グラスの中の氷がからんと音を立てる。クアラルンプールの喧騒に満ちたバーの片隅で、僕は次の旅先に思いを馳せていた。地図を広げ、指が止まったのはマレー半島の中央、広大な緑の塊。タマン・ネガラ国立公園。その名が意味するのは、マレー語で「国立公園」。あまりにストレートな名前を持つその場所は、約1億3000万年前から続く、世界最古の熱帯雨林だという。アマゾンやコンゴの森よりも遥かに古く、氷河期の影響すら受けなかった、生きた化石のような森。想像するだけで、喉が渇く。そこに息づく生命の密度は、一体どれほどのものなのだろう。
「太古の森が、僕を呼んでいる」
誰に言うでもなく呟き、僕は残っていたジンを呷った。決めた。次の冒険の舞台は、タマン・ネガラだ。都市のコンクリートジャングルを抜け出し、本物のジャングルに身を浸してみようじゃないか。そこにはきっと、まだ僕の知らない地球の鼓動が、けたたましく鳴り響いているはずだ。文明の音をすべて消し去り、生命が奏でるシンフォニーに耳を澄ませる旅が、今、始まろうとしていた。
この太古の森の旅を終えた後は、マレーシアの涼しい高原、キャメロンハイランドの苔むした森で、別世界の静寂に包まれてみるのも一興だ。
ジャングルの心臓部へ。冒険の始まりはクアラ・タハンから

クアラルンプールの喧騒を背にローカルバスに揺られて約4時間。湿った熱気とスパイスの香りが混ざる街、ジェラントゥトにたどり着く。ここがタマン・ネガラへの入口だ。旅人の多くはここからさらにバスを乗り継ぐか、冒険の始まりとしてボートを選ぶ。僕は迷わず後者を選択した。テンベリン川を遡る約3時間の船旅は、俗世から聖域への移行として完璧な儀式に思えたからだ。
細長いボートに乗り込むと、エンジンが唸りを上げ、茶褐色に濁った川面を滑るように進み始めた。両岸には濃密な緑の壁が迫り、水浴びをする水牛の群れや、木の枝で手足を伸ばすオオトカゲの姿も見られる。都会の景色は完全に姿を消し、文明の音も遠のいていく。代わりに耳に入るのは、エンジンの音と時折響く鳥や猿の鳴き声だけ。川風が頬を撫で、湿った土と植物の香りが体中に広がる。ああ、これだ。僕が求めていたこの感覚。徐々にジャングルの一部になっていくような、不思議な高揚感が全身を包む。
やがてボートは、旅の拠点となるクアラ・タハン村に到着した。川岸にひっそりと広がる小さな村。高床式のゲストハウスやロッジが並び、その間を鶏たちが自由に歩き回っている。ここでは時間がゆったりと流れているように感じられた。村の対岸には公園管理事務所と、この地域唯一のリゾートホテルである「ムティアラ・タマン・ネガラ・リゾート」が見える。村とリゾートは、1リンギット(約30円)でいつでも利用できる小さな渡し舟で結ばれている。
僕が最初に訪れたのは、川にぷかぷかと浮かぶ「フローティングレストラン」。文字通り水上の筏に設けられた食堂だ。揺れる床の上でマレーシア料理のナシゴレンを頬張り、冷たいタイガービールを流し込む。目の前には雄大なテンベリン川と、その向こうに広がる果てしないジャングル。これからあの森の奥深くへと分け入るのだと思うと、期待が胸を張り裂けんばかりだった。レストランには世界中から集まった旅人たちの姿があり、彼らの日焼けした顔と輝く瞳が冒険への期待を一層かき立ててくれる。
食事を終えたら、まずは冒険の準備を整える必要がある。対岸にある公園管理事務所で、入園許可証(パーミット)とカメラライセンスを取得する。手続きは驚くほど簡単で、パスポートを見せて名前を書くだけだ。料金は入園料が1リンギット、カメラライセンスが5リンギット。合わせて6リンギット、200円にも満たない安価で、この古代の森へのパスポートが手に入る。このパーミットは常に携帯が義務付けられているため、防水ケースに入れて大切に保管した。
そして何より重要なのは、信頼できるガイドを手配することだ。タマン・ネガラの森は素人が単独で歩くには広大かつ危険すぎる。村には多数のツアー会社のオフィスがあるが、僕はリゾートのツアーデスクで情報を集めた。経験豊富な政府公認ガイドが揃い、初心者向けの日帰りツアーから数日間に及ぶ本格的なキャンプトレッキングまで、多彩なプログラムが用意されている。僕は迷わず、ジャングルの奥深くで一泊する1泊2日のトレッキングツアーに申し込んだ。料金はやや高めだが、安全性と何より深い体験に替えられない価値がある。
ガイドのラシッドは、日焼けした笑顔が印象的な小柄ながら引き締まった体つきの男性だった。「ジャングルはスーパーマーケットと同じだ」と彼は笑いながら言った。「食べ物も薬も、家の材料もすべて揃っている。ただ、知識がなければそれは単なる森に過ぎない」。彼の言葉に、僕の冒険心は一気に高まった。さあ、準備は完了だ。1億3000万年の歴史を持つこの森よ、どうか僕を迎え入れてほしい。
五感を研ぎ澄ませ。世界最長のキャノピーウォークウェイで空を歩く
本格的なトレッキングに挑む前の準備として、まずは森への挨拶代わりに、タマン・ネガラ名物のキャノピーウォークウェイを体験することにした。クアラ・タハンの船着き場からボートで数分乗ると、対岸のジャングル入口にたどり着き、そこからトレイルを歩き始める。全長は530メートル、最高地点は地上から約40メートルに達する。世界最長の吊り橋として知られるこの空中回廊は、森をまったく新しい角度から見せてくれるという。
トレイルは木製の板で整備されているが、熱帯雨林特有の高い湿度で滑りやすい。一歩ずつ慎重に足元を確かめながら進む。周囲には名前も知らない鳥の鳴き声や昆虫の羽音、風が木々の葉を揺らす音が、まるで自然のオーケストラのように絶え間なく響いている。湿度が90%を超える空気は肌にまとわりつき、歩き始めて間もなく全身から汗が噴き出す。しかし、その汗さえも自分が森の一部となった証のようで、不思議と心地よい気分になるのだった。
歩くこと約30分。目の前に、巨大な木の幹から幹へ渡された、頼りなげな吊り橋が姿を現した。これがキャノピーウォークウェイの入口だ。入場料5リンギットを支払い、スタッフから「一度に渡れるのは4人まで」「前の人とは5メートルの間隔を開ける」といった簡単な注意事項を受ける。足を一歩踏み出すと、橋はギシギシと音を立てながら大きく揺れた。思わず手すりを強く握りしめてしまう。足元は細い木板とネットだけで、その隙間から遥か下の地面が見える。高所恐怖症ではないつもりだったが、さすがに足がすくむ思いだった。
だが、恐怖心を抑えて顔を上げると、息をのむような景色が広がっていた。今いるのは、普段は地上から見上げるしかできない巨大な木々の中腹あたり、いわば森の「第二層」だ。熱帯雨林が階層構造を持つという話を本で読んだことはあったが、実際に体験するのは初めてだった。シダや着生植物がびっしりと枝に張り付き、色鮮やかな蝶がひらひらと舞い、遠くの木の上ではテナガザルの群れが軽やかに枝から枝へ飛び移っていく。まるで自分が鳥になったかのような非現実的な浮遊感を味わうことができる。地上を歩いているだけでは到底得られない、特別な視点だった。
吊り橋は一本だけでなく、いくつかのプラットフォームを経て続いている。一つの橋を渡り終え、大木の幹に設けられた足場で一息つくと、ふと足元を見下ろした。はるか下を他のハイカーたちが歩いているのが見えたが、彼らからは僕の姿は見えないだろう。この森がいかに広大で、立体的な空間であるかを痛感させられる瞬間だった。
風が吹くと、森全体が巨大な生き物のようにざわめき、吊り橋もそれに合わせてゆっくりと揺れる。その揺れに身を任せているうちに、恐怖心はいつしか薄れ、森と一体化したような感覚が芽生えてきた。全長530メートルの空中散歩は、約40分ほどで終了。地上に戻ったとき、自分がさっきとは違う人間になったような不思議な感覚に包まれていた。森を見上げるのではなく、森の中から森を見つめる。この体験が、僕の五感を鋭く研ぎ澄まし、これから始まるジャングルの冒険に向けて心を整えてくれたのだった。
この体験を通じて改めて感じたのは、服装の重要性だ。少し歩くだけでも滝のように汗をかくため、コットン素材は避けるべき。汗をかいてもすぐに乾く化学繊維の長袖シャツと長ズボンは必須だ。肌の露出は、虫刺されや植物によるかぶれを防ぐためにできるだけ控えたい。また、足元は滑りにくく、できれば防水性のあるトレッキングシューズが安心だ。ジャングルの洗礼は、いつだって容赦なく襲いかかってくるのだから。
夜の森は生命の劇場。ナイトウォークで出会う神秘の住人たち

陽が沈み、クアラ・タハンの村が静けさに包まれる頃、ジャングルは夜ならではの姿を現し始める。昼の住人たちが眠りに就くと、今度は夜の生き物たちの時間だ。夕食を終えた僕はヘッドライトを装着し、ガイドのラシッドと一緒にナイトウォークへと足を踏み出した。昼間とは異なり、漆黒の闇に包まれた森の入口に立つと、自然と緊張が走るのを感じる。
「心配いらない、俺についてきて。夜の森は昼よりずっと賑やかだから」
そうラシッドは笑みを浮かべて言い、闇の中に入っていった。彼の背中を追いながら進むと、その言葉の意味がすぐにわかる。耳を突き刺すような虫の鳴き声、ゲコゲコと響くカエルの群れ、そして遠くから聞こえる、恐らくはフクロウの鳴き声。真っ暗な闇が視界を奪う代わりに、聴覚は研ぎ澄まされ、昼間では気づかなかった無数の命の気配が闇の中からじわじわと立ち上るのだった。
僕たちの頼りは、ヘッドライトのわずかな光だけだ。ラシッドはその光を巧みに使いながら、次々と夜の住人たちを見つけ出していく。葉の裏に潜む小鳥、枝そっくりのナナフシ、手のひらほどもある巨大なバッタ。彼の目には、僕にはただの葉や枝にしか見えないものがすべて生き物として映っているようだった。
「ほら、見てごらん」
ラシッドが指差した先、光の輪の中に青白く輝くサソリがいた。ブラックライトで妖しく光ると聞いたことはあったが、まさかここで実物を目にするとは。毒々しさの中に美しさも感じられ、その姿に思わず見惚れてしまった。さらに進むと、今度は樹幹に巨大なムカデが張り付いている。体長20センチはありそうなその姿はかなり迫力があるが、これもまた森の生態系を支える大切な存在なのだ。
ナイトウォークで最も気をつけねばならないのがヒル対策だ。熱帯雨林、特に雨上がりの夜はヒルの楽園となる。奴らは地面や葉の上から忍び寄り、音もなく体温を感じて吸いついてくる。噛まれても痛みはほとんどないが、止血しにくい成分を注入するため、後処理が厄介だ。これを防ぐために必須なのが「ヒルソックス」。膝下まである厚手の靴下をズボンの上から履くことで、ヒルの侵入を防ぐことができる。村の売店でも買えるので、ジャングルに入る前にぜひ用意しておきたい。
しばらく歩いた後、ラシッドがふとヘッドライトを消した。「少し目を閉じて。それからゆっくり開けてみて」と言われるままにすると、まず闇に包まれ、次第に目が慣れてくる。すると足元のあちこちに、かすかに光る小さな点が見えてきた。それは光るキノコで、まるで地上に落ちた星々のような幻想的な光景だった。自ら光を放つ生命の儚く美しい姿に、この森の深遠な一面に触れた感動が静かに胸に広がった。
約2時間のナイトウォークを終え村へ戻ると、心地よい疲労感とともに高揚した気持ちが満ちていた。昼の森が壮大な交響曲だとすれば、夜の森は静謐で神秘的な弦楽四重奏のようだ。暗闇の中で繰り広げられる無数の小さな命のドラマが、ヘッドライトの光がなければ気づくこともできないもう一つの世界を作り上げていた。タマン・ネガラを訪れるなら、この夜の劇場が幕を開ける瞬間をぜひ体験すべきだ。
深淵を覗く。ジャングルトレッキングで知る、本当の森の姿
キャノピーウォークとナイトウォークで森の輪郭をつかんだ翌日、いよいよ1泊2日の本格的なジャングルトレッキングが始まった。僕とラシッド、そして同じツアーに参加していたドイツ人カップルの4人で、川をボートで遡り、より奥深いトレイルヘッドを目指す。ここからは整備された遊歩道はなく、まさに本物のジャングルの領域となる。
背中に食料や水、寝袋、着替えを詰め込んだリュックがずっしりと重くのしかかる。ラシッドは軽やかに先を行くが、僕たちはすぐに息が上がった。複雑に絡み合う木の根、ぬかるんだ急斜面が連なり、一歩ごとにトレッキングシューズが泥に沈み、抜き出すのに力を要する。全身から汗が噴き出し、シャツはあっという間にびっしょり濡れてしまった。これが世界最古の森からの洗礼なのだろう。
だが、苦しさばかりではなかった。見渡す限り広がる光景は圧巻だった。フタバガキの巨大な樹々が天にそびえ、背丈ほどもある巨大なシダ植物、見たこともない色や形をした花々。ラシッドは時折足を止め、森の秘密を教えてくれる。
「この木の樹液は傷薬になるし、こちらの葉は熱を冷ます効果があるんだ」
彼はナイフで蔓を切り、断面から滴る水を飲ませてくれた。ほのかに甘く青臭い、それはまさしく生命の味がした。動物の足跡を見つけては、何の動物でいつ頃通ったのかを解説してくれる。彼の視点を通した森は、もはや単なる植物の集まりではない。入り交じる命が複雑に絡まり合い、お互いに影響を及ぼしながら存在する巨大な生態系そのものであった。
昼食は小川のほとりで取った。ラシッドは大きな葉を皿がわりにし、持参したマレーシアの国民食、ナシレマを振る舞ってくれた。川のせせらぎと鳥のさえずりを聞きながらの食事は格別だ。食後、ドイツ人の彼が「泳いでもいい?」と尋ねるとラシッドは笑顔で頷いた。僕たちも服を脱ぎ、水の冷たさに飛び込む。汗と泥にまみれた体が洗い流され、生まれ変わったような清々しさを感じた。
午後になると空が急に暗くなり、バケツをひっくり返したような激しいスコールが降ってきた。熱帯雨林の雨は日本とはまったく異なる。激しい雨粒が一気に視界を白く染め、地面はまるで川のようになる。僕たちは大きな木の根元に身を寄せ、レインウェアにくるまって雨の通り過ぎるのを待った。轟く雨音を聞きながら、自然の力の壮大さと人間の無力さを痛感する。しかし30分も経たぬうちに雨は止み、濡れた樹々の間から再び太陽の光が差し込んできた。雨上がりの森は一層植物の香りが濃くなり、すべてがきらきらと輝いて見えた。
その日のキャンプ地は川沿いの開けた場所だった。ラシッドはナタ一本で器用に木を切り出し、あっという間に寝床となるシェルターを完成させた。葉で屋根を葺き、地面には防水シートを敷く手際の良さにただただ感嘆する。夕食の準備をしながら、彼は語った。
「森は与えてくれるが、ルールを破れば厳しく罰する。敬意を払うことが何より大切なんだ」
夜は焚き火を囲みながら過ごした。ぱちぱちと燃える火が僕たちの顔を赤く照らす中、ラシッドが森にまつわる古い物語を語ってくれた。虎の精霊の伝説や森に住む小人の話。これらは何世代にもわたり、この森とともに生きてきた人々の知恵と畏怖の証なのだ。
寝袋に包まり、シェルターの屋根の隙間から星空を見上げる。無数の虫の声が子守唄のように響く。文明の便利さは何もない。電気もベッドも上下水道もない。しかしそこには不思議な安心感があった。自分はただ今、1億3000万年の歴史を持つこの偉大な森の懐に抱かれて眠っているのだ。その事実が胸に深い感動をもたらした。
翌朝は猿のけたたましい鳴き声で目覚めた。朝霧が漂う中、森は静かに目覚めようとしている。簡単な朝食をとり、僕たちは再び歩き出す。昨日より体が森に馴染み、足取りも呼吸も少しだけジャングルと同調しているように感じられた。このトレッキングは単なるアドベンチャーではなく、森と対話し、自分自身と向き合う特別な時間となった。森の深淵をのぞき込み、その一部となる。この経験は僕の価値観を根底から揺るがす、忘れがたいものとなった。
オラン・アスリの村を訪ねて。森と共に生きる人々の暮らしに触れる
タマン・ネガラの森は、単なる野生動物や植物の世界だけではない。ここには古くから森と共に暮らしてきた人々が存在する。マレーシアの先住民族、オラン・アスリだ。僕が参加したツアーには、彼らの村を訪ねるプログラムも含まれていた。
ボートで川をさらに遡り、特定の船着き場ではない川岸に上陸する。ラシッドを先頭に、まるで獣道のような細い小道を進むと、突然視界が開け、簡素な木の葉葺きの高床式住居がいくつも現れた。そこはバテッ族が住む小さな集落だ。
村の男性たちが僕たちを迎えてくれた。彼らの肌は太陽に焼かれて黒く、その瞳は森の深みと同じ色をしていた。言葉は通じなくとも、彼らの穏やかな表情から歓迎の意が感じられた。村には電気も水道もなく、生活のすべては森からの恵みに依存している。
最初に見せてくれたのは、狩猟に使う吹き矢だった。長さが2メートルほどもある竹筒で、その使い方を村の若者が実演してくれた。細い矢を筒に入れて息を吹き込み、シュッという音と共に矢が放たれる。20メートル先の木の実に正確に突き刺さったその技術の素晴らしさに、思わず拍手が湧き起こった。
矢の先端には猛毒の樹液「イポーの木」が塗られているという。小さなサルを狩るためにも、この毒が不可欠だとラシッドは説明してくれた。彼らにとって、狩猟はスポーツではなく、生きる糧を得るための真剣な営みなのだ。
次に見せてくれたのは火起こしの技術だった。乾燥した木と棒を巧みに擦り合わせると、数分も経たないうちに煙が立ち上り、やがて小さな火種が生まれた。ライターやマッチが当たり前の僕たちの世界から見ると、それはまるで魔法のようだった。彼らは何千年もの間、変わらぬ方法で火という人類文明の根源を手にしてきたのだ。
彼らの生活は、僕たちの価値観では「貧しい」と見えるかもしれない。しかし、彼らの顔に悲壮感は微塵もなく、むしろ満ち足りて穏やかな表情だった。彼らは必要なものだけを森から受け取り、決して森を破壊せず共生している。森は彼らにとって、スーパーマーケットであり病院であり、神聖な住まいなのだ。
この村を訪れる際に重要なのは、敬意を持つことだ。僕たちは彼らの生活の場にお邪魔している「訪問者」にすぎない。写真を撮る前には必ず許可を取り、子供たちにむやみにお菓子を与えないなど、最低限のマナーを守ることが求められる。彼らの暮らしをショーとして消費するのではなく、一つの文化として敬意を払う心構えが必要だ。
わずか1時間の滞在だったが、この体験は僕に多くのことを考えさせた。真の「豊かさ」とは何か。物質的な便利さや快適さだけが豊かさの基準なのだろうか。森のリズムに調和し、自然の一部として生きる彼らの姿が、文明社会で多くを失った僕たちに、静かに何か大切なことを問いかけているように感じられた。
タマン・ネガラへの旅を計画する君へ。準備と心構えのすべて

さて、これまで僕のジャングル体験を語ってきたけれど、君の中にも「行ってみたい」という小さな火が灯っているのではないだろうか。その火をもっと大きな炎にするために、旅の先輩として、もう少し具体的な話をしてみよう。これを読めば、きっと君はタマン・ネガラ行きのチケットを探し始めているはずだ。
まず、あの場所への行き方だが、クアラルンプールからのアクセスが一般的だ。最も手軽なのは、旅行会社が運行する直通のミニバスだ。市内のホテルまで迎えに来てくれて、乗り換えなしでクアラ・タハン村まで連れて行ってくれる。時間はかかるが、最も楽な方法である。一方、冒険気分を味わいたいなら、ローカルバスでジェラントゥトまで行き、そこからボートに乗るルートをおすすめする。この3時間の川旅は、最高の前奏曲となることを保証しよう。
次に宿泊施設について。選択肢は大きく二つに分かれる。公園の敷地内にある唯一の宿泊施設「ムティアラ・タマン・ネガラ・リゾート」か、川の向こう岸に位置するクアラ・タハン村のゲストハウスだ。リゾートは快適でレストランやツアーデスクも充実しているが、その分料金は高めだ。一方、村のゲストハウスはリーズナブルで、よりローカルな雰囲気を楽しめる。フローティングレストランも村側にあるので、食事にも便利だ。どちらを選ぶかは君の旅のスタイルや予算によるが、僕なら両方の良さを味わうために、何泊かずつ滞在してみるかもしれない。
旅行に適したシーズンはいつかというと、一般的には乾季にあたる3月から9月頃がベストとされている。トレイルがぬかるみにくく、ヒルも少ないためだ。ただし、ここは熱帯雨林だということを忘れないでほしい。乾季といえども毎日のようにスコールがあり、湿度も高いままだ。逆に雨季には、ドリアンをはじめとしたトロピカルフルーツが旬を迎える魅力もある。どの時期に訪れても、ジャングルはそれぞれ異なる表情で君を迎えてくれるだろう。
そして、最も重要な持ち物について話そう。リストにするよりも、僕の言葉で伝えたい。まず、足元がこの旅の成否を左右すると言っていい。防水で滑りにくいトレッキングシューズは必須だ。スニーカーでは、ぬかるみの坂道で苦労することになる。そして、その靴の中にはヒルソックスを必ず履いてほしい。これは不快な吸血ヒルから君を守る最強の盾となる。
次に、君の肌を守る第二の皮膚として、速乾性の長袖シャツと長ズボンを用意しよう。コットンのTシャツは汗で濡れると乾かず、体を冷やしてしまう。ジャングルでは、快適さが体力を保つ鍵だ。夜間に森を歩く場合は、両手が自由になるヘッドライトが暗闇を照らす希望の光になる。懐中電灯だけだと、ぬかるみで転んだ時に役立たないからね。
突然のスコールに備えて、防水バッグでバックパックの中身を守り、自分自身を守るためのレインウェアも必携アイテムだ。虫除けスプレーも忘れずに。DEETの濃度が高いものが効果的だ。そして、この素晴らしい体験を記録し、記憶に残すためのカメラと、その命綱となるモバイルバッテリーも持っておこう。万が一に備えて、常備薬や絆創膏などの簡単な救急セットも忍ばせると安心だ。
最後に費用について。旅のスタイルによって大きく変わるが、一つの目安として、クアラルンプールからの3泊4日の滞在で、宿泊費、食費、基本的なツアー(キャノピーウォーク、ナイトウォーク、ボートトリップなど)を含めて3万円から5万円ほど見ておけば十分に楽しめるだろう。もちろん、数日間にわたる本格的なトレッキングに参加する場合は、さらに予算が必要となる。
初心者が感じる不安もいくつかあるだろう。「体力に自信がないんだけど…」という声には大丈夫と答えたい。タマン・ネガラには、1時間程度の軽いハイキングから、僕が参加したキャンプ泊のような本格コースまで、さまざまなレベルのトレイルがある。自分に合ったものを選べば問題ない。「危険な動物は?」ガイドと同行し、ルールを守っていれば危険な動物に出会う確率は非常に低い。むしろ彼らのテリトリーにお邪魔する謙虚な姿勢を忘れないことが大切だ。「言葉は?」ここは世界中から観光客が集まる場所。ガイドやホテルスタッフは流暢な英語を話すので、コミュニケーションで困ることはほぼないだろう。
さあ、どうだろう。ジャングルへの扉はもう君の目の前にある。あとは、その扉を開く勇気だけだ。
森が教えてくれたこと。旅の終わりに想う
クアラ・タハン村を離れる朝、僕は再びボートに乗ってテンベリン川を下っていた。数日前に期待に胸をふくらませて遡った同じ川だ。しかし、目に映る光景は行きの時とはまったく異なっていた。ただの緑の塊のようにしか見えなかった森が、今では無数の命が密集する壮大な生き物のように感じられる。葉がこすれる音、鳥のさえずり、川のせせらぎ。そのすべてが、1億3000万年の歳月をかけて紡ぎ出された生命の壮大なシンフォニーのように響いた。
ジャングルで過ごした数日間は、多くのことを僕に教えてくれた。文明社会で当たり前と思っていた快適さが、いかに脆く不安定な基盤の上に成り立っているか、そして不便で何もない環境の中にこそ人間が本来持つ五感や生命力が目覚めることを。夜の闇の深さ、焚き火の温もり、川の冷たい水。都会では決して味わえない原始的な感覚が、体と心をまるでリセットしてくれたのだ。
森は厳しくもあり、また優しくもあった。容赦ないスコールが僕たちを打ち付ける一方、美しい滝や清らかな飲み水を与えてくれた。無数のヒルや虫が僕たちを苦しめたが、夜には光るキノコという幻想的な光景を見せてくれた。自然は支配し克服すべき対象ではなく、敬意を持ってその一部として共に生きるべき存在だと、身をもって理解した。
この旅は単なる観光旅行ではなかった。それは地球の記憶が刻まれた聖なる場所への巡礼に近かったのかもしれない。僕たちが普段暮らしている世界がどれほど新しく、そしてこの星の悠久の歴史から見ればわずかな瞬間に過ぎないことを、タマン・ネガラの森は静かに語りかけてきた。
もし君が日常に少し疲れを感じているなら。もし生命の本当の力強さに触れたいと願うなら、マレー半島の心臓部へ旅してみてはどうだろうか。そこには、1億3000万年の森が紡ぐ生命の交響曲が待っている。その音に耳を澄ませば、きっと明日を生き抜くための新たな力が心の奥底から湧き上がってくることだろう。

