真の豊かさとは、一体何なのでしょうか。高級時計の輝きでしょうか。高層ビルから見下ろす夜景でしょうか。それとも、SNSで誇る華やかな体験の数々でしょうか。現代社会を生きる私たちは、時にその答えを見失いがちです。私、Markもその一人でした。アマゾンの奥地で極限状況を生き抜き、サバイバルゲームでは百戦錬磨の自信がありました。しかし、私の心はどこか渇いていたのです。そんな私が、シリア南部の小さな町、イズラで出会ったのは、物質的な指標では決して測ることのできない、魂の奥深くまで染み渡るような温もりでした。そこには、忘れかけていた人間本来の繋がりと、心の豊かさがありました。この記事は、喧騒から離れた古の地で私が見つけた、もう一つの世界の物語です。まずは、その物語の舞台となったイズラの場所を、心に留めてみてください。
この魂の旅路は、中東の聖地で祈りが響き合う旅へと続いていきます。
古代の記憶が息づく町、イズラへ

シリアと聞くと、多くの人は悲惨なニュースや緊迫した状況を思い浮かべることが多いでしょう。しかし、その裏側には何千年もの歴史と文化が息づく、驚くほど豊かな土地が広がっています。私が訪れたイズラは、首都ダマスカスから南へ車で数時間の距離にあるホウラーン平原の小さな町です。この地は古代ローマ時代から交通の要衝として発展し、肥沃な火山性土壌に支えられた肥沃な穀倉地帯としてもよく知られてきました。町の空気は、乾いた砂の匂いと、長い年月をかけて積み重ねられてきた人々の営みの香りが混ざり合っているかのように感じられます。
イズラの街並みは華美なものとは程遠く、土埃をかぶったようなベージュ色の建物が連なっています。その多くは地元産の黒い玄武岩で造られており、まるで大地からそのまま生えてきたかのような素朴で力強い印象を与えます。近代的なビルや派手な看板は一切見られません。その代わりに、狭い路地を駆け回る子どもたちの笑い声や、日陰でチャイを飲みながら談笑する老人たちの穏やかな時間、時折響くモスクのアザーン(礼拝の呼びかけ)が、町の暮らしに彩りを添えています。そこには、時間がゆったりと、しかし確実に流れていることが感じられる独特のリズムがありました。
この町の歴史は非常に古く、キリスト教の初期にまで遡ります。特に有名なのは、現存する教会として世界最古の一つとされる聖ジョージ教会です。ローマ時代の異教の神殿跡に建てられたこの教会は、イズラの歴史の深さを象徴し、多くの巡礼者や歴史愛好家が訪れる聖地となっています。しかしイズラの魅力は、歴史的建造物だけに留まりません。真の宝は、この地に根差して暮らす人々の心に宿っているのです。
私がイズラに足を踏み入れた際、最初に感じたのは、静けさとともにどこか懐かしさを感じさせる安心感でした。それは、近代化の波にのみ込まれることなく、古くからの共同体が大切に守り続けてきたからかもしれません。人々は互いに顔なじみで、すれ違うと自然と挨拶を交わします。その眼差しは、見知らぬ異邦人である私に対しても、好奇心と共に警戒心のない温かさを湛えていました。サバイバルゲームで常に周囲を見張り、敵味方を瞬時に見分ける習慣が身についていた私にとって、その無防備ともいえる視線は、ジャングルの奥地で清らかな泉を見つけたような衝撃的な安らぎをもたらしてくれたのです。この町での時間が、私の固く閉ざされた心の扉を少しずつ開いていく予感がしたのを、今でもはっきりと思い出します。
言葉を超えた心と心の対話
旅先での出会いは、いつも一期一会のものです。しかし、イズラでの出会いは私の人生観を根底から揺るがすほどに深く、そして温かいものでした。それは、ある日の昼下がりに町の中心部から少し離れた道を一人で歩いていたときのことでした。地図アプリが圏外になり、自分の現在地がまったくわからなくなってしまいました。照りつける灼熱の太陽の下、額からは汗が流れ落ち、焦りと不安が胸をよぎります。そんな時、ふと視線を感じてそちらを見ると、一人の老人が自宅の戸口の日陰に置かれた椅子に腰掛け、静かに私を見つめているのに気づきました。
彼の顔は深く刻まれた皺と白い髭で飾られ、まるで旧約聖書から抜け出してきた預言者のような風格がありました。目が合うと、老人はにっこりと微笑み、手招きをしてきます。言葉は全く通じません。私は恐る恐る近づき、拙いジェスチャーで道に迷ったことを伝えようとしました。すると、老人は私の言葉を理解しようとするより先に「ターラ(来なさい)」と言うような仕草で、再び家の中へと手招きしたのです。
内気な性格の私は一瞬ためらいました。見知らぬ家にこんなにも簡単に入って良いものだろうかと。しかし、彼の目に宿る一点の曇りもない優しさが、私の警戒心を溶かしました。誘われるままに薄暗い家の中に入ると、ひんやりとした空気が火照った体をやさしく包み込みました。土壁の家は質素ながらも清潔に保たれており、壁には家族の写真が飾られていました。ほどなくして奥から彼の妻と見受けられる女性が現れ、驚いた表情を浮かべましたが、夫の様子を見てすぐに察したのか、温かい笑顔で私を迎えてくれました。
椅子に座るよう促されてしばらくすると、甘くスパイシーな香りが漂ってきました。女性が運んできてくれたのは、小さなガラスのコップに注がれた熱いチャイ(紅茶)でした。ミントの葉が浮かぶそのチャイは、驚くほど甘く、旅の疲れがスッと溶けていくような味わいでした。一杯飲み干すと、すぐにまた新しい一杯が注がれます。断るのは失礼にあたるという文化をどこかで聞いていたため、ありがたく頂きました。言葉を交わさなくとも、沈黙はまったく気になりませんでした。老人と私は時折見つめ合い、微笑み合うだけ。しかしその静かな時間の中には、何百もの言葉に勝るコミュニケーションが確かに存在していたのです。
やがて、学校から帰ってきたと思われる孫たちが、珍しい外国人の訪問者に興味津々で集まってきました。最初は遠巻きに見ていた子供たちも、私がカメラを取り出して撮った写真を見せると、歓声を上げて笑いながら私の周りに群がりました。私はリュックから日本から持ってきた小さなキーホルダーを取り出し、子供たちにプレゼントしました。彼らはまるで宝物を見つけたかのように目を輝かせ、何度も「シュクラン(ありがとう)」と繰り返して言うのです。
夕食の時間が近づくと、奥さんは「ここにいて」という身振りで私を引き止め、家族の食事に招いてくれました。テーブルに並んでいたのは、フムス(ひよこ豆のペースト)、焼きたてのホブズ(平たいパン)、そして羊肉と野菜の煮込み料理。どれも素朴ながら、たっぷりの愛情が込められており、忘れがたい味でした。家族全員が食卓を囲み、アラビア語の会話で賑わっています。その輪の中に、言葉もわからない私が一人混じっているというのは不思議な光景でしたが、疎外感はまったくありませんでした。むしろ、この家族の一員になったかのような温かい一体感に包まれていました。
食事が終わると、家の主である老人の息子が少しだけ話せる英語で、私の帰り道を教えてくれると言ってくれました。彼が運転する古いバイクの後ろに乗り、町の中心部まで送ってもらう途中、私は何度も心の中で感謝の念を繰り返しました。彼らは私に単なる道案内以上のものを与えてくれました。それは見返りを求めない無償の親切、人を信じる心、そして家族の温もりです。アマゾンのジャングルでは、一瞬の油断が命取りになります。常に神経が尖り、他人を信じることはリスクでしかありませんでした。しかし、このイズラの家族は、そんな私の価値観をあっさりと覆してしまったのです。言葉が通じなくとも、文化が違っても、心は通じ合える。この日の体験は私の魂に深く刻まれ、旅の意味を新たに定義するものとなりました。
歴史の証人、聖ジョージ教会を訪ねて

イズラで過ごした日々は、人々の温もりを感じるだけでなく、この地に息づく豊かな歴史の深さを体感する旅でもありました。その中心に位置するのが、町の誇りともいえる聖ジョージ教会(Saint George’s Cathedral)です。この教会は単なる宗教施設ではなく、何世紀にもわたる時代の変遷を見守り、多様な文化の交差点として今も存在し続ける、生きた歴史の証人なのです。
町の中心部にある教会へと続く道は、まるで時代を遡るかのような趣がありました。舗装された近代的な道はなく、踏み固められた土の小径が伸びています。教会の姿が見えてくると、その堂々たる佇まいと、周囲の素朴な家々との調和に心を奪われました。黒い玄武岩を積み上げて造られた壁は、長い年月の風霜に耐えながら、重厚な存在感を放っています。伝えられるところによれば、西暦515年に、ローマ時代の異教の神殿の基礎に建てられたとされ、キリスト教のまだ若い時代から、この場所は祈りの場として守られてきました。
建築様式は初期ビザンティンの典型であるバシリカ形式で、中央には八角形のドームがそびえています。このドームはシリアの教会建築の中でも最古級とされ、その構造の美しさは見る者を圧倒します。館内に一歩足を踏み入れると、外の灼熱の陽射しが嘘のように、静謐でひんやりとした空気に包まれていました。高い天井から差し込む柔らかな光が、内部に神秘的な陰影を映し出しています。装飾は派手さを控え、むしろ石材の質感や幾何学的な構造そのものが、荘厳な美しさを醸し出しているのです。
壁面には長い時の流れで色あせたものの、かつて描かれていたであろうフレスコ画の跡がうかがえます。私は静かにベンチに腰掛け、目を閉じました。聞こえてきたのは、自分の呼吸音と、時折どこからか響く鳩の鳴き声のみ。この場所でどれだけ多くの人々が祈りを捧げ、喜びや悲しみを分かち合い、そして希望を見いだしてきたのだろうか。異なる時代や言語、文化を持つ人々が、この同じ空間で目に見えない大いなる存在と対話し続けてきたのだと想像すると、胸に深い感動が湧き上がりました。
この教会が特別なのは、キリスト教徒だけでなくイスラム教徒の住民からも敬意を集めていることです。イズラの町では、さまざまな宗教を信じる人々が互いの存在を尊重し、穏やかに共生しています。教会はキリスト教徒の祈りの場であると同時に、町全体の歴史的遺産として広く大切にされているのです。私が訪れたときも、ムスリムと思しき家族連れが子どもに教会の歴史を語る様子を目にしました。その姿は、宗教の違いが対立を生みやすい現代において、一筋の光のように感じられました。
聖ジョージ教会は、ドラゴンスレイヤー(竜退治)の伝説で知られる聖ゲオルギオスに捧げられています。彼は悪を打ち砕く勇気と正義の象徴です。この教会が長い歴史の中で数多の困難を乗り越え、現代までその姿を保っているのは、まるで聖ゲオルギオスの不屈の精神が宿っているかのように思えました。過酷な状況では自らの力のみが頼りでしたが、この教会で強く感じたのは、個人の力を超えた信仰や共同体による力の存在でした。それは何世代にもわたり積み重ねられてきた祈りの結晶であり、人々が苦難の時代を共に乗り越えてきた絆の証でもあるのです。
| スポット情報 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | 聖ジョージ教会 (Saint George’s Cathedral) |
| 所在地 | シリア ダルアー県 イズラ |
| 建立 | 伝承によると西暦515年 |
| 建築様式 | 初期ビザンティン様式(バシリカ式) |
| 特徴 | 現存する最古級の教会建築の一つ。黒い玄武岩を用いた重厚な構造と八角形のドームが目を引く。ローマ時代の神殿跡の上に建てられたと伝えられる。 |
| 見どころ | 建築そのものの造形美、静かな堂内の雰囲気、歴史の重みが感じられる石壁。多様な宗教が共存する町の象徴的存在でもある。 |
この教会の訪問体験は、単なる観光以上のものでした。時間と空間を超え、人類が織りなしてきた祈りの歴史に触れる、精神的な旅でもありました。石の一つひとつが語りかけるような静かな対話の時間。イズラという町の魂の奥深くにふれる、忘れがたいひとときとなりました。
喧騒の観光地と静寂のイズラ:心の交流を巡る対比
これまで私は、世界各地を旅してきました。ヨーロッパの華やかな大都市から、東南アジアの活気あふれるビーチリゾートまで、その土地ごとに独自の魅力があり、心に残る思い出が数多くあります。ですが、イズラでの体験はそれらとはまったく異なる次元で、私の心に深く刻まれました。それは、「観光」と「交流」の根本的な違いを教えてくれたからです。
例えば、フランスのパリを訪れたとき。シャンゼリゼ通りを歩けば、洗練されたファッションに身を包んだ人々が行き交い、カフェのテラスでは皆がエスプレッソを手に哲学的な会話をしているように見えます。美しい街並み、世界的に名高い美術館、そして絶品のグルメ。すべてが完璧に演出された「観光体験」として成立しています。しかし、その華やかさの陰で、私はどこか隔たりのようなものを感じていました。カフェのウェイターはプロの笑顔でサービスをしてくれますが、それはあくまで店員と客としての関係に基づいています。道端で微笑みかけても、怪訝な顔をされたり無視されたりすることがほとんどでした。そこには美しさはあれど、魂が触れ合うような温もりは見つけにくかったのです。誰もがそれぞれの世界に没頭し、異邦人である私には入り込む隙間がほとんど感じられませんでした。
一方、タイのバンコクではどうでしょうか。カオサン通りに足を踏み入れれば、まさにエネルギーの渦が待ち受けています。「ハロー!マイフレンド!」と陽気に話しかけるトゥクトゥクの運転手や、腕にミサンガを巻こうとする露店の人々。現地の人々はフレンドリーで明るいものの、その多くの笑顔は私の財布を狙っていると感じずにはいられません。彼らの親しみやすさは、観光客をもてなすための「技術」であり、ビジネスの一環です。もちろん中には純粋な親切から接してくれる人もいるでしょう。しかし商業的な視点を通すと、本心と商売の境界が曖昧になり、真意を見抜くのは難しいと感じました。こうした交流は刺激的ではありますが、心の深い安らぎを得られるものではありませんでした。
これらの経験と、イズラで過ごした日々を比較すると、違いは鮮明すぎるほど明白です。イズラには観光客向けのレストランや土産物店、派手なアトラクションは存在しません。人々は私を「観光客」ではなく、一人の「旅人」、ひとりの「人間」として見てくれました。迷子になった私を自宅に招き、チャイや食事でもてなしてくれた家族は、何かを得ようとする気配は全くありませんでした。彼らのもてなしは、まるで聖書に記された「旅人を迎え入れる」という古くからの教えが今なお息づいているかのようでした。そこには、金銭的報酬を一切求めない純粋なホスピタリティがありました。
イズラの子どもたちの笑顔には一切の偽りがありません。彼らの好奇心は「未知の旅人である私」という存在そのものに向けられていました。私の持つカメラや話す言葉、肌の色すべてが彼らにとって新鮮な驚きであり、その興味を隠すこともありませんでした。一緒にボールを蹴ったり、言葉が通じなくてもジェスチャーで笑い合ったりと、そこには国籍や年齢を超えた人間同士の根源的なつながりがあったのです。
商業化された観光地では、私たちはしばしば「消費者」としての役割を期待されます。お金を払ってサービスや体験を購入し、その対価として満足感を得る。これは一つの旅の形ですが、人間関係に必ずお金が介在します。しかしイズラでは、私は消費者ではありませんでした。招かれた「ゲスト」であり、時には「友人」でもありました。彼らが私にくれたのは、お金では買えない時間、信頼、そして温かさでした。私が返せたのは、心からの「シュクラン(ありがとう)」という言葉と、笑顔だけでした。
この対比を通じて、私は真の異文化交流とは何かを学んだ気がします。それは有名観光地を巡ることや現地の珍しい料理を味わうことではありません。その土地の人々の日常に少しだけ触れ、彼らの価値観や暮らしに敬意を払って心を開き対話することです。言葉が通じなくても、笑顔や親切は世界共通の言語。イズラの人々は、その最もシンプルでありながら力強い真実を身をもって示してくれました。この経験は、私の旅のスタイルだけでなく、人と向き合う姿勢そのものを見つめ直す貴重な機会となりました。
サバイバルの果てに見つけた「強さ」の本質

私はこれまで、自分を「強い」人間だと思い込んでいました。サバイバルゲームでは、地形を把握し、敵の動きを予測しながら冷静に状況を打開することに長けています。アマゾンのジャングルへ単独で踏み入れた際も、食料を確保し、危険な動物から自分を守り、数週間を生き延びました。これらの経験により、私は「強さ」とは困難な状況を自力で乗り越える能力であり、他者に頼らず自己完結できることだと信じていました。
ところが、イズラでの生活は、その私の「強さ」に対する考え方を根本から覆すものでした。イズラで出会った人々は、経済的には決して恵まれているとは言えません。質素な住まいで、豊かとはいえない生活を送っています。しかし彼らの心は、私が知る中で最も豊かで、非常に強靭でした。彼らの強さは孤立することではなく、むしろつながることにありました。
ジャングルでの経験から、私は常に疑念を持つことの重要さを学びました。物音ひとつにも警戒し、見知らぬ生き物に近づかず、最悪の事態を想定して行動する。それが生き延びるための鉄則でした。誰かを信じることは、時に弱さにつながると思い込んでいたのです。しかし、迷子になった私を何の疑いもなく温かく迎え入れてくれた老人の存在は、まさに私の信念とは正反対のものでした。彼は、見知らぬ異邦人である私を、まず「信じる」ことから始めたのです。彼の持つ強さは、他者を遠ざける力ではなく、受け入れる力そのものでした。
食卓を囲む家族の姿も、私に新たな発見をもたらしました。彼らは喜びも悲しみも、日々の糧も、すべてを分かち合っていました。個々は弱くとも、家族という共同体として一つにまとまると、あらゆる困難に立ち向かえる強固な存在となるのです。彼らの笑顔の背後には厳しい現実があるのかもしれませんが、それを共に乗り越える術を知っている。それは、互いに寄りかかり支え合うという、極めてシンプルでありながら最も力強い生き抜く術でした。
私の考えていた「強さ」はいわば鎧のようなものでした。外部からの攻撃を防ぎ、自分を守るための堅い殻。しかしその鎧は同時に、他者との間に壁を生み、私を孤独に追いやっていました。一方で、イズラの人々が示す強さは大樹のようです。大地に深く根を張り、枝葉を広げて互いに繋がり、太陽の光や激しい嵐さえも受け入れ、それを栄養に変えて成長する。しなる柔軟さと包容力を兼ね備えた強さでした。
もともと内気な私は、人と深く関わることをどこかで避けてきました。新しい出会いは好きでも、自分の内面をさらけ出すことには臆病でいました。しかし、イズラの人々は、私が築いていた心の鎧をすんなりと貫いてきました。彼らの純粋な親切と飾らない笑顔の前に、私は抵抗できず心の防御を解かざるを得ませんでした。鎧を脱いだときに感じたのは、むしろ無防備な弱さではなく、心が解き放たれたような自由さと、人とつながることの温もりでした。
過酷な環境で生き延びる技術は確かに私に自信を与えてくれました。しかし、人生という長い旅路を歩むために本当に必要なのは、それだけではなかったのです。他者を信じる勇気、助けを求める素直さ、与えられた親切への感謝、そして誰かを支え、誰かに支えられる喜び。イズラの人たちは、穏やかな日常の中で、生きることの最も根源的な知恵を体現していました。この旅で私は心から「強さ」とは何かを学びました。それは孤独な戦士であることではなく、愛と信頼の輪の中で誰かと共に生きること。この気づきは、これからの私の人生を照らし続ける、最も輝かしい光となったのです。
旅人の心得:シリアを旅するということ
シリア、とりわけイズラのような場所への旅には、一般的なパッケージツアーで訪れる観光地とはまったく異なる心構えが求められます。それは単なる珍しい土地を訪れるだけでなく、その地域の文化や住民の暮らしに敬意を払いつつ、一人の旅人として謙虚な姿勢で臨むことが不可欠な旅だからです。私自身の体験と感じたことを踏まえ、これからこの地を訪れるかもしれない方々に向けて、いくつかの心得を共有させていただきます。
まず第一に重要なのは、文化に対する深い敬意です。イズラは保守的な地域であり、特に服装に配慮することが必要です。男性は過剰な肌の露出を避け、長ズボンの着用が推奨されます。女性については、さらに注意が求められます。体のラインがはっきり分かる服装は避け、長袖やロングスカート、あるいはゆったりとしたパンツが望ましいでしょう。特にモスクや教会などの宗教施設を訪れるときや、地元の人の家に招かれた際には、髪を覆うスカーフ(ヒジャブ)を持参し、必要に応じて着用することが推奨されます。これは単なる規則ではなく、現地の人々の価値観を尊重し、自らがその文化を敬っていることを示す大切なコミュニケーションの一環です。
写真撮影に関しても、慎重な対応が欠かせません。美しい景観や歴史的建造物をカメラに収めたい気持ちは理解できますが、人物、特に女性を撮る際は必ず事前に許可を取りましょう。無断で撮影することは非常に失礼とみなされます。子どもたちの写真を撮りたい場合も、まず保護者に声をかけ、笑顔で許可を求めることが大切です。それがコミュニケーションのきっかけとなり、より温かな交流が生まれるでしょう。
続いては、現地の人々との交流におけるマナーについてです。イズラの住民はとてもホスピタリティ豊かですが、その親切に甘えすぎることなく節度を保つことも必要です。家に招かれ、チャイや食事をすすめられた際には、感謝の意をもって頂くのが礼儀です。ただし、何度も勧められた場合は、最初の1~2回は遠慮を示すのが控えめとされています。それでもしつこく勧められたら、素直に受け入れるのが望ましいでしょう。食事中は左手を不浄と考える風習があるため、食べ物を受け取ったり口に運ぶ時は必ず右手を使うよう心がけてください。
また、政治や宗教に関する話題は非常にセンシティブです。現地の方から話題にしない限り、こちらから深く尋ねるのは避けるべきです。我々はあくまで一時的な訪問者であり、彼らが日々直面している複雑な状況を完全に理解することはできません。彼らの意見や立場を尊重し、聞き手に回る姿勢が大切です。それよりも家族のことや仕事、日本の文化など、個人的で柔らかい話題を選ぶことで、良好な関係を築きやすくなります。
さらに、安全への配慮も欠かせません。シリアの情勢が依然として不安定な部分があることを忘れてはなりません。外務省の渡航情報を必ず確認し、自己の責任のもとで慎重に行動してください。基本的なことですが、貴重品の管理を徹底し、夜間の単独行動を控え、見知らぬ人の甘い誘いには乗らないなど、海外旅行の基本的なルールはどの地域でも共通しています。しかし、過度に警戒しすぎて人々の善意まで疑ってしまうのは本末転倒です。状況を冷静に見極め、信頼できると感じた人の親切は素直に受け入れる、そのバランス感覚がこの地での旅を豊かにする鍵となるでしょう。
イズラへの旅は、安易なマニュアル通りに進むものではありません。思わぬ出来事に戸惑うこともあるかもしれませんが、それら一つひとつが、自分自身を見つめ直し、世界の多様性を肌で感じる貴重なチャンスです。敬意と感謝の心を忘れずに、心を開いて現地の人々と向き合えば、この地はきっと、あなたの人生の宝物となる忘れがたい体験をもたらしてくれることでしょう。
砂漠の砂に刻む、忘れ得ぬ記憶

旅の終わりはいつも、ほんの少しだけ寂しさを伴います。イズラを離れる朝、ホウラーン平原の遥か彼方から昇る太陽が、黒い玄武岩でできた家々を柔らかなオレンジ色に染め上げる光景を、私は静かに見つめていました。数日前にこの町に足を踏み入れた時とは、見える風景がまったく異なっていました。ただの土ぼこりが舞う質素な町だったはずが、今では温かな思い出と人々の笑顔に包まれた、かけがえのない場所として心に刻まれているのです。
私を家族のように受け入れてくれたあの老人の家を、出発前にもう一度訪れました。言葉が通じなくとも、別れの挨拶はしっかり伝わったようでした。家族全員が玄関先に集まり、私の手を握りしめ、必ずまた戻ってくるようにと言ってくれました。その目に浮かぶ寂しさは、決して社交辞令ではなく、本物の感情が宿っていました。小さな子供が、そっと私のポケットに手作りの小さな飾りを忍ばせます。それは彼らにとっての大切な宝物に違いありません。私はその暖かい重みを感じながら、溢れ出す感情を必死に抑えていました。
ダマスカス行きのバスの窓越しに、遠ざかるイズラの街並みを見つめながら、この旅で得たものの大きさを改めて噛みしめていました。それは、美しい風景の写真や珍しい土産物ではありません。私の心に灯された、穏やかな光のような何かでした。それは、他人を信じることの尊さ、見返りを求めない親切の美しさ、そしてどんな状況にあっても人はつながり合い、支え合って生きていけるという確かな信念でした。
現代は情報があふれ、効率や合理性が重視される社会です。人間関係さえも損得で測られることがあるでしょう。しかしイズラの人々は、現代社会が失いかけている大切な何かを、ごく自然に体現していました。彼らの暮らしは決して物質的に豊かではないかもしれませんが、心の豊かさは誰にも負けていませんでした。その一つ一つの笑顔が、真の豊かさの意味を静かに語りかけているようでした。
この旅は、私にとっての新たな学びとなりました。ジャングルで役立ったサバイバルの知識とは異なり、人生という広大な荒野を生き抜くには、別の種類の智慧が必要だと気づかされました。それは、心を開き、他者を受け入れ、愛を注ぐ勇気のこと。内気で、人との間に壁を作りがちだった私が、その第一歩を踏み出せたのは、紛れもなくイズラの人々の温もりあってのことです。
この記事を読んでいるあなたも、日々の暮らしの中で、何かに疲れ、心が乾いていると感じることがあるかもしれません。そんな時は、ほんの少しだけ立ち止まり、遠く離れたシリアの小さな町のことを想ってみてください。そこには効率や競争とは無縁で、穏やかで人間らしい時間が流れています。そして、見知らぬ旅人をあたたかく家族のように迎え入れてくれる人々がいるのです。すぐに旅に出られなくても、彼らのような生き方が世界のどこかに存在していると知るだけで、少しは心が軽くなるのではないでしょうか。
私の旅は終わりましたが、物語は続きます。イズラで受け取った温もりのバトンを、私はこれからも誰かに手渡していきたいと思います。砂漠の砂は風に吹かれて形を変えても、そこに刻まれた人々の記憶や優しさは決して色あせることはありません。私の心にもまた、忘れがたい記憶が深く刻まれました。それはこれから続く人生の旅路を、確かに照らし続ける道しるべとなってくれるでしょう。

