持たない旅を信条とする筆者が、愛媛県砥部町で砥部焼の皿と出会い、モノを所有する意味を問い直す旅。砥部焼は、温かみのある白磁に藍色の文様が特徴で、日常に寄り添う「用の美」と堅牢さを兼ね備える。砥部では、窯元巡りや陶芸体験を通じて、土と炎、人の手が織りなす静謐な世界に触れることができる。
旅とは、捨てることだと考えていました。身軽になるほど、心は自由になる。私の旅道具は、容量5リットルの小さなリュックサック一つです。しかし、そんな私が旅の終わりに、一つの「モノ」を手にしました。それは愛媛県砥部町で出会った、一枚の砥部焼の皿です。この旅は、モノを所有することの意味を、静かに問い直す時間となりました。砥部焼の魅力は、日々の暮らしに寄り添う飾らない美しさと、作り手の確かな温もりが宿る手触りにあります。白磁の肌に描かれた藍色の文様は、雄弁でありながら決して主張しすぎません。愛媛・砥部への旅は、喧騒から離れ、土と炎、そして人の手が織りなす静謐な世界に触れることで、心に豊かな余白をもたらしてくれるでしょう。この記事では、私が砥部で体験した、用の美と出会う旅の記憶を綴ります。
この静かな出会いは、古都ホンダで感じられる歴史と信仰の重みを彷彿とさせ、旅の奥深さを改めて実感させます。
砥部焼とは何か?白磁に映る伊予の空

砥部焼という言葉を聞いて、どのような器を思い浮かべるでしょうか。多くの方は、ぽってりとした厚みのある白磁に、伸びやかで鮮やかな藍色の絵付けが施された姿を思い描くかもしれません。そのイメージはまさに砥部焼の本質を的確に表しています。砥部焼は派手な装飾に頼らず、日常使いの器としての「用の美」を大切にしてきました。
その特徴は、やや灰色がかり温かみのある白磁にあります。これは地元産の陶石に含まれる鉄分の影響によるものです。真っ白ではないその優しい白さが、料理を柔らかく引き立て、食卓に穏やかな雰囲気をもたらしてくれます。そして、呉須(ごす)と呼ばれる藍色の顔料で描かれる文様。唐草模様や太陽、なずななど自然をテーマにした柄は、素朴でありながら生き生きとした力強さを感じさせます。
有田焼の透き通るような白さや、九谷焼の華やかな色彩とは異なる、その誠実な佇まい。それは伊予の穏やかな風土と、実用性を重んじる地域の人々の精神が育んだ、生活に寄り添う器なのです。手に取ると、ずっしりとした重みと心地よい厚みが手のひらに伝わってきます。この安心感こそが、砥部焼が長きにわたり愛され続けてきた理由のひとつに違いありません。
砥部焼の歴史を辿る旅路
砥部焼の持つ素朴な美しさは、一朝一夕で完成したものではありません。そこには、およそ250年にわたる人々の知恵や工夫が息づいています。その歴史を知ることで、手に取るひとつひとつの器への愛着がより一層深まることでしょう。
江戸時代に始まった歴史。伊予砥の屑を活かした白磁の誕生
砥部焼の起源は安永4年(1775年)まで遡ります。大洲藩の命を受けた杉野丈助(すぎのじょうすけ)が、良質な陶石を発見し、白磁の焼成に成功したことがその始まりです。しかし、その背景には、この土地特有の必然性がありました。
砥部町は古くから、日本有数の砥石産地として知られてきました。その代表が「伊予砥(いよと)」です。砥石を切り出す際に発生する大量の砥石屑は、長年にわたり厄介な廃棄物とされていました。そこで、その屑を何かに活かせないかという発想の転換が、砥部焼の誕生へとつながったのです。砥石屑を陶土に混ぜ込むことで、磁器づくりに必要な粘り強さが生まれました。
不要なものから新しい価値を創り出す。このエピソードは、持たない旅を信条とする私にとって、大きな共感を呼びました。モノの価値とは単にそこに存在するだけでなく、人の知恵と手が加わることで無限の変化を遂げるものだと教えられます。
「夫婦喧嘩しても割れない」堅牢さの秘密
砥部焼を語る際に欠かせないのが、その驚くべき丈夫さです。「夫婦喧嘩で投げつけても割れない」という、少々過激ながらも的確にその強さを表す言葉があります。この堅牢性は単なる伝説ではありません。
その秘密は、原料となる陶石の質と高温での焼成にあります。砥部で採れる陶石は粘り気が強く、焼き固めることで密度の高い頑丈な磁器に仕上がります。さらに、約1300度という高温で時間をかけて焼くことで、ガラス質がしっかりと溶け合い、強度が飛躍的に向上するのです。
この丈夫さこそ、砥部焼が日常の器として広く愛用されてきた大きな理由の一つです。繊細で扱いに神経を使う器ではなく、毎日安心して気兼ねなく使える道具であること。その安心感が人々の暮らしに深く根付いてきました。日々の食卓で子どもたちの成長を見守り、時には家族の些細な揉め事さえも受け止めてきたのかもしれません。そう想像すると、器に込められた時間の重みを改めて感じずにはいられません。
砥部の中心地、陶街道を歩く

松山市内から車で約30分ほど走ると、山間に広がる砥部の町にたどり着きます。そこでは空気がひんやりと澄みわたり、心地よい静けさが感じられます。町の中心を貫く国道33号線沿いは「陶街道」と呼ばれ、大小さまざまな窯元や販売店が軒を並べています。華やかな観光地とは異なる、落ち着いた時間が流れるこの通りを歩くことが、砥部焼の旅の始まりです。
砥部焼伝統産業会館で全体像をつかむ
どこから見て回ればよいか迷ったときは、まず「砥部焼伝統産業会館」に足を運ぶのがおすすめです。ここは砥部焼の魅力が凝縮された、まるで旅の案内役とも言えるスポットです。館内では江戸時代の貴重な古砥部の作品から、人間国宝の作品、さらには現代の若手作家による斬新な器までが、時代順に整理されて展示されています。
展示品を見ているうちに、歴史の中で砥部焼がどのように進化してきたかが自然と理解できるでしょう。伝統的な唐草文様も作家ごとに筆使いや表現が異なり、全く同じものは一つもありません。ここで自分の好きなスタイルや窯元を見つけてから、実際にその窯元を訪れてみるのも一つの楽しみ方です。多様な作品に一度に触れることで、自分の感覚がどの器に反応するか確かめることができるのです。
| 施設名 | 砥部焼伝統産業会館 |
|---|---|
| 所在地 | 愛媛県伊予郡砥部町大南335 |
| 電話番号 | 089-962-6600 |
| 開館時間 | 9:00~17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始 |
| 入館料 | 大人300円、高校・大学生200円、小・中学生100円 |
| 特徴 | 砥部焼の歴史と現代作家の作品が一望できる。窯元巡りの前に訪れると理解が深まる。 |
窯元めぐりの楽しみ。作り手との会話
砥部焼の真の魅力は、やはり作り手の息吹を感じられる場所にこそあります。陶街道沿いには個性豊かな約80軒もの窯元が点在し、伝統的な煙突が目印の工房からギャラリーを併設した現代的な工房まで、さまざまな佇まいがあります。
多くの窯元では作品を展示・販売しており、自由に見学できるところがほとんどです。ただしここは作り手の仕事場であり生活の場でもあるため、訪れる際は静かに、敬意をもって作品を鑑賞しましょう。もし作り手の方がいれば、勇気を出して声をかけてみるのもまた楽しい体験です。
私が訪ねたある窯元では、職人の方が黙々とろくろを回していました。粘土の塊がまるで生き物のように形を変え、美しい椀へと仕上がっていく様子には思わず見惚れてしまいます。職人さんは手を止め、「これは飯碗になるんよ」と優しく微笑んで教えてくれました。作品が生まれていく瞬間に立ち会い、作り手の想いに直接触れられたことは、何にも代えがたい貴重な経験です。どの器にどんな物語が込められているのかを知ることで、単なる「モノ」は特別な「存在」へと変わってゆきます。
土に触れ、自分だけの砥部焼を作る
砥部の旅の魅力は、鑑賞だけにとどまりません。自分の手で土に触れ、世界に一つだけの砥部焼を作り出すこともできます。物を持たない私が「作る」という行為に心惹かれたのは、それが記憶を形にする最も純粋な手段と感じたためです。
陶芸体験の魅力。絵付けか、それとも手びねり
砥部町には、観光客が気軽に陶芸体験を楽しめる施設が複数あります。体験の主な選択肢は「絵付け」と「手びねり(あるいはろくろ)」の二種類です。どちらを選ぶかは、時間の都合や好みによって決めると良いでしょう。
「絵付け」は、素焼き済みの皿や湯呑みに、藍色の顔料である呉須を使って自由に絵を描く体験です。短時間で気軽にでき、絵を描くことに集中できるため、小さなお子様や初心者に特におすすめです。一方「手びねり」や「ろくろ」は、粘土の塊を形作る本格的な陶芸体験。土の感触を存分に楽しみ、創造力を発揮したい方にぴったりです。作品完成までには乾燥や焼成が必要で、手元に届くのは1〜2ヶ月後ですが、その待つ時間も旅の余韻として味わえます。
無心になれるひととき。呉須で描く心の模様
今回、私はより手軽な「絵付け」に挑戦しました。用意されたのは、ひんやりと滑らかな手触りの素焼きの平皿。目の前には藍色の呉須が入った器と、太さの異なる数本の筆が並んでいます。
筆を手に取ると、何を描けばよいのか突然迷ってしまいました。上手に描こうとすればするほど筆先が震えます。しばらく迷った後、思い切って考えるのをやめました。旅の途中で見た伊予の空や風に揺れる草花、心に残った風景をただ自由に線でつなげていこう。そう決めると、不思議と気持ちが軽くなり、筆が自然と動き始めました。
素焼きの器は呉須をすぐに吸収し、描いた線を消すことはできません。その緊張感が逆に心地よい集中力を生み出します。周囲の音も次第に消え去り、皿と筆と自分だけの世界に没入していきました。それは瞑想にも似た、静かで満ち足りた時間でした。描き終えた拙い絵柄の皿は決して巧みな仕上がりではありません。しかしそこには、あの時の私の心の模様が確かに刻印されています。
| 施設名 | 砥部焼陶芸館 |
|---|---|
| 所在地 | 愛媛県伊予郡砥部町大南338-1 |
| 電話番号 | 089-962-3900 |
| 営業時間 | 9:00~17:00 |
| 体験内容 | 絵付け体験、手びねり体験、ろくろ体験など(要予約の場合あり) |
| 料金 | 体験内容により異なる(例:絵付け体験 800円〜) |
| 特徴 | 砥部焼伝統産業会館の隣にあり、初心者でも気軽に陶芸体験が楽しめる。 |
砥部焼を暮らしに取り入れる

旅先で手に入れた器は、単なるお土産以上のものです。それは旅の思い出を日常に持ち帰り、毎日の暮らしをほんの少し豊かに彩ってくれる特別な道具と言えるでしょう。砥部焼の魅力は、使いこなすことでこそ真価が感じられます。
器選びのポイント。手に馴染む一品を探そう
多くの窯元を訪れると、心惹かれる器に数多く出会うはずです。その中から、自分だけの一枚を見つけるにはいくつかのポイントがあります。まずは見た目だけで決めず、必ず手に取って確認してみることが大切です。
外見が似ていても、実際に持ってみると重さや厚さの違いを感じられます。器の縁の口当たりはどうか、指の引っかかり具合はどうか。自分の手と器との相性を確かめるように、じっくり触れてみてください。毎日使うご飯茶碗なら、自分の手の大きさに合ったものが望ましいです。コーヒーカップなら、持ち手の形状が重要なポイントです。
さらに、どんな料理を盛り付けたいか具体的に思い描くことも大切です。煮物にはやや深めの鉢を、焼き魚には長皿を、取り皿には小さめの豆皿を。自分の食生活に照らし合わせて考えることで、本当に必要で長く使い続けられる器を見つけられます。これは、物を厳選するミニマリスト的な視点にもつながる選び方です。
旅の想い出を食卓へ。砥部焼と伊予の味わい
私が砥部で手に入れたのは、自分で絵付けをした平皿と、窯元で見つけた小さなそば猪口でした。旅の後、早速これらの器を使ってみました。平皿には近所のスーパーで買った普通のトマトをただ乗せただけですが、砥部焼の温かな白磁の上で、トマトの赤がいつもより鮮やかに映ります。
そば猪口には熱いほうじ茶を注ぎました。厚みのある器は熱が伝わりにくく、ゆったりと両手で包み込むことができます。その感触を味わうたび、ろくろを回す職人の真剣なまなざしや、窯元の土の香りがふっと蘇ってきます。
器は、料理を盛ることで初めて完成するのかもしれません。そして使うたびに旅の記憶がよみがえり、日常の何気ない食事が少しだけ特別な時間へと変わります。持つ喜びではなく、使うことで深まる豊かさ。砥部焼はそうしたことを静かに教えてくれるのです。
砥部への旅、その周辺の魅力
砥部焼の里を訪れる旅は、周辺の観光スポットと組み合わせることで、より深みと多様性を増します。アクセスもしやすく、思い立った時に気軽に足を運べる点も大きな魅力です。
松山市内からのアクセス
砥部町は愛媛県の県庁所在地である松山市の南隣に位置しています。松山市中心部から車で向かう場合は、国道33号線を南へ約30分走れば到着します。公共交通機関の利用なら、伊予鉄道の「松山市駅」から伊予鉄バスで砥部方面行きに乗車するのが便利です。「砥部焼伝統産業会館前」や「砥部町中央公民館前」といったバス停で降りれば、陶街道の中心地がすぐ近くです。所要時間は約40分です。
また、松山空港やJR松山駅からも、バスや電車を乗り継いで訪れることができます。日帰りでも十分楽しめますが、じっくりと窯元を巡ったり陶芸体験に参加するなら、一泊二日の計画がベストです。
合わせて訪れたい、道後温泉の癒し
砥部を訪れた際には、ぜひ足を伸ばしたいのが日本三古湯のひとつ、道後温泉です。松山市街地にあり、砥部町から車で約40分ほどの距離にあります。砥部焼の静かで落ち着いた雰囲気とは対照的に、道後温泉周辺の温泉街は活気に溢れています。
土と向き合い感性を磨いた砥部焼の里での体験の後、歴史ある温泉に浸かって身体の内側からリフレッシュする。静と動の二つの異なる側面を味わうことで、旅はより記憶に残るものになるでしょう。浴衣姿で温泉街を散策し、湯上がりに地元のクラフトビールを楽しむのもまた格別です。ミニマルな旅ならではの土地ならではの体験を、存分に楽しみたいものです。
砥部焼の器で味わうカフェタイム
砥部町や松山市内には、砥部焼の器を使ってコーヒーやランチを提供する素敵なカフェが点在しています。器に盛り付けられた料理を目の当たりにすることで、器の使い方のイメージが湧き、その手触りや質感を実際に試せるのも嬉しいポイントです。
窯元が運営するカフェでは、その窯元独自の器のラインナップを楽しむことができます。購入を迷っている器があれば、まずはお店で使ってみるというのも賢い方法です。旅の途中の休憩タイムに、美味しいコーヒーと共に砥部焼の魅力を堪能する。そんな豊かなくつろぎの時間も、この旅の大きな楽しみの一つとなるでしょう。
持たない旅人が、砥部で手にしたもの

5リットルのリュックひとつで旅を続ける私が、なぜ砥部焼という「モノ」を旅の荷物に加えたのか。その理由は旅の終わりに、自分の中ではっきりと見えていました。
私が手にしているのは、ただの一枚の皿ではありません。それは、砥部の土の記憶、炎が紡ぎ出した力強さ、作り手の長い時間と手のぬくもり、そして私自身が無心で筆を走らせた瞬間。これらすべてが詰まった、体験の結晶なのです。
この皿を使うたびに、私の日常に砥部の穏やかな時間がゆっくりと流れ込んできます。それはモノに縛られる感覚とは違い、むしろ心を豊かにしてくれる関係性です。砥部への旅は、モノを持たない自由だけでなく、選び抜いた一つのモノと向き合う丁寧さの大切さも教えてくれました。
白磁のキャンバスに描かれた、伊予の空のような深い藍色。砥部焼は、私たちの忙しい暮らしに静かな美しい余白をもたらしてくれます。次の旅では、あなただけの「体験の結晶」を求めて、ぜひ砥部の里を訪れてみてはいかがでしょうか。

