定された時間にショップへ向かうと、名前を伝えるだけですでに準備が整っていました。昨日フィッティングしたマウンテンバイクは、ピカピカに磨かれて私を待っていました。まるで自分専用の相棒ができたような気分で、少し誇らしい気持ちになりました。
服装は動きやすければ自由です。私はTシャツの下にサイクリング用のパッド付きインナーを着て、その上から動きやすいショートパンツを履きました。靴は、底が平らで滑りにくいスニーカーが理想的です。ペダルをしっかりと踏み込めるタイプを選びましょう。サンダルやヒールのある靴は避けてくださいね。
ガイドのジョンがその日のスケジュールを説明してくれました。「まずは簡単な練習から始めよう。それから、ベルロックの麓をめぐる、絶景が広がるトレイルへ行くよ。準備はいいかい?」彼の笑顔を見て、私の冒険心は一気に高まりました。
ショップの裏手にある広い駐車場で、基本的な操作の練習がスタート。まっすぐ走る、止まる、曲がる。そして、マウンテンバイク特有の「スタンディング」という、サドルからお尻を浮かせてバランスをとる姿勢。最初は少しふらつきましたが、ジョンの「目線は遠くを見て!」というアドバイスに従うと、不思議と安定感が増して面白かったです。たった15分ほどの練習で、私は相棒のバイクとすっかり打ち解けました。
忘れ物はない?旅の必需品
トレイルに出る前に、最後のチェックです。ジョンが私のバックパックの中を一通り確認しました。
- 十分な水分: 何よりも重要です。乾燥したアリゾナの気候では、予想以上に体から水分が失われます。私は1.5リットルの水が入るハイドレーションパックを用意しましたが、ペットボトルでも問題ありません。最低でも1リットルは持参しましょう。
- 日焼け止めとサングラス: セドナの太陽は非常に強烈です。肌を守るための日焼け止めと、紫外線や砂埃から目を守るサングラスは必ず携帯してください。
- エネルギー補給用の食べ物: ナッツやエナジーバーなど、手軽にカロリー補給できるものがあると安心です。ペダルを漕ぐのには思ったよりもエネルギーを使いますから。
- スマートフォン: 写真撮影はもちろん、万一の連絡手段としても持っておくと安心です。ただし、トレイルの多くは電波が届かない場所もあることを覚えておきましょう。
「パーフェクト!」ジョンの合図で、私たちはいよいよ赤い大地を駆け抜け始めました。
いざ、レッドロックの絶景トレイルへ
ショップからトレイルの入口までは車でわずか数分の距離です。車を停めてバイクを下ろすと、空気の質が一変したのを感じました。街の喧騒は遠ざかり、静けさの中で風の音と自分の呼吸だけが聞こえてきます。目の前にはセドナの象徴ともいえるベルロック(Bell Rock)とコートハウスビュート(Courthouse Butte)が、圧倒的な存在感でそびえ立っていました。
ベルロック・パスウェイ:大地とつながるひととき
最初に挑戦したのは「ベルロック・パスウェイ(Bell Rock Pathway)」という、比較的平坦で広く走りやすいトレイル。初心者にとってはまさに最適なコースです。
ジョンを先頭に、ゆっくりとペダルを漕ぎ始めると、ガタガタという振動が心地よく感じられました。最初は少し緊張してハンドルを強く握っていましたが、数分走るうちに自然と肩の力が抜けていきました。
「すごい…」
思わず漏れた声。右手には鐘の形に似たベルロック、左手には裁判所のように堂々としたコートハウスビュート。その巨岩たちの間を自転車で走るなんて、信じられない景色です。まるで写真で見ていた風景の中に自分が溶け込んでいくような不思議な感覚に包まれました。
道は赤土でしっかり固められていて、とても走りやすい状態です。時折小さな石が転がっていますが、ジョンは「石は避けるのではなく、乗り越えるイメージで!」とアドバイスしてくれます。恐る恐る挑戦してみると、バイクのサスペンションが衝撃をやわらげてくれて、思った以上にスムーズにクリアできました。なるほど、これがマウンテンバイクの力なのだと感動しました。
トレイルの脇には低木や逞しいユッカの姿があり、時折かわいらしい花も目に入ります。ジョンは時折バイクを停めて植物の名前を教えてくれました。「これはジュニパー。セドナの浄化のエネルギーを持つ木なんだよ」「あっちに見えるのはアガベ。テキーラの原料になる植物だよ」そんな話を聞きながら進むうちに、ただの景色が意味のある物語となって心に刻まれていきました。
約30分ほど走ったところで、少し開けた場所にて休憩。バイクを停め水分をとると、乾いた喉にじんわりと沁み渡ります。ここまで走ってきた道を振り返ると、自分たちが描いた一本の轍が鮮明に見えました。自分の力でここまで来たのだと実感し、達成感がじわりと込み上げてきました。
チャックワゴン・トレイル:勇気を少し出す冒険
「ちょっとだけチャレンジしてみるかい?」
ジョンがいたずらっぽく笑みを浮かべます。断る理由などありません。次に向かったのは「チャックワゴン・トレイル(Chuck Wagon Trail)」の一部。先ほどのパスウェイよりも道幅は狭く、起伏も少し増しました。
シングルトラックに入ると、冒険心が一気に高まります。道は曲がりくねり、視界がどんどん変化していきました。目の前に小さな下り坂が現れると、思わずブレーキに手を掛けそうになりますが、ジョンから指示が飛びました。「ブレーキは優しく!サドルからお尻を浮かせて、体を後ろに倒して!」。
指示通りに動いてみると、バイクは想像以上に安定して坂を下っていきます。怖さが楽しさに変わる瞬間でした。小さな成功体験が次第に自信を培ってくれます。
このトレイルの見どころは、ドライクリーク(乾いた川床)を横断する場所です。普段は水が流れていない川底は砂や丸い石で満たされています。少し躊躇しましたが、「勢いを止めず、まっすぐ進むんだ!」というジョンの言葉を信じてペダルを力強く踏み込みました。タイヤが砂をかくザザザッという音とともに見事クリア。思わずガッツポーズが自然と出てしまいました。
このように、ガイドのジョンは常に私の少し先にある「できる」を引き出してくれます。決して無理強いはせず、しかし私の可能性を信じてくれる存在。彼がいなければ、この楽しさの半分も味わえなかったかもしれません。
ペダルを止めた先にある、セドナの素顔

マウンテンバイクの魅力は、走行中の爽快感だけにとどまりません。ふとペダルを止めて静けさの中で景色と向き合うその時間こそ、この旅の本質なのかもしれないと、私は感じました。
チャックワゴン・トレイルの途中で、ジョンが「特別な場所があるんだ」と言って脇道に入っていきました。数分進むと、突然視界が開け、息をのむような絶景が目の前に広がっていました。
眼下には緑の木々が点在する赤土の大地が広がり、その向こうにはカセドラルロック(Cathedral Rock)やサンダーマウンテン(Thunder Mountain)など、セドナを象徴する岩山が屏風のように連なっています。観光客の姿は一切なく、耳に入るのは風の音だけでした。
私たちは岩の上に腰を下ろし、持参したナッツを口にしながら、言葉も交わさず景色を眺めていました。太陽の光を浴びて瞬く間に表情を変えるレッドロック。この何億年もの時をかけて形作られた自然の芸術を前にすると、自分の悩みなどどれほど小さなものかと思い知らされます。
「セドナのエネルギーを感じるかい?」
静けさを破って、ジョンがそう言いました。ボルテックスと呼ばれる、地球のエネルギーが渦巻く場所。セドナにはそんなパワースポットが点在しています。科学的な根拠ははっきりしませんが、この場所にいると心がすっと落ち着き、内側から力が湧き上がってくるような不思議な感覚に包まれるのは間違いありませんでした。
忙しい日々から離れ、ただひたすらに大自然と向き合う時間。マウンテンバイクは、そんな贅沢なひとときをもたらしてくれました。車では決してたどり着けないこの場所の記憶は、きっと一生消えることはないでしょう。
最高の疲労感と、セドナのランチ
約3時間のツアーは、あっという間に終了の時を迎えました。ショップに戻ったとき、体は心地よい疲労に包まれていました。汗をかき、心から笑い、少しだけ勇気を振り絞り、そして美しい景色に感動する。体も心もフルに使った、素晴らしい時間でした。
ジョンとしっかり握手を交わし、感謝の気持ちを伝えます。「いつでも戻ってきてね。次はもっとワクワクするトレイルに案内するよ」と彼は言い、私は「必ずまた来ます」と約束しました。
シャワーを浴びて着替えた後、お腹がペコペコでした。運動後の食事は、世界で一番美味しいごちそうです。セドナのアップタウンには、魅力的なカフェやレストランが数多く点在しています。私は、オーガニック素材を使ったヘルシーなブリトーが評判のカフェを選びました。テラス席に腰を下ろし、レッドロックを眺めながら味わうランチは格別でした。ブリトーを口に運びながら、今日の冒険を振り返ります。タイヤの感触、風の香り、ジョンの笑顔、そしてあの壮大な絶景。すべてが輝く思い出として鮮やかに蘇ってきます。
このさわやかな疲労感と満腹感こそが、旅の醍醐味。ただ観光地を巡るだけでは味わえない、深い満足感がここにありました。
さあ、あなたも赤い大地へ

セドナでのマウンテンバイク体験は、単なるアクティビティ以上のものでした。それは、自分の中にある「できない」という壁を打ち破り、「やってみよう」という一歩を踏み出す勇気を与えてくれた、かけがえのない経験です。
もしあなたがセドナへの旅を考えているなら、また何か新しいことに挑戦したいと思っているなら、ぜひマウンテンバイクを選択肢に加えてみてください。
セドナのバイクショップのウェブサイトをチェックすれば、初心者向けのガイド付きツアーや技術向上のためのクリニックなど、多彩なプログラムが見つかるでしょう。予約も簡単で、必要なのは少しの好奇心と勇気だけです。
ヘルメットを装着し、ペダルに足をかけると、そこから先は未知の新しい世界が広がっています。赤い土の道を疾走するとき、これまで味わったことのない自由や、大地と一体になる喜びを感じるはずです。そしてセドナという場所が、なぜ多くの人を惹きつけてやまないのか、その理由を体全体で実感できるでしょう。
雄大なレッドロックの景色を背景に、セドナは今日も静かに新たな冒険者の到来を待ち続けています。あなたもその一人になってみませんか?

