ヨーロッパの街角をさまよう旅は、いつも予期せぬ旋律との出会いに満ちています。石畳を叩く靴音、遠くから聞こえる教会の鐘、カフェから漏れる人々のざわめき。それらすべてが混じり合い、その土地だけが持つ音楽を奏でるのです。ここ、オーストリアのザルツブルクは、言うまでもなくモーツァルトを生んだ音楽の都。街の隅々にまで、優雅で気品あふれる調べが染み付いているかのようです。
そんなザルツブルクにおいて、ひときわ美しいハーモニーを奏でる場所があります。それが、今回ご紹介するミラベル庭園。単なる美しい庭園、という言葉だけでは到底表現しきれない、愛と権力、芸術と自然、そして歴史が複雑に絡み合って生まれた、まさに「バロック芸術の宝石箱」です。緻密に計算された幾何学模様の花壇、神話の登場人物たちが佇む彫刻、そして遠くにアルプスの雄大な山々とホーエンザルツブルク城塞を望む完璧な借景。そのすべてが一体となり、訪れる者の心を鷲掴みにします。ここは、ただ歩くだけでなく、その空間に秘められた物語を読み解き、五感で音楽を感じる場所なのです。さあ、私と一緒に、この世で最も美しい庭園の一つと謳われるミラベルの扉を開き、時を超えた散策へと出かけましょう。
ミラベル庭園とは? – 禁じられた愛が咲かせた壮麗なる花の城

ミラベル庭園の魅力を真に味わうためには、まずその誕生にまつわる物語を知ることが欠かせません。この庭園の歴史は、一人の聖職者が抱いた「禁断の愛」から幕を開けます。17世紀初頭、ザルツブルクを治めていたのは、大きな権力を握る大司教ヴォルフ・ディートリヒ・フォン・ライテナウでした。
本来、聖職者である彼には結婚が許されていませんでしたが、サロメ・アルトという女性に深く心を奪われ、彼女を公然と伴侶として迎え入れました。彼はサロメと、彼女との間に授かった15人もの子供たちのために、ザルツブルクの郊外に壮麗な宮殿を築きました。それが今のミラベル宮殿の原型となる「アルテナウ宮殿」です。宮殿の名は、愛する女性「アルト」の名を冠していたのです。何と情熱的な行為でしょうか。この宮殿と庭園は、権威ある地位を投げ捨てても貫き通した、一途な愛の証でもありました。
しかし彼の治世は長続きしませんでした。バイエルンとの塩を巡る争いに敗れたため、彼はホーエンザルツブルク城塞に幽閉され、絶望の中で生涯を終えました。後を継いだ大司教は、前任者の波乱に満ちた愛の記憶を消し去ろうとし、宮殿の呼称を「ミラベル」に改めました。
「ミラベル」とはイタリア語の「mirabile(驚くべき、素晴らしい)」と「bella(美しい)」を合わせた言葉であり、皮肉にもかつて愛した女性の名を冠した宮殿は、その美を讃える名前を受け、新たな歴史を歩み始めたのです。その後、18世紀初めに著名なバロック建築家ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントの手によって、現在の壮麗なバロック様式の庭園へと大規模に改築されました。愛の物語として始まったこの場所は、時代を超えてヨーロッパを代表する芸術家たちの手で磨き上げられ、今日の美しい姿へと至っています。ミラベル庭園の幾何学的に配された花壇の一本一本、そして彫刻の一つひとつには、このような劇的な歴史と人々の熱い想いが深く刻み込まれているのです。
庭園を歩く – 幾何学と神話が織りなす空間のシンフォニー
ミラベル庭園の魅力は、その緻密に計算された設計思想にこそあります。宮殿の敷地を一歩踏み出すと、まるで精巧に描かれた設計図の中に入り込んだかのような感覚に包まれるでしょう。ここでは、庭園の主要なエリアを巡りながら、その芸術的な仕掛けを一つひとつ紐解いていきましょう。
大パルテール(Grand Parterre) – 天空へ続く緑のカーペット
庭園の中心部を飾るのが、この「大パルテール」と呼ばれる広大な花壇です。フランス語で「大きな花壇」を意味するこのエリアは、ミラベル庭園のバロック様式を最も象徴する場所と言えるでしょう。まず目を引くのは、その完璧な左右対称の設計。中央の噴水を軸として左右に広がる花壇は、まるで鏡合わせのように同じ模様を描き出しています。
この幾何学的な模様は、単なる装飾に留まりません。バロック時代の人々は自然を理性と技術の力で制御し、秩序ある美へと昇華させることに価値を見出していました。混沌とした自然を整然とした幾何学に支配することが、神が創造した世界に近づく行為だと信じられていたのです。渦巻く唐草模様や、まるで精緻な刺繍のように配された花々は、理性が生んだ芸術作品の極みといえます。季節ごとに植え替えられる花は、春にはチューリップやパンジー、夏にはベゴニアやサルビアが多彩な彩りを奏で、訪問のたびに違った表情を見せてくれます。
この大パルテールの最大の見どころは、その視覚効果にあります。花壇の中心線上に立ち、庭園の奥へと視線を向けてみてください。目線は自然と庭園の端にあるペガサスの泉へと導かれ、その先に広がるザルツブルク旧市街の教会群、そして丘の上に堂々とそびえるホーエンザルツブルク城塞までもが、一幅の完璧な構図として収まります。まるで城塞が庭園の一部であるかのように計算された、この壮大な「借景」の技術は見事です。庭園の美とザルツブルクの歴史的風景、そして遠方のアルプスまでが見事に融合し、一枚の絵画のような景観を生み出しています。この場に立つと、設計者がどれほどこの景観を愛し、入念に計算したのかがひしひしと伝わってきます。
四大元素の像 – 神話の世界の登場人物たちとの対話
大パルテールの周囲には、世界を構成する「火・水・土・風」の四大元素をテーマにした大理石の彫刻が並んでいます。これらの像は17世紀末に彫刻家オッタヴィオ・モストによって制作され、庭園に神話的な深みと物語を添えています。
- 「火」の像:パリスとヘレネ
トロイア戦争の発端となったトロイアの王子パリスがスパルタの王妃ヘレネを連れ去る場面を描いています。燃え盛る情熱や嫉妬、すべてを焼き尽くす戦火の炎を象徴しており、足元には火の神ウルカヌス(ヘパイストス)が武具を鍛える姿も刻まれていて、物語に重厚感を添えています。
- 「水」の像:アイネイアースとアンキセス
トロイア陥落の際、英雄アイネイアースが年老いた父アンキセスを背負い、息子アスカニウスの手を引いて炎から逃げ出す場面です。これが新たな国(後のローマ)建国の旅立ちであり、水を渡る行為が重要なモチーフ。家族愛と、困難な航海を乗り越える強い意志が表現されています。
- 「土」の像:プルートとペルセポネ
冥界の神プルート(ハデス)が、大地の女神デメテルの娘ペルセポネを攫い、冥府へ連れ去ろうとする劇的な瞬間。これによりデメテルが悲嘆に暮れ、地上に冬が訪れたという神話が元になっています。豊穣の象徴である大地(土)と、死と再生の循環を寓意した極めてドラマティックな作品です。
- 「風」の像:ヘラクレスとアンタイオス
ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが、大地の女神ガイアの息子である巨人アンタイオスと格闘している場面。アンタイオスは地に足がついている限り無尽蔵の力を得るため、ヘラクレスは彼を持ち上げ宙に浮かせて絞め殺そうとします。風が吹き荒れるような躍動感と、見えない力(風)との闘いが見事に表現されています。
これらの彫刻は、美しいだけでなく壮大な神話の物語を宿しています。古代ギリシャ・ローマ神話の知識がわずかでもあれば、庭園散策の楽しみは格段に増すでしょう。像の前で立ち止まり、力強い筋肉の躍動や苦悩に満ちた表情をじっくりと観察してみてください。200年以上前に刻まれた石像たちが今にも動き出し、語りかけてくるかのような錯覚に陥ることでしょう。
ペガサスの泉(Pegasusbrunnen) – 芸術の霊感が湧き上がる場所
大パルテールの先、階段を登った高台に位置するのが、翼を持つ馬ペガサスが天へ駆け上がろうとする姿を捉えた「ペガサスの泉」です。この像は元々ザルツブルク大聖堂前広場に設置されていましたが、20世紀初頭にこの場所へ移されました。神話では、ペガサスが蹄で地面を蹴ると、そこから詩や芸術の霊感をもたらす泉が湧き出たと伝えられます。芸術的な空間としてのミラベル庭園の頂点にこの像が据えられているのは、極めて象徴的です。
また、ここは世界中の映画ファンにとっての「聖地」とも言えます。ミュージカル映画の名作『サウンド・オブ・ミュージック』にて、マリア先生とトラップ家の子供たちが「ドレミの歌」のフィナーレをこのペガサスの泉周辺の階段で歌い踊ったシーンが撮影されました。彼らが楽しげにステップを踏み、最後の「ドー!」を力強く歌い上げる姿を思い浮かべながらここに立つと、自然とあの明るいメロディーが心に流れ、思わず笑顔がこぼれます。ぜひ映画の一場面のように階段を駆け上がってみてください。きっと忘れられない思い出になるでしょう。
小人の庭(Zwerglgarten) – 奇妙で愛嬌あふれる石の住人たち
ペガサスの泉の西側の少し人目につきにくい場所には、ミラベル庭園の中でもひと際異彩を放つ「小人の庭」があります。ここには、ザルツブルク近郊ウンタースベルク山から切り出された大理石で作られた、奇妙な表情や独特なポーズをした小人たちの像がずらりと並んでいます。
この庭園は、およそ1715年頃に造られたヨーロッパ最古級の小人庭園として非常に貴重な存在です。バロック時代、宮廷では身体的特徴を持つ人々(小人症の方など)を身近に置くことが一種のステータスとされていました。この庭は、そうした宮廷仕えの実在の人物たちをモデルにしていると伝えられています。像それぞれは、笑みを浮かべたり怒りを表現したり、何か思案に耽ったりと、たいへん人間味の溢れた表情をしています。医者や庭師、踊り子などをモチーフにした像もあり、当時の人々の暮らしぶりをうかがい知ることができます。
しかしこれらの像は、単なる写実的彫刻ではありません。やや誇張され、風刺的かつグロテスクな一面を持ちつつもユーモラスな魅力に満ちています。人によっては少々不気味に感じるかもしれませんが、一体ずつ向き合うと、その個性的な表情や愛らしさにじわじわと惹きつけられるのです。かつてこれらの像は醜悪だとして庭園から撤去され、個人に売却されるという悲しい運命も辿りました。しかし市民の熱意により多くが買い戻され、再びこの地に集められています。運命を共にしてきた石の小人たちが何を思い、何を語ろうとしているのか、想像を膨らませながらの散策もまた興味深いものです。
ヘッケンシアター(Heckentheater) – 緑の壁に囲まれた野外劇場
庭園のメインの軸線から少し外れた場所に、ひっそりと佇むのが「ヘッケンシアター」、すなわち「生垣の劇場」です。高く刈り込まれたトウヒの生垣がまるで壁のように舞台と観客席を包み込み、まるで自然の中に現れた秘密のコンサートホールのような趣があります。アルプス北麓では最も歴史のある生垣劇場のひとつとされ、かつては大司教や貴族たちがここで演劇や演奏会、バレエを楽しんだと伝えられています。緑の壁が音響を効果的に反響させ、独特の音空間を創り出していたことでしょう。
現在も夏季になると、ザルツブルク音楽祭の関連イベントや民族舞踊の公演が開催されることがあります。もし幸運にも公演日に訪れることができれば、バロック時代の貴族たちと同じ場で、星空の下、緑に囲まれた舞台で繰り広げられる芸術を堪能できる、至高の体験が叶います。また何もない日でも、舞台の中央に立ち声を響かせてみてください。緑の壁に包まれた静寂の中で自らの声がどのように反響するかを味わうだけでも、この場所の特別な空気を感じ取ることができるでしょう。
バラ園(Rosengarten)とオランジェリー(Orangerie) – 香りと色彩の饗宴
ミラベル宮殿の南側には、芳しい香りと鮮やかな彩りを誇る美しいバラ園が広がっています。整然と区画割りされた花壇には、多種多様なバラの品種が植栽され、特に初夏の見頃時期には甘く上品な香りが庭園中に漂います。アーチに絡まるつるバラや気高く咲く大輪のバラは、その美しさが見事な調和を奏でます。ベンチに腰掛けて、ゆったりと花の彩りと香りに包まれる時間は、旅の疲れを優しく癒やしてくれる至福のひとときです。
バラ園のすぐ隣には、特徴的な大きな窓が印象的な「オランジェリー」という建物があります。かつては寒さに弱いオレンジやレモンなどの熱帯植物を越冬させる温室として利用されていました。現在では一部がカフェに転用され、美しい庭園を眺めながら優雅なティータイムを過ごせます。冬季にはヤシの木などがこの場所で越冬し、南国のムードを味わうことも可能です。
建築の美 – ミラベル宮殿の内部へ

多くの観光客は庭園の美しさに心を奪われるあまり、宮殿の内部を見落としがちですが、それは非常にもったいないことです。現在、ミラベル宮殿はザルツブルク市長のオフィスや市の行政機関として利用されていますが、その一部は一般公開されており、息をのむほど美しい空間が広がっています。
大理石の間(Marmorsaal) – 天使が舞う、世界で最も美しい結婚式場
宮殿の2階に位置する「大理石の間」は、ミラベル宮殿の見どころのひとつであり、ヨーロッパでも指折りの華麗な祝典ホールとして高く評価されています。その名の通り、壁や床には豪華な大理石が惜しみなく使われており、壁面は金箔で豪華に装飾されています。天井を見上げると、無数のプット(翼を持つ幼い天使)が舞い踊る彫刻が施され、まるで天界に迷い込んだかのような幻想的な雰囲気です。この部屋は、1818年に起こった大火災の際にも奇跡的に焼失を免れ、宮殿内でも特に貴重な場所として位置づけられています。
さらに、この部屋を特別な存在にしているのは、音楽史に刻まれた輝かしい逸話です。若き日のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが父レオポルトと共に、この「大理石の間」で当時の大司教の前で演奏を披露したのです。天才少年が奏でたであろう繊細かつ華麗なチェンバロの調べが、この豪華な空間にどのように響き渡ったかを想像すると、鳥肌が立つほどの感動が蘇ります。
現在、この「大理石の間」は世界中から多くのカップルが訪れる人気の結婚式場として利用されています。「世界で最も美しい結婚式場」とも称され、ここで愛を誓うことは多くの人々の憧れとなっています。また、夜には「ザルツブルク宮殿コンサート」と題し、モーツァルトを始めとするクラシック音楽のコンサートがほぼ毎晩開催されています。神童モーツァルトがかつて演奏した歴史的な空間で、一流の音楽家たちの生演奏を聴く体験は、音楽の都ザルツブルクならではの贅沢なひとときと言えるでしょう。
アルプスを借景にした庭園の楽しみ方 – ザルツブルクならではの絶景
ミラベル庭園の魅力は、その庭園自体の美しさにとどまらず、ザルツブルクという街が持つ独特の地理的特性を最大限に活かした景観の楽しみ方を知ることで、一層深まります。
完璧な写真を撮るためのゴールデンアワー
ミラベル庭園から見えるホーエンザルツブルク城塞の眺めは、ザルツブルクを象徴するポストカードのような絶景です。この風景を撮影するなら、「ゴールデンアワー」と呼ばれる時間帯を狙うのがおすすめです。ゴールデンアワーとは、日の出直後や日没直前の、太陽の光が柔らかく黄金色に輝く時間のことを指します。
早朝、まだ観光客が少ない時間帯に訪れると、朝日に照らされたホーエンザルツブルク城塞が荘厳に姿を現し、庭園の花々は朝露に濡れてきらめきます。澄んだ空気の中、静寂が広がり、鳥のさえずりだけが響く、まるで魔法のような時間を味わうことができるでしょう。夕暮れ時には、西に傾く太陽の光が城壁をオレンジ色に染め、庭園に長い影を落とします。空がピンクから紫へと絶え間なく変化していく様は、まるで印象派の絵画そのもののよう。特にペガサスの泉の階段の上から、大パルテール越しに城塞を眺める構図は格別です。この幻想的な光景は、旅の思い出に深く刻み込まれる一枚となるでしょう。
音楽の都を五感で感じる — 庭園散策のポイント
ミラベル庭園はその視覚的な美しさだけでなく、五感すべてで味わう場所です。ただ歩くだけでなく、ぜひお気に入りのベンチに腰をかけて、しばらくゆったりと過ごしてみてください。
目を閉じると、花の甘い香りや刈りたての芝生の匂いが風に乗って運ばれてきます。耳を澄ませば、噴水の心地よい水音や遠方の教会の鐘の音、さらには宮殿内「大理石の間」から漏れてくるコンサートのリハーサルの音が、まるでザルツブルクの街全体が奏でるアンビエントミュージックのように響いてきます。手には近くのカフェで買った温かいコーヒーを持ち、そんな風にゆったりとした時間を過ごすことで、ただ景色を「見る」だけでなく、この場所の空気や雰囲気を「感じる」ことができるのです。
季節ごとの楽しみ方も多彩です。春には命あふれる色とりどりの花々に心が躍り、夏はヘッケンシアターの緑陰で涼をとり、秋には色づく木々と少し物寂しい空気に心を沈め、冬は雪化粧に包まれた純白の庭園の静けさに息を呑みます。一年を通じて、ミラベル庭園は常に新たな顔を見せて、訪れる人々を迎え入れてくれます。
ミラベル庭園に隠されたトリビア – 知ればもっと楽しくなる豆知識

ミラベル庭園には、その美しい風景の背後に、知ると思わず誰かに伝えたくなるような興味深いトリビアがたくさん隠されています。いくつかご紹介します。
- 小人像のモデルは実在の宮廷道化師?
小人の庭にある像は、単なる空想上のものではなく、当時の大司教に仕えていた実在の小人たちをもとにしているという説が有力です。彼らは宮廷の道化師や話し相手として、主君を楽しませる役割を果たしていました。しかし、その彫刻はどこか誇張されており、彼らの身体的特徴が戯画的に表現されています。これは、当時の権力者たちの珍奇なものへの興味と、やや歪んだ美意識の反映だったのかもしれません。像の表情をじっと見ると、ただ面白おかしいだけでなく、どこか哀愁のようなものも感じられるのはそのためでしょう。
- 『サウンド・オブ・ミュージック』撮影の舞台裏
ペガサスの泉のシーンは映画の中でも特に有名ですが、撮影は決して簡単なものではなかったそうです。子供たちが泉の縁を走り回る場面では、子役の一人が誤って泉に落ちてしまうというハプニングがありました。幸い大事には至りませんでしたが、濡れてしまった衣装を乾かす間、撮影は一時中断されました。監督のロバート・ワイズは、その子役をなだめるのに苦労したと言われています。また、マリア役のジュリー・アンドリュースは、完璧なダンスシーンを撮るために、あの階段を何度も上り下りしたと伝えられています。映画の中のあの楽しげな表情の裏には、俳優たちの並々ならぬ努力が隠されているのです。
- 年に二度の花壇の「お色直し」
大パルテールの華やかな花壇は、庭師たちの綿密な計画と日々の努力によって維持されています。実はこの花壇、春と夏の年に二回、すべての花が植え替えられているのです。デザインは毎年変わり、専門のデザイナーが次のシーズンの設計図を事前に作成します。何万本もの苗を設計図通りに寸分の狂いなく配植していく作業は、まさに職人の技といえます。私たちが何気なく見ている美しい模様は、庭園を管理する人々の情熱と誇りが凝縮されたものです。訪れる時期によって全く異なるデザインに出会えるのも、ミラベル庭園の魅力のひとつです。
- 大司教とサロメ・アルトの愛の物語
庭園の創設者である大司教ヴォルフ・ディートリヒと、その愛人サロメ・アルト。彼の没落後、二人は引き離されてしまいました。サロメは子供たちとともにウィーン近郊へ追放され、そこで静かに余生を過ごしたと伝えられています。大司教が彼女と子供たちのために建てたこの宮殿は、二人が共に暮らした幸せな時間の証であると同時に、実らなかった愛のモニュメントとしても意味を持っています。庭園の美しさの根底に、そんな切ない愛の物語が流れていると思うと、一つひとつの花や彫刻がより一層感慨深く感じられることでしょう。
庭園散策の後に – 周辺のおすすめスポット
ミラベル庭園を充分に楽しんだ後は、その周辺のエリアにもぜひ足を伸ばしてみてください。庭園のすぐ近くには、魅力的なスポットが点在しています。
- ザルツァッハ川沿いの散策
庭園のすぐ西側を、ザルツブルクの街を二分するザルツァッハ川が流れています。川沿いの遊歩道は散歩やジョギングにぴったりのコースです。ミラベル庭園側から川の向こうに広がる旧市街の景色は格別で、特に夕暮れどきにはライトアップされたホーエンザルツブルク城塞が水面に映り、幻想的でロマンチックな雰囲気を醸し出します。
- マカルト橋(Makartsteg)
ミラベル庭園から旧市街へと渡る歩行者専用の橋がマカルト橋です。この橋の金網には、世界各地から訪れたカップルが愛の誓いとして取り付けたカラフルな南京錠がびっしりと並んでいます。「愛の南京錠(Liebesschlösser)」として知られ、ザルツブルクの新たな名所となっています。
- モーツァルトの住居(Mozart-Wohnhaus)
マカルト広場に面して建つ黄色い壁の建物が、1773年からモーツァルト一家が暮らした家です。内部は博物館になっており、彼が使っていたピアノフォルテや自筆の楽譜などが展示されています。ミラベル宮殿の「大理石の間」で聴いた音楽の余韻を胸に訪れると、より一層モーツァルトの世界に深く浸ることができるでしょう。
ミラベル庭園へのアクセスと基本情報

最後に、ミラベル庭園を訪れる際に役立つ実用的な情報をご紹介します。ザルツブルク観光を計画する際の参考にぜひご活用ください。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | ミラベル庭園(Mirabellgarten) |
| 所在地 | Mirabellplatz, 5020 Salzburg, Austria |
| アクセス | ザルツブルク中央駅(Salzburg Hbf)から徒歩約15分。旧市街(ゲトライデガッセなど)からザルツァッハ川を渡って徒歩約10分。 |
| 庭園開園時間 | 毎日、朝6時頃から日没まで(季節により変動あり) |
| 宮殿開館時間 | 大理石の間は市役所の開庁時間に合わせて公開。イベントがない時間帯での見学が可能(目安:月・水・木 8:00~16:00、火・金 8:00~13:00)※事前に確認をおすすめします。 |
| 入場料 | 庭園および宮殿(大理石の間など)は無料で入場可能。 |
| 特記事項 | 庭園内にはバリアフリー対応の通路が整備されています。コンサートは別途チケットが必要となるため、公式サイトなどでスケジュールをチェックしてください。 |
この庭園は単なる美しい場所ではありません。一人の男性の情熱的な愛から始まり、バロック芸術の粋を集めて造られ、音楽の天才の足跡が息づき、映画の舞台としても世界中の人々に親しまれるまで、多層的な物語が息づく場所です。ミラベル庭園を訪れることは、ザルツブルクという街の精神に触れることでもあります。次にこの地を訪れた際には、ぜひゆっくりとその空間が紡ぎ出すシンフォニーに心を傾けてみてください。きっとあなたの旅の中で最も印象深い旋律として、記憶に強く刻まれることでしょう。

