永遠の都ローマの中心に、まるで巨大な宝石のように鎮座する独立国家、バチカン市国。その心臓部ともいえるのが、カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂です。世界最大級の教会建築として知られるこの場所は、単なる壮麗な建物ではありません。そこは、二千年もの長きにわたり、世界中の信者たちの祈りを受け止め、数多の芸術家たちの情熱が注ぎ込まれた、信仰と歴史の結晶そのものなのです。
私、明は工学部で建築やテクノロジーを学んできましたが、この大聖堂の前に立つと、設計図や物理法則だけでは到底解明できない、人の想いのエネルギーというものを感じずにはいられません。ミケランジェロが設計した巨大なクーポラ(円天井)は、工学的な奇跡であると同時に、天を目指す人々の祈りの象徴でもあります。そして、この壮大な聖堂の礎には、一人の漁師の物語が深く横たわっているのです。
今回の旅では、キリスト教世界の中心であるサン・ピエトロ大聖堂を訪れ、その壮麗な建築美と芸術を堪能するだけでなく、その地下深くに眠る聖人、初代ローマ教皇とされる聖ペテロの物語と、彼を慕ってこの地を目指した巡礼者たちの長い歴史の軌跡を、静かに紐解いていきたいと思います。日々の喧騒から少し離れ、歴史と信仰が織りなす壮大な物語に心を委ねる、そんなスピリチュアルな時間を過ごしてみませんか。
この壮大な聖堂の歴史と、そこに込められた信仰の物語をさらに深く紐解く旅へとご案内します。
大聖堂へのプロローグ:サン・ピエトロ広場の抱擁

サン・ピエトロ大聖堂への巡礼は、まずその手前に広がる壮大なサン・ピエトロ広場から始まります。地下鉄の駅を出て歩き進めると、視界がぱっと開け、その瞬間に飛び込んでくる光景はまさに圧巻です。広場は緩やかな楕円形を描きながら、訪れる人々をまるで両の腕で包み込むかのように優しく迎え入れます。
この印象的な広場の設計を手掛けたのは、バロック芸術の巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニです。彼は大聖堂を「母なる教会」と見立て、この広場を「母の腕」としてデザインしたと言われています。広場を囲むドーリア式の列柱は4列にわたり、合計284本もの柱が立ち並びます。その柱の上には140体の聖人像が整然と並び、まるで天上から私たちを見守っているかのような荘厳さを醸し出しています。精密な計算と卓越した芸術的感性が見事に融合し、訪れる人々の心を瞬く間に捉えて放しません。
工学的な観点からも、この広場の設計は非常に秀逸です。広場には「焦点」と呼ばれる二つのポイントが存在し、その場所に立つと4列の柱がぴったり重なり合い、まるで1列だけのように見えるのです。これは、ベルニーニが緻密に計算した遠近法による視覚的な仕掛けであり、人々を驚かせつつ神の偉大さを感じさせるための壮大な演出がこの広場全体に施されています。広場の中央には、古代エジプトから運ばれた巨大なオベリスクが天を突き、その両側には優雅な噴水が涼しげな水音を響かせています。このオベリスクはかつて皇帝ネロの競技場に置かれていたもので、聖ペテロがそこで殉教したとされる場所を見守る歴史の証人といえる存在です。
大聖堂の正面ファサードはカルロ・マデルノの設計によるもので、その壮麗さに思わず息を呑みます。中央のバルコニーは、新たに教皇が選出された際に「ウルビ・エト・オルビ」(ローマと世界に向けて)と称される祝福を初めて世界中の信徒に向けて行う場所です。ここでは歴史的な重要な瞬間が数多く刻まれてきました。大聖堂に入場する際はセキュリティチェックを通過する必要があります。特に夏や観光シーズンになると長い列ができることも少なくありません。また、聖なる場所であるため服装にも配慮が求められます。肩や膝が露出した服装では入場を断られることがあるため、ストールや羽織るものを携帯しておくと安心です。この待ち時間も、これから体験する荘厳な空間への期待感を高める巡礼の一部と言えるかもしれません。
光と空間のシンフォニー:大聖堂内部へ
重厚な扉をくぐり抜け、一歩を踏み入れた瞬間、訪問者は言葉を失わざるを得ません。そこに広がるのは、人間の規模を遥かに凌駕する圧倒的な空間です。天井は果てしなく高く、壁や床には大理石が敷き詰められ、厳かながらも温かな光が堂内を満たしています。全長約187メートル、最大幅約120メートルという途方もない広さは、単なる物理的な大きさを超えて、精神的な広がりをもたらしています。
視線を上方に向けると、そこにはミケランジェロが設計した後期ルネサンスの至宝、巨大なクーポラがそびえ立っています。直径約42メートル、地上から頂点までの高さは約138メートル。この壮大なドームをたった4本の巨大な柱だけで支える構造は、当時の建築技術の集大成であり、まさに工学的な奇跡と称されます。ミケランジェロは古代ローマのパンテオンの構造を詳しく研究し、それを凌駕するものを創り出そうという情熱を燃やしました。彼の没後、弟子たちによって完成したこのクーポラは、その下にある主祭壇や聖ペテロの墓所へ天の光を導く装置の役割も担っています。窓から差し込む光の筋は神の視線のように堂内を照らし、時間の経過とともに角度を変えることで、空間の表情を刻々と変えていきます。この光と影が織り成すドラマは、訪れる者の心に深い感動を刻み込みます。
長い身廊をゆっくり歩み進めると、左右にある礼拝堂にはラファエロやベルニーニといった巨匠たちの絵画や彫刻が惜しげもなく展示されています。一つひとつが美術館の至宝にも匹敵する作品でありながら、ここではすべて「祈りのための飾り」として、その空間と見事に調和しています。足元を見やれば、世界各地の主要なカトリック教会の規模を示す印があり、サン・ピエトロ大聖堂の圧倒的な大きさを実感させられます。長い歴史のなかで何世紀にも渡り数えきれない巡礼者たちが、様々な祈りや願いを胸にこの道を歩んだのだと想うと、足元の石畳から歴史の重みがひしひしと伝わってくるようです。
ミケランジェロの名作『ピエタ』との静かな対話
大聖堂に入ってすぐ右手の最初の礼拝堂には、世界で最も美しい彫刻の一つと称されるミケランジェロ作の『ピエタ』が安置されています。十字架から降ろされたイエス・キリストを抱え、静かに悲しみに沈む聖母マリア。この作品がミケランジェロによってわずか24歳の若さで完成されたと知ると、その若き天才ぶりに新たな感嘆を覚えます。
大理石とは思えないほど滑らかな聖母の衣のひだ、力なく横たわるキリストの肉体描写、そして何よりも、悲嘆の深さを秘めつつも神々しい静けさと慈愛を湛えたマリアの表情。マリアは若々しく表現されていますが、これは神の母としての純粋さと永遠性を象徴していると言われています。ミケランジェロはこの作品の中で唯一、マリアの胸元の帯に「フィレンツェのミケランジェロ・ブオナローティ作」と署名を刻みました。これは自身の才能への絶対的な自信の表れであると同時に、彼の魂の叫びのようなものでもあります。
現在、『ピエタ』は防弾ガラス越しに展示されており、間近でその質感を確かめることはできません。1972年に精神に異常をきたした男によってハンマーで破損されるという痛ましい事件があったためです。この出来事は、偉大な芸術作品が持つ普遍的価値と、同時にその物理的な脆弱さを私たちに強く示しています。ガラス越しに見る『ピエタ』は、その傷ついた過去も抱え込み、いっそう静かで深い祈りのオーラを放っているように感じられました。
ベルニーニの天蓋『バルダッキーノ』の圧倒的な存在感
大聖堂の中央、ミケランジェロのクーポラの真下にそびえるのが、ベルニーニ作の巨大なブロンズ製天蓋『バルダッキーノ』です。高さ約29メートル、ビルの9階分に相当するこの壮大な造形は、バロック芸術の躍動感と厳粛さを見事に体現しています。
ねじれた柱のデザインは、かつての初代サン・ピエトロ大聖堂にあったとされる聖なる柱を模したもので、見上げる者に上昇してゆく力強いエネルギーを感じさせます。柱にはベルニーニのパトロンであったウルバヌス8世の紋章である蜂が散りばめられています。この天蓋の真下にあるのは、教皇だけがミサを執り行える主祭壇であり、そのさらに地下には、この教会の守護聖人である聖ペテロの墓があるとされています。つまり、この『バルダッキーノ』は、天上のクーポラと地下の墓所を結び、天地をつなぐ象徴的な存在なのです。
この天蓋の制作には膨大な量のブロンズが必要とされましたが、その材料確保のために、古代ローマのパルテノンの梁材に使われていたブロンズが剥ぎ取られて転用されたという逸話がよく知られています。これに対して「蛮族(バルバロイ)がしなかったことを、バルベリーニ家(ウルバヌス8世の家系)が為した」という皮肉が囁かれました。しかしこれは単なる破壊行為ではなく、古代ローマ帝国の栄光をキリスト教の栄光へと継承させるという強い意志の表れでした。技術や文化が過去の遺産の上に新たな価値を築き上げていくというプロセスは、現代にも繋がるものがあります。この圧倒的な天蓋は、歴史の連続性と、時に残酷な断絶も内包した権力と信仰のモニュメントなのです。
聖ペテロの物語:漁師から初代ローマ教皇へ

サン・ピエトロ大聖堂の壮麗な建築や美術品を前に圧倒される一方で、忘れてはならない問いがあります。なぜ、この場所がこれほどまでに重要視されているのか。その答えは、この大聖堂の名称の由来となった人物、聖ペテロの人生に行き着きます。
彼の本名はシモンで、ガリラヤ湖畔で弟のアンデレとともに漁師として生計を立てていた、まったく普通の男性でした。しかし彼の人生は、ナザレのイエスとの出会いによって劇的に一変します。イエスが彼に「わたしに従いなさい。人をとる漁師にしよう」と声をかけたことで、シモンは網を捨てて最初の弟子の一人となったのです。
福音書では、シモンは感情豊かで人間味あふれる人物として描かれています。イエスを「生ける神の子、メシアである」と告白した際には、イエスから「あなたはペトロ(ギリシア語で『岩』を意味する)だ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を築く」という極めて重要な言葉を授かりました。この言葉が、ペテロを弟子たちの代表格とし、後のローマ教皇の権威の基盤と見なされる由来となっています。
しかし、彼の信仰は常に揺るぎないものではありませんでした。イエスが逮捕された夜、恐怖に駆られた彼は三度も「あの人を知らない」とイエスとの関係を否認してしまいます。ところが、復活したイエスはそんな彼を赦し、「わたしの羊を飼いなさい」と再び信者たちを導く使命を託しました。この失敗と赦しの体験こそが彼の人間味を深め、多くの人々を惹きつけるリーダーへと成長する礎になったのでしょう。
イエスの昇天後、ペテロはエルサレムで初期のキリスト教共同体を率い、やがて帝国の中心であるローマへ宣教の旅に出ます。当時のローマは皇帝ネロによるキリスト教徒への激しい迫害に見舞われていました。伝説によると、迫害から逃れようとローマを離れようとしていたペテロの前にイエスの幻が現れます。ペテロが「主よ、どこへ行かれるのですか(Quo vadis, Domine?)」と尋ねると、イエスは「あなたがわたしの民を見捨てるなら、わたしはもう一度十字架にかかるためにローマへ行く」と答えたと伝えられています。この言葉に恥じたペテロはローマに戻り、殉教の運命を受け入れたのです。
伝承によれば、紀元64年頃、ペテロは現在のバチカンの丘で十字架にかけられて処刑されました。その際、「主であるイエスと同じ方法で死ぬことはできない」と自ら願い、逆さ十字架にかけられたと伝えられています。かつて漁師だった一人の男が、自らの命をかけて信仰を貫き、巨大な教会の礎となる「岩」となった瞬間でした。
聖ペテロの墓所:信仰の中心に眠るもの
サン・ピエトロ大聖堂の主祭壇の真下には、聖ペテロの墓があると約二千年にわたり信じられてきました。しかし、それはあくまでも伝承の範疇にとどまり、長い間科学的な証明はなされていませんでした。
この地に最初の聖堂が建てられたのは4世紀、コンスタンティヌス帝の時代です。彼はキリスト教を公認し、ペテロが殉教したとされるこの場所に壮麗な教会を築きました。建設にあたっては、もともと丘陵地だった場所を大規模に造成し、そこにあった古代ローマのネクロポリス(共同墓地)を完全に埋め立ててしまいました。この初代聖堂は老朽化のため、16世紀から17世紀にかけて現在の華麗な大聖堂へと建て替えられました。
そして20世紀になり、科学の目がこの長年の謎に挑みます。1940年から1949年にかけて、教皇ピウス12世の指示により、大聖堂地下で秘密裏に発掘調査が実施されました。その調査で驚くべき事実が次々と明らかになりました。地下からは、コンスタンティヌス帝が埋めたとされる1世紀から4世紀にかけてのローマのネクロポリスが非常に良好な状態で発見されたのです。その中には異教徒の墓とキリスト教徒の墓が混在し、当時のローマの宗教的状況が生々しく伝わってきました。
掘り進めた調査チームは、主祭壇の真下に、簡素でありながら特別に扱われた痕跡のある墓を見つけます。さらにその墓の壁にはギリシャ語で「ペトロ、ここにあり」と読める落書きがあったのです。墓から出土した遺骨の調査では、それが1世紀頃の60代から70代の頑強な体格の男性のものであると推定されました。こうした証拠は、まさしく聖ペテロの伝承と合致するものでした。
1968年、教皇パウロ6世はこれらの考古学的発見を踏まえ、「聖ペテロの遺骨が同定されたと確信する」と公式に宣言しました。科学と技術の探究が、二千年にわたる信仰の伝統を裏付けた歴史的な瞬間となったのです。発掘されたネクロポリスの一部は「スカヴィ・ツアー」と呼ばれ、予約をすれば見学が可能です。古代ローマの墓地を巡り信仰の源流に触れるこのツアーは、サン・ピエトロ大聖堂の訪問をより深い体験へと導いてくれます。
加えて、大聖堂の地下には「グロッテ・ヴァティカーネ(バチカン洞窟)」と呼ばれる歴代教皇の墓所が広がっています。この場所は比較的自由に見学でき、荘厳な静けさに包まれた空間が広がっています。聖ペテロの墓とされる場所の近くを通り、近年列聖されたヨハネ・パウロ2世をはじめ、多くの教皇の石棺が並ぶ様子は、カトリック教会の歴史の重みを身近に感じさせてくれます。
クーポラ登頂:天国への階段とローマの絶景

サン・ピエトロ大聖堂の壮麗さを内側から体感した後は、ぜひその頂上であるミケランジェロのクーポラに登ることをおすすめします。これは単なる展望台の眺望を楽しむ以上の体験で、まるで天へ続く階段を昇るような、深い精神性を感じさせる時間です。
クーポラへは、途中までエレベーターを利用するか、全て階段で登るかを選択できます。エレベーターを降りた後も、ドームの頂点まではさらに320段の階段が待っています。この階段こそ、この体験の中心と言えるでしょう。最初は比較的広い通路ですが、次第に狭まり、ドームの曲線に沿って壁が内側に傾いていきます。螺旋状の通路は、まるで異次元への扉をくぐるような感覚をもたらします。体力に自信のない方や閉所恐怖症の方には少し厳しいかもしれませんが、一歩一歩踏みしめるその過程が巡礼の一部として感じられるはずです。
頂上に向かう途中、ドーム内を一周する回廊に出ます。ここから見下ろす大聖堂内部は息を呑む美しさです。遥か下に見える『バルダッキーノ』や人々がまるでミニチュアのように小さく見えます。さらに、壁面を埋め尽くす巨大なモザイク画を間近に鑑賞できます。地上から見上げていた威厳ある絵画が、実は緻密に色づけされたガラスや石の破片でできていることがわかり、その緻密な制作過程に込められた膨大な労力と情熱に改めて感動を覚えます。
そして、最後の狭い階段を上りきって屋外の展望台に出ると、眼前に広がるのは360度の大パノラマです。眼下にはベルニーニが設計したサン・ピエトロ広場が、まるで巨大な鍵穴の形を描いて見事に広がっています。このデザインは、イエスがペテロに授けた「天国の鍵」を象徴しているとされ、その高さからの眺めで初めて意図が深く理解できます。
視線を遠くに向けると、ローマの街並みが一望できます。サンタンジェロ城からテヴェレ川、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、さらに遥か彼方にはコロッセオのシルエットも見えます。歴史が刻まれた七つの丘が広がり、「永遠の都」と呼ばれるゆえんをまざまざと実感できる光景です。爽やかな風に吹かれながら、この圧巻の景色を楽しんでいると、単に肉体的な高みを越えるだけでなく、精神的にも何かから解き放たれるような清々しさに包まれます。それは、自らの足で困難な道のりを乗り越えた達成感と、歴史と芸術の偉大さに包まれる安堵感が重なり合った、特別な感覚なのです。
巡礼の歴史:時代を超えて人々を惹きつける力
聖ペテロの遺骨がこの地に眠るという信仰は、キリスト教の黎明期からヨーロッパ全土の人々をローマへと導く大きな原動力となってきました。サン・ピエトロ大聖堂は単なる教会建築にとどまらず、聖地エルサレムやサンティアゴ・デ・コンポステーラと並び、キリスト教三大巡礼地のひとつとして知られています。
中世の巡礼者たちは、現在の私たちの想像を超える過酷な状況のなか、この地を目指しました。盗賊がはびこる危険な道を何ヶ月もかけて歩き、飢えや病に苦しみながらも、ただひたすらに聖ペテロの墓前での祈りを願い続けたのです。彼らにとってローマへの巡礼は、罪の赦しを得て天国への道を確かなものにするための、一生をかけた旅でした。彼らが辿った「フランチジェナ街道」として知られる道は、今もなお多くの巡礼者によって追体験されています。
「すべての道はローマに通ず」という古代ローマの格言は、かつて帝国の広範なインフラ網を象徴していましたが、中世以降はキリスト教世界の中心地ローマへと続く巡礼路としての意味を強く帯びるようになりました。ヨーロッパ各地から様々な思いを胸に、多くの人々がこのサン・ピエトロ大聖堂を目指したのです。
時代は流れ、現代の私たちは飛行機や鉄道を利用して簡単にローマを訪れることが可能となりました。多くの人は信仰心に燃える巡礼者というより、観光客としてここを訪れるかもしれません。しかし、この大聖堂の圧倒的な存在感の前に立つとき、私たちはただの観光以上の何かを感じ取らずにはいられないのではないでしょうか。
壮麗な芸術に心を奪われ、歴史の重みをしみじみと感じ、そしてクーポラからの絶景に息をのむ。そうした体験は、日々の慌ただしい生活で疲れた心を癒し、新たな活力を授けてくれるスピリチュアルなひとときとなり得ます。その意味で、現代の私たち訪問者も、形は異なっていても似たような何かを求めて、この地を訪れる「現代の巡礼者」と言えるのかもしれません。ここには時代や文化、宗教を超えて、人々の心に深く訴えかける普遍的な力が宿っているのです。
大聖堂に眠る聖人たちと教皇の物語

サン・ピエトロ大聖堂は、聖ペテロ個人の墓所にとどまるものではありません。その広大な内部および地下の霊廟には、多くの歴代教皇や聖人たちが埋葬されており、教会全体の歴史を象徴する壮大な聖域となっています。
大聖堂の中を歩いていると、壁沿いに飾られた華麗な墓碑彫刻が目に入ります。これらはベルニーニをはじめとする著名な芸術家たちが手掛けた歴代教皇の墓で、それぞれの時代の芸術様式や、眠る教皇の威厳を雄弁に物語っています。例えば、ベルニーニが晩年に制作したアレクサンデル7世の墓は、祈りを捧げる教皇像の足元に、真実を象徴する裸婦が人生のはかなさを示す布をめくり、その下から翼を持つ骸骨が砂時計を携えて現れるという、非常に劇的かつ哲学的な構図を持っています。生と死、時間、そして信仰といったテーマが、見事な彫刻によって表現されているのです。
地下のグロッテ(洞窟墓地)に足を踏み入れると、ここが歴代教皇の眠る場所であることをより強く実感できます。質素な石棺が並ぶ静かな空間は、地上の華やかさとは対照的で、深い祈りの雰囲気に包まれています。なかでも多くの人々が祈りを捧げるのが、2005年に逝去した教皇ヨハネ・パウロ2世の墓所です。世界各地を訪れ、「空飛ぶ教皇」として親しまれた彼のカリスマ性は、今なお多くの人々の心に生き続けています。彼の墓前で静かに手を合わせる人々の姿は、信仰が個々の心の中でいかに大切に育まれているかを物語っています。
このように、サン・ピエトロ大聖堂は、初代教皇ペテロから現代に至る教皇たちの系譜を物理的に繋いでいる場所でもあります。それぞれの教皇がどの時代に生き、教会をどのように導いてきたのか。その歴史に思いを馳せながらこの聖域を巡ることで、単なる芸術鑑賞や建築見学を超えた、深層的な歴史体験が得られるのです。ここにある一つひとつの墓が、一つの時代、一人の人生の物語を秘めていると考えると、この大聖堂が放つ意味の深さを改めて実感させられます。
サン・ピエトロ大聖堂 訪問のための実践情報
この壮大な大聖堂での体験をより素晴らしいものにするために、役立つ情報をいくつかご紹介します。事前に計画を立てておくことで、より快適で心に残る訪問が実現します。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 所在地 | Piazza San Pietro, 00120 Città del Vaticano, バチカン市国 |
| アクセス方法 | ローマ地下鉄A線「Ottaviano-S. Pietro」駅から徒歩で約10分の距離です。 |
| 開館時間 | 大聖堂:4月から9月は7:00~19:00、10月から3月は7:00~18:30。クーポラ:4月~9月は7:30~18:00、10月~3月は7:30~17:00。※なお、水曜の午前中は教皇謁見のため、広場や大聖堂の入場が制限される場合があります。 |
| 入場料金 | 大聖堂の入場は無料ですが、クーポラへの登頂は有料です(階段のみ8ユーロ、エレベーター利用時は10ユーロ ※料金は予告なく変更されることがあります)。 |
| 服装について | 神聖な場であるため、服装規定が厳格です。肩や膝が露出する服装(ノースリーブ、タンクトップ、ショートパンツ、ミニスカートなど)は入場不可です。男女問わず、羽織るものやストールの持参をおすすめします。 |
| セキュリティ対策 | 広場に入る前に、空港のような厳重なセキュリティチェックが行われます。ナイフなどの危険物の持ち込みは禁止されています。 |
| 混雑を避けるポイント | 開館直後の早朝や閉館間際の午後遅い時間帯は比較的空いています。特にクーポラの登頂を希望する場合は、暑い夏の日中を避け、朝一番の訪問が望ましいです。 |
| その他の注意事項 | 大聖堂内での写真撮影は基本的に許可されていますが、フラッシュの使用は禁止です。ミサの最中など祈りを妨げる行為は控えましょう。バチカン美術館と併せて訪れる場合は長時間の見学となるため、歩きやすい靴と十分な水分補給を忘れずに準備してください。 |
テクノロジーと信仰が交差する場所

サン・ピエトロ大聖堂を訪れた旅の終わりに、私の心に強く刻まれたのは、この場所が持つ二つの顔でした。それは、人類の知恵と技術の結晶である一方で、素朴な祈りの積み重ねによって神聖さを帯びているという事実です。
工学部出身の私には、ミケランジェロのクーポラを支える構造力学、ベルニーニが広場で駆使した巧みな遠近法、さらに地下のネクロポリスを解明した考古学調査が、非常に興味深い「データ」の連なりとして映りました。テクノロジーは不可能を可能にし、過去の謎を解き明かし、私たちの世界への洞察を深めてくれます。この大聖堂こそ、人間の知性を讃える偉大なモニュメントと言えるでしょう。
しかし同時に、この場所の本質的な価値は、単なる数値や設計図では捉えられない領域にあります。それは、十字架のキリストを抱く聖母の悲しみを大理石で具現化したミケランジェロの魂。主祭壇の下に安置された漁師ペテロを慕う、二千年にわたる変わらぬ人々の想い。そして、クーポラから永遠の都を眺めながら、自らの人生を思い巡らせる一人の訪問者の静謐な感動。これらすべてが、サン・ピエトロ大聖堂を単なる石造りの建物ではなく、生きる聖域たらしめているのです。
科学が伝承の真実を支え、芸術が信仰を形にする。ここではテクノロジーと精神性が対立することなく、互いを豊かに補完しているのです。この偉大な空間に身を置くとき、私たちは歴史という大河の中の小さな存在でありながら、その歴史を紡いできた数多の人々と時を超えて繋がっていることを実感します。サン・ピエトロ大聖堂への旅は、世界を見つめる旅であると同時に、自分自身の内面と深く向き合う、忘れ得ぬ巡礼となるでしょう。

