南国の太陽が放つ、湿り気を帯びた熱風。ガムランの神秘的な音色が遠くから聞こえ、路地裏からはクローブと線香の入り混じったエキゾチックな香りが漂ってくる。インドネシア、バリ島。その中でも特に「芸術と文化の村」として知られるウブドの地に降り立つと、全身の細胞がゆっくりと緩んでいくのを感じます。日々の喧騒、仕事のプレッシャー、めまぐるしく過ぎ去る時間。都会のコンクリートジャングルで研ぎ澄ましていた感覚とはまったく違う、もっと穏やかで、もっと根源的な何かに触れるために、私はこの地を訪れました。
アマゾンの奥地で生命の躍動を感じた経験も、サバイバルゲームで極限の集中力を研ぎ澄ませた経験も、私にとってはかけがえのないものです。しかし、今回求めていたのは、そうした「動」の興奮とは対極にある「静」の探求でした。バリの人々の暮らしに深く根付き、その宇宙観を小さな手のひらサイズで表現するという「チャナン・サリ」。道端のいたるところにそっと置かれた、色とりどりの花々が美しい小さなお供え物です。それは単なる飾りではなく、神々や自然、そして目に見えない存在への感謝と祈りを込めた、日々の営みそのものだと聞きます。この小さな祈りの形に触れることで、現代人が忘れかけている、心豊かな暮らしのヒントが見つかるのではないか。そんな予感を胸に、私のウブドでの静かな冒険が始まりました。
この静かな探求を深めるためには、ウブドにある聖なる泉で心身を洗い清めるティルタ・エンプルの沐浴体験もまた、外せない儀式となるでしょう。
神々の島バリ、日常に溶け込む祈りの風景

ウブドの朝は、鶏の鳴き声や家々から立ち上る炊事の煙、そして祈りの気配とともに幕を開けます。バイクタクシーのクラクションが響き渡るメインストリートから一歩踏み入れ、小さな路地「ガン」に入ると、そこにはまったく異なる時間が流れていました。
家の門前や商店の軒先、苔むす石像の足元、さらにはアスファルトのひび割れの中に至るまで、あたかも可憐な花が咲くかのようにチャナン・サリが丁寧に供えられています。昨日のチャナンは少し萎れており、その隣には新たに用意されたチャナンが寄り添うように置かれているのです。その光景は、誰かに見せるためのものではなく、そこに暮らす人々の呼吸のように、ごく自然で日常的な営みとして存在していました。
この風景を理解するためには、バリの人々の精神世界の根底を成す哲学「トリ・ヒタ・カラナ」に触れる必要があります。これは「幸福を生み出す三つの原因」を示しており、その三要素とは「神との調和(パラヒャンガン)」「人と人との調和(パウォンガン)」「自然との調和(パルマハン)」を意味します。彼らにとって、この世に存在するすべては繋がっており、その均衡を守ることが、幸福で穏やかな生活の基盤となると信じられているのです。
道端のチャナンは、神々への感謝のしるしであると同時に、その土地に宿る精霊や、時には悪しき存在であるブタ・カラにさえ捧げられます。光も闇も、善も悪もすべてを受け入れ、その調和を祈る。その壮大な宇宙観が、この小さな供物一つひとつにぎゅっと込められているのです。そう考えると、何気ない路上の風景がふいに神聖で深く、そして尊いものに感じられます。バリの人々は、毎日この小さな手仕事を通じて宇宙と対話を続けているのです。その行為は、私たち現代人が効率や生産性を追求する中で、何処かに置き忘れてしまった大切なものを、静かに語りかけているように思えました。
チャナン・サリとは何か? 小さな供物に込められた壮大な世界観
一見すると、ただの美しい花飾りのように見えるチャナン・サリ。しかし、その一つひとつの構成要素には、バリ・ヒンドゥーの深遠な宇宙観と祈りの意味が込められています。まるで手のひらの上に築かれる小さな曼荼羅(マンダラ)のような存在といえるでしょう。チャナンの制作を体験する前に、まずは基本的な構造とその背景にある意味を紐解いてみましょう。
チャナンの構成要素とその意義
チャナン・サリの基盤となるのは、若いヤシの葉(ジャヌール)を編んで形作られた正方形の器です。この器自体が大地や宇宙を象徴しています。その内部には、バリ・ヒンドゥーの神々を象徴する、多彩な花々が方角に従って丁寧に配置されます。
- 東(白): 清らかさや神聖さを示す白い花。最高神サン・ヒャン・ウィディ・ワサの化身であり、宇宙の創造を司るイシュワラ神に捧げられます。
- 南(赤): 創造の神ブラフマーを象徴する赤い花。情熱や生命の躍動を表現しています。
- 西(黄): 守護と繁栄を司るマハデワ神の象徴である黄色い花。太陽の光と豊穣を意味します。
- 北(黒または青、緑): 維持と保護を担当するヴィシュヌ神を表す黒や青、緑の花。水と豊かさの象徴です。
- 中央(多彩な色): 全ての色が混ざり合った花(クンバン・ランペ)は、破壊と再生、変容を司るシヴァ神に捧げられます。シヴァ神は四方の神々を統合する存在とされています。
こうして小さな器の中に、バリ・ヒンドゥー教の主要な神々とそれぞれの方角に宿る力が表現されています。さらに、その上には生命の源であるお米、生活の糧を象徴するお菓子やクラッカー、時にはコインなどが添えられ、日々の恵みへの感謝が示されるのです。
そして、祈りを天へ届ける役割を担うのが、お線香(ドゥーパ)です。立ち上る煙は私たちの願いと感謝の気持ちを神々のもとへ運ぶと信じられています。最後に、聖なる水「ティルタ」を振りかけることでチャナンは浄化され、神聖な供物として完成を迎えます。
捧げる行為に込められた心
しかし何よりも大切なのは、これらの物質的な側面以上に、チャナンを作り捧げる人の「心」です。バリ語で「ラス・チャリ」と呼ばれるこの言葉は、「純粋で誠実な心」を意味し、見返りを求めない無償の奉仕の精神を表しています。チャナン・サリはまさにこの「ラス・チャリ」の精神を体現するものなのです。
毎朝、家族の健康や平穏を願い、商売の繁盛を祈り、自然の恵みに感謝を捧げる。その行為は義務ではなく、心からの喜びであり、日常の一部として息づいています。興味深いことに、チャナンは神々だけでなく、悪霊や負のエネルギーの象徴であるブタ・カラにも供えられます。これは光と闇、善と悪の二元性を対立として捉えるのではなく、双方の存在を認め、そのバランスを保つことで調和が成り立つ、バリ独特の思想に基づいています。負のエネルギーを鎮め、穏やかにすることで災いを防ぎ、平穏を維持する。この考え方は、人生で直面する困難やネガティブな感情との向き合い方に深い洞察を与えてくれます。
チャナン・サリは単なる「お供え物」ではありません。バリの人々が日々、宇宙と対話し、世界の調和を願い、感謝の心を形にするための、美しくも力強い儀礼なのです。
いざ、チャナン・サリ作り体験へ。ウブドの家庭で学ぶ祈りの手仕事

ウブドの中心地から少し離れた、穏やかな田園風景が広がる村にいます。今回、チャナン・サリの作り方を教えてもらうのは、この地に代々住み続けてきたクトゥッさんのお宅です。伝統的なオープンエアの家屋(バレ)に迎えられると、穏やかな笑顔のクトゥッさんが「スラマッ・パギ(おはよう)」と温かく声をかけてくれました。彼女の柔らかな物腰と澄んだ瞳の奥に秘められた静かな力強さに、一瞬で心がほどけていくのを感じました。
庭にはフランジパニやハイビスカスが色とりどりに咲き誇り、チャナン作りに用いる素材がバナナの葉の上に美しく並んでいます。鮮やかな花びら、丁寧に編み込まれたヤシの葉、小さな竹のナイフ。こうしたすべてが、これから始まる神聖な作業への期待感をじわじわと高めてくれました。
手のひらの上で編む、自然との対話
まずはチャナンの器の部分づくりから始めます。クトゥッさんはしなやかな若葉のヤシ「ジャヌール」を数枚取り、慣れた手つきで折りたたみながら、竹串で留めていきます。その動作は無駄が一切なく、まるで長年連れ添ったパートナーと踊るかのような美しさがあります。
「さあ、やってみて」と彼女は私に葉を手渡してくれました。サバイバルゲームで銃を扱う指先には自信がありましたが、この繊細で柔らかい葉を前にすると、途端に手が不器用に感じます。強く握ると葉が裂け、ゆるすぎると形が崩れる。呼吸を整え、指先に意識を集中させる。それはスコープを覗き、ターゲットに狙いを定める時とは違い、内へと向かう静かな集中でした。
葉の青々しい香り、指先に伝わるしっとりとした感触。無心で手を動かしていると、次第に頭の中の雑念が消え、目の前の葉と自分だけが存在する、瞑想的な時間が訪れます。アマゾンのジャングルで巨大な樹木や知られざる植物に囲まれた時、自分が自然の一部であると強く感じたことがありました。今、目の前の小さなヤシの葉を編みながら、改めてその感覚が蘇ってきます。自然から授かった素材に手を加え、祈りの器を生み出す。それは、人間と自然との静かで美しい対話のひとときでした。
花に込める祈り。バリの宇宙観を指先で感じる
不格好でも何とか器が形になったら、次は花を配置していく段階です。クトゥッさんは、それぞれの花の色に込められた意味、対応する神々や方角についてゆったりと語ってくれます。
「東には白い花を。イシュワラ神への祈りをこめて」 「南には赤い花。ブラフマー神の創造の力を感じて」
彼女の言葉を頼りに、色鮮やかな花びらを一枚一枚、まるでピンセットでつまむかのように丁寧に置いていきます。ただ色を合わせるだけでなく、一つひとつの花に家族の顔、友人の顔、そして自分自身の願いを重ねていきました。白い花には平穏な心を、赤い花には明日への力を、黄色い花には豊かな実りを、青い花には深い癒しを込めて。そうして意味を持たせると、このチャナンは単なる供え物ではなく、まるで私の心を映し出す鏡のように感じられてきました。
「完璧じゃなくていいのよ。大事なのは、心を込めることだから」と私の不器用な手つきを見て、クトゥッさんは優しく微笑みました。その言葉で、肩の力がふっと抜けました。私たちはつい、何事も完璧で美しく仕上げようと躍起になります。しかし、バリの祈りの世界では、不完全さや形の歪みも、その人らしさとして大切に受け入れられるのです。見た目の美しさよりも、そこに込められた真摯な心「ラス・チャリ」が何より尊ばれます。このチャナン作りは、形のない「心」を、目に見える「形」へと翻訳する神聖な手仕事だと、深く実感しました。
完成したチャナンを捧げる。感謝と調和の祈りの実践
色彩豊かな花々に彩られ、お米やお菓子が添えられた私のチャナン・サリ。決して完璧とは言えないけれど、今の私の感謝と祈りがぎゅっと詰まった、世界でただひとつの作品です。クトゥッさんの導きに従い、私たちはそのチャナンを手に、彼女の家の敷地内にある小さな祭壇「サンガ」へと向かいました。
祈りの作法と聖なる水
サンガは、家族の祖先や神々を祀る神聖な場です。クトゥッさんはまず、チャナンの上に置かれた線香に火をつけました。ふわりと立ち上る白檀の香りが、空気を一瞬で浄化していくのを感じます。この煙は、私たちの祈りを天上へと届ける使者のような存在です。
次に、彼女は祈りの作法を教えてくれました。合掌した両手の間に花びらを一枚はさみ、静かに目を閉じて心の中で感謝と願いを唱えます。唱え終えたら、その花びらを祭壇に向かってそっと弾くようにして捧げる。この所作を三度繰り返します。最初は神々へ、次に祖先の霊へ、最後は自分の内なる神へと。言葉がわからなくても、その敬虔な姿を見るだけで心が清められるようでした。
祈りが終わると、クトゥッさんは聖なる水「ティルタ」を手に取り、私の頭に数滴そっと振りかけてくれました。冷たく感じる水の感触が火照った肌に心地よく、続けてその水を三度、手のひらに受けて飲むよう促されます。一口目は体を清めるため、二口目は心を清めるため、三口目は魂を清めるため。そして最後に、濡れた手で顔を洗い頭を撫でるのです。この一連の儀式を経て、心の中の澱がすっかり洗い流されたかのように、清々しい気持ちで満たされました。身体と精神の浄化が見事に結びついた、美しい儀式でした。
道端のチャナンに込められた意味
家の祭壇への祈りを終えた後、クトゥッさんはもうひとつチャナンを手に取り、家の門の外の地面にそっと置きました。これは、地下の世界に住まう悪霊や負のエネルギーを持つ存在、ブタ・カラに捧げるためのものです。
「彼らもまた、この世界の一部です。無視したり争ったりするのではなく、食べ物を分け与え敬意を払うことで、彼らを鎮める。そうすれば彼らは私たちに悪事を働かなくなるの。すべてはバランスが大切なのよ」
この言葉は私にとって衝撃的でした。私たちは通常、ネガティブなものや悪しき存在を排除しようと躍起になります。しかしバリの人々は、それらさえも世界を構成する一要素として認め、共に存在し調和を保とうとするのです。光があるから闇があり、善があるから悪が存在する。両者を受け入れバランスを取ることこそが、真の平穏へとつながる道なのだと、この小さな地面のチャナンが教えてくれました。
観光客としてウブドの街を歩いていると、うっかりこの地面のチャナンを踏みそうになることがあります。しかし、その一つひとつにこれほど深い意味と世界の調和を願う人々の祈りが込められていると知った今、道端のチャナンは単なる風景の一部ではなく、バリの人々の魂そのもののように感じられるのでした。
チャナン作り体験から見えてきた、心豊かな暮らしのヒント

わずか数時間のチャナン作り体験でしたが、そこから得た気づきは単なる旅の思い出として片付けられないほど深く、豊かなものでした。それは、現代社会を生きる私たちにとって、日々の生活の中で実践できる、心穏やかに暮らすための大切なヒントに満ちていました。
日常に「祈りの時間」を取り入れることの意味
バリの人々にとって、チャナンを作り祈りを捧げることは、歯磨きや食事をするのと同じくごく自然な習慣です。特別な日に神社やお寺にお参りに行くような非日常的な行動ではありません。毎朝ほんの数分でも静かに自分自身と向き合い、目に見えない大いなる存在や身の回りの恵みに感謝する時間を持つ。この小さな積み重ねが彼らの精神的な安定や心の平穏を支えていると感じました。
私たちは朝から晩まで、スマートフォンやパソコンの画面を見つめ続け、多くの情報やタスクに追われています。意識して「何もしない時間」や「感謝の時間」を設けなければ、心はすぐに乾き、疲弊してしまうでしょう。これは日本の文化で言えば、毎朝神棚に手を合わせたり仏壇に線香を手向ける行為に似ているかもしれません。ほんの短い時間でいいので一旦立ち止まり、呼吸を整え、感謝の気持ちを持つ。そんな「日常の祈りの時間」を自分の生活にも取り入れてみたいと思いました。
バランス感覚を育む。トリ・ヒタ・カラナの教え
神・人・自然の調和を大切にする「トリ・ヒタ・カラナ」の哲学は、現代社会の数多くの問題に対する答えのひとつになり得るのではないでしょうか。仕事とプライベート、心と身体、自分と他者、デジタルとアナログ、開発と環境保護。私たちのまわりにはバランスが崩れやすい二項対立が溢れています。
チャナンを作る際、神々だけでなく悪霊にも供物を捧げるように、一方を正とし他方を排除するのではなく、両者の存在を認め、その中庸や調和点を探る。このバリの知恵は、人間関係や仕事の進め方にも応用できるはずです。対立する意見を持つ相手を否定するのではなく、その存在をまず認める。自分の中にあるポジティブな感情もネガティブな感情も両方あるのが自然だと受け入れる。このバランス感覚こそが、ストレスの多い現代社会をしなやかに、そしてたくましく生き抜く鍵となるのかもしれません。
見返りを求めない「与える心」
毎日、誰かに褒められるわけでも、直接的な見返りがあるわけでもなく、ただひたすらに祈りの形を作り捧げ続けるバリの人々。その姿は「ラス・チャリ」、すなわち純粋で誠実な心、見返りを期待しない奉仕の精神そのものです。私たちは行動を起こす際、「これをすればどんなメリットがあるだろう」と考えがちですが、バリの人々は「与えること」自体に喜びを見出しているように感じられました。
家族や地域、世界、そして目に見えない存在のために、自分の時間と労力、心を捧げる。その無償の行為が共同体の絆を深め、結果的に自分自身の心を豊かにしているのです。日々のささいなことでも構いません。誰かに親切にしたり、仕事で誰かを助けたりするとき、見返りを求めず、ただ純粋に「与える」心を意識する。それだけで私たちの世界は、より優しく温かなものへと変わっていくかもしれません。チャナン・サリの小さな花びらが、その大切なことを改めて教えてくれました。
ウブドでチャナン・サリ作りを体験できる場所
ウブドには、私のような旅行者でも気軽にチャナン・サリ作りやバリの文化を体験できる場所が数多く存在します。ホームステイ先で家族から教わるアットホームなスタイルから、専門のカルチャースクールが開催する本格的なワークショップまで、多様な選択肢があります。ここでは、その中からいくつかをご紹介します。
| 施設名 | 特徴 | 料金の目安 | 予約方法 |
|---|---|---|---|
| Canting Bali | 料理教室がメインですが、チャナン作りを含む半日文化体験コースが特に人気です。フレンドリーなスタッフが丁寧に指導してくれます。 | 350,000 IDR〜 | ウェブサイトから予約可能 |
| Paon Bali Cooking Class | ウブド郊外の伝統的な家屋で開催。アットホームな雰囲気の中で、バリの家庭料理とチャナン作りを同時に学べます。 | 400,000 IDR〜 | ウェブサイトまたは電話で予約可能 |
| Ubud Traditional Spa | スパのパッケージメニューの一部にチャナン作り体験が含まれる場合があります。心身のリラクゼーションを求める方におすすめです。 | パッケージ内容による | ウェブサイトまたは電話で予約可能 |
| Fivelements Retreat Bali | 高級リトリート施設が提供するウェルネスプログラムの一環として、よりスピリチュアルな側面に焦点を当てた体験を提供しています。 | 高価格帯 | ウェブサイトから問い合わせが必要 |
| 各地のホームステイ(民宿) | 多くのホームステイでは、オーナー家族が宿泊客にチャナン作りを教えてくれます。最も本格的な体験の一つと言えるでしょう。 | 宿泊費に含まれるか、少額の追加料金が必要 | 宿泊予約時に問い合わせ |
ウブド滞在をより深く味わうために

チャナン作り体験を通じてバリの精神世界に触れた後、その感覚をさらに深めたい場合は、ぜひ聖なる場所へ足を運んでみてください。ウブド周辺には、バリ・ヒンドゥーの宇宙観を実感できるパワースポットが点在しています。
聖なる泉・ティルタ・ウンプル寺院
ウブドの北方、車で約30分の場所に位置するティルタ・ウンプル寺院は、「聖なる泉の寺院」として知られ、千年以上にわたり人々の沐浴の場として親しまれてきました。寺院の奥から湧き出る清らかな水は、無病息災や心身の浄化の力が宿ると信じられています。鮮やかなサロンを腰に巻いて冷たい泉に身を浸す瞬間は、心身の穢れが洗い流されるような爽やかな感覚に包まれます。水口に頭を垂れて祈りを捧げる参拝者の姿は、バリの信仰が今なお力強く生きている証です。チャナン作りで育んだ清らかな心でこの聖水に触れれば、より一層深い浄化の体験が得られるでしょう。
渓谷に隠れる古代遺跡・グヌン・カウィ
緑あふれる渓谷の底に静かに佇むグヌン・カウィは、11世紀に造営されたと伝わる王家の墓所です。美しい棚田を見渡しながら、300段以上に及ぶ石段を下りていくと、高さ7メートルもの巨大なチャンディ(石窟遺跡)が姿を現します。岩壁を彫り込んで造られたその荘厳な姿は、訪れる人を圧倒します。自然と調和した神秘的な遺跡の雰囲気は、バリの人々が長年抱いてきた自然への敬意を肌で感じさせてくれます。鳥のさえずりと川のせせらぎだけが響く静寂の中、古代王たちへの想いを巡らす時間は、貴重な瞑想のひとときとなるでしょう。
ウブド市場で感じる人々の息吹
スピリチュアルな聖地だけでなく、人々の生活の息吹が感じられる場所もまた、バリ文化を理解するうえで欠かせません。ウブド王宮の向かいにあるパサール・ウブド(ウブド市場)は、早朝から地元の人々や観光客でにぎわっています。その一角には、チャナン・サリ用の色とりどりの花びらやヤシの葉、お供えの菓子が山積みにされて売られており、祈りが日常の買い物の延長線上にあることを実感できる場所です。活気溢れる人々の姿、鮮やかな供物の色彩、独特の香り──市場の喧騒の中に身を置くことで、バリの生命力そのものを肌で感じ取ることができるでしょう。
旅の終わりに。持ち帰るものはお土産ではなく、心の在り方
ウブドの柔らかな光に包まれた時間は、あっという間に過ぎ去りました。私の手元に残ったのは、民芸品や美しい写真だけではありません。それ以上にかけがえのない新たな「心のあり方」という贈り物でした。
チャナン・サリを作る体験は、単なる文化の一コマにとどまりませんでした。それは、自然の恵みに感謝し、神や祖先と繋がり、自分の内面を深く見つめる、動的な瞑想そのものでした。アマゾンの過酷な環境で五感を研ぎ澄ます旅と異なり、ウブドの旅は、心の深い静寂に耳を傾けるものでした。しかし、その根底に流れるものは同じかもしれません。壮大な自然への畏敬と、目に見えない大いなる存在への感謝。この二つが結びついたとき、人は真の謙虚さと心の安らぎを得られるのかもしれません。
帰国し、再びコンクリートに囲まれた日常が戻りますが、私の心には確かにウブドの風景が刻まれています。朝、コーヒーを淹れる短い時間にベランダの小さな植物に目を向け、今日一日を無事に始められることに感謝する。満員電車で苛立ちを覚えたときも、これも世界の一面であると受け入れ、自分の心のバランスを保とうと努める。そうしたささやかな変化が、徐々にではありますが、確実に私の日常を豊かにしてくれています。
もし、日々の暮らしに疲れ、心の潤いを求めているのなら、一度は神々の島を訪れてみてください。そして、自分の手でチャナン・サリを作ってみてください。小さなヤシの葉の器に花を飾りながら、物質的な豊かさとは異なる、本当の豊かさの意味を見出せることでしょう。その旅が、あなたにとって人生の新しい章を開くきっかけとなるかもしれません。

