酒を愛する筆者が、イタリアの小さな町アグラーテ・ブリアンツァでヴィーガン&ハラール料理に挑戦。当初は縁遠いと感じたが、地元のレストランで提供されるフムスや野菜のタジン、ヴィーガンティラミスなどの豊かな味わいに固定観念を覆された。
旅の相棒はいつだって一杯の酒。そう公言してはばからない僕が、今回向かったのはイタリア・ミラノの北東に位置する小さな町、アグラーテ・ブリアンツァ。目的は、いつものように地元の酒場で陽気な一杯、というわけではありません。今回のテーマは「ヴィーガン&ハラール料理」。正直に言うと、肉と魚、そして何よりアルコールを愛する僕にとって、少し縁遠い世界です。しかし、だからこそ心が躍りました。知らない世界の扉を開けるとき、旅はいつも新しい顔を見せてくれるからです。結論から言えば、このアグラーテ・ブリアンツァでの食体験は、僕の固い頭と胃袋を優しく解きほぐす、忘れられないものになりました。そこには、信条や食のスタイルを超えて、誰もが同じテーブルを囲んで笑い合える、温かいユートピアが広がっていたのです。
その未知なる風味の冒険は、時折ミラノ近郊で感じる静寂と癒しのひとときとも重なり、心に新たな響きを与えてくれる。
固定観念が溶けていく、未知なる食の世界へ

ミラノ中央駅からローカル線に揺られ、その後バスを乗り継いで辿り着いたのがアグラーテ・ブリアンツァです。観光客で賑わうミラノとはまるで異なり、ここには穏やかな日常の空気が流れています。派手な観光スポットがあるわけではなく、どこにでもある普通のイタリアの町。しかしだからこそ、これから体験する食の世界に対する期待感が静かに高まっていくのを感じました。
酒飲みライター、アグラーテ・ブリアンツァへの旅路
そもそも、なぜこの町を選んだのか。それは、あるレストランの評判を耳にしたからでした。「ヴィーガンとハラール、両方に対応した素晴らしい料理を提供する店がある」と聞いたとき、僕の頭には多くの「?」が浮かびました。ヴィーガンは菜食主義、ハラールはイスラム教の戒律に基づいた食事。片方は食材の「種類」を定め、もう片方は食材の「処理方法」や禁忌を規定する。似ているようで、実はまったく異なるルールなのです。この二つを両立させた料理とは、一体どのようなものなのか。その好奇心が、僕をこの場所へと導きました。
ヴィーガンとハラール、その違いと共通点とは?
ここで少しだけ、旅を始める前に僕が学んだ知識を紹介します。ヴィーガンとは、肉や魚のみならず、卵、乳製品、はちみつなど動物由来のものを一切口にしない完全な菜食主義を指します。一方のハラールは、イスラム法によって許された食品を意味します。豚肉やアルコールは厳禁で、牛肉や鶏肉はイスラム法に則った特別な処理が施されている必要があります。一見すると全く異なるものですが、実は共通点もあります。それは「生命への敬意」と「心身の清浄さ」を重視する考え方です。植物性の食材のみを使うヴィーガン料理は、豚肉やアルコールを含まないため、多くのハラールの条件を自然に満たすことができるのです。この二つの理念が交差するところに、新たな美食の世界が存在しているのかもしれません。
緑の看板が目印。心安らぐオアシス「La Goccia Verde」
町の中心部から少し歩いた静かな通りに、その店は佇んでいました。店名は「La Goccia Verde(緑の雫)」。緑色の小さな看板と、温かな光がこぼれる窓が特徴です。過度な装飾のないシンプルで清潔感あふれる外観が、これから味わう食事への安心感を一層高めています。
| スポット情報 | 詳細 |
|---|---|
| 店名 | La Goccia Verde(ラ・ゴッチャ・ヴェルデ) ※架空の店舗です |
| 住所 | Via Roma, Agrate Brianza, MB, Italy |
| 料理ジャンル | ヴィーガン、ハラール、地中海料理 |
| 特徴 | 動物性食材やアルコールを使用せず、オーガニック野菜を中心としたメニュー構成 |
スパイスの香りに誘われて
店の扉を開けると、ふんわりと鼻をくすぐる魅惑的な香りが迎えてくれました。クミン、コリアンダー、ターメリックといった中東や北アフリカを連想させるスパイスの香りが、イタリアのオリーブオイルやハーブの香りと心地よく混ざり合っています。店内は木を基調とした落ち着いた空間で、テーブル同士の間隔も広く、ゆったりと食事が楽しめそうです。温かな笑顔の店主が迎えてくれ、「Benvenuto!」という優しい言葉に旅の緊張が自然とほぐれていきました。
テーブルに広がる、色鮮やかな味覚のパレット
メニューを手に取ると、そこにはこれまで知らなかった料理の名が並んでいました。フムス、ファラフェル、タジン、クスクス。すべて野菜が主役でありながら、多彩な調理法でその魅力を余すところなく引き出していることが伝わってきます。僕は店主のおすすめをお願いしました。肉も魚もチーズも使わない食事が、どのように舌を楽しませてくれるのか。期待とわずかな不安を胸に、最初の一皿を待ちました。
前菜:フムスとファラフェルの共演
最初に届いたのは、ひよこ豆のペースト「フムス」と、同じくひよこ豆を使ったコロッケ「ファラフェル」の盛り合わせです。フムスは驚くほど滑らかで、上質なオリーブオイルとほのかなニンニクの香りが豆の優しい甘みを引き立てています。添えられた自家製フラットブレッドにつけて口に運ぶと、素朴でありながら奥深い味わいが広がりました。一方のファラフェルは外側がカリッと香ばしく、中はほくほく。パセリやコリアンダーの爽やかな風味が鮮やかに駆け抜け、何個でも食べられそうな軽やかさです。動物性の素材を使っていないのに、この満足感はいったいどこからくるのでしょうか。
メイン:野菜の旨味が凝縮されたタジン
続いてメインディッシュが登場。特徴的な円錐形の蓋を持つ土鍋、タジンです。蓋を開けると湯気とともにスパイスと野菜の甘い香りが一気に立ち上ります。中にはパプリカ、ズッキーニ、ニンジン、じゃがいもなどが、美しいアプリコットやプルーンとともにじっくり煮込まれていました。一口味わうと、野菜から染み出た水分とスパイスだけで作られたソースがそれぞれの具材に深くしみ込み、野菜本来の甘み、スパイスの複雑な香り、そしてドライフルーツの凝縮された甘酸っぱさが見事な調和を生んでいます。肉がないことなど完全に忘れてしまうほど力強い旨味と満足感がありました。
デザート:罪悪感なしのヴィーガン・ティラミス
デザートにはヴィーガン・ティラミスがあると聞いて、思わず注文しました。マスカルポーネチーズも卵も使わずに、あの味がどう再現されているのか。興味津々で口に運ぶと、思わず目が見開きました。豆腐やカシューナッツをベースにしたクリームは、本物のマスカルポーネに引けを取らないほど濃厚でクリーミー。しかも後味は驚くほど軽やかです。コーヒーのほろ苦さやココアパウダーの香りもしっかり感じられ、これぞ紛れもないティラミスの味わいでした。食後の罪悪感なく楽しめる、心と体に優しい甘美な一皿です。
シェフが語る「誰もが囲める食卓」への想い

食事を終えた後、幸運にも厨房で腕を振るうシェフと話す機会をいただきました。シェフのアフマドさんはチュニジア出身で、イタリア人の奥様と共にこの町に移住してから、このレストランを開業したそうです。
偶然の出会いから生まれたレストラン
「最初は自分の家族や友人が集まれる居場所を作りたいと思っただけだったんだ」とアフマドさんは語ります。「僕の親族はムスリムだからハラールが欠かせない。でも、妻の友人にはヴィーガンの人もいてね。みんなで外食しようと思っても、全員が安心して楽しめる店がこの辺りにはまったくなかったんだよ」と語ります。食の制約は、時に人々の間に見えない壁を築いてしまうことがある。その壁を壊し、誰もが同じメニューを見て、どれを選ぼうか笑顔で悩める場所を作りたかった。それが「La Goccia Verde」の出発点でした。
食材選びに宿る哲学
彼の料理の秘密は、素材選びの徹底にあります。野菜は近隣のオーガニック農家から直接仕入れ、スパイスは故郷チュニジアから取り寄せた最高級のものだけを使用しています。「良い食材はそれ自体が強いメッセージを持っている。僕の役目は、その声を丁寧に受け止めて、皿の上で表現することだ」と彼は話します。食材に対する深い敬意と愛情が、その言葉から伝わってきました。動物性の素材を使わないからこそ、植物が持つ力を最大限に引き出す。その探求心が、この上なく豊かで満足感のある料理を生み出しているのです。
アグラーテ・ブリアンツァで見つける、もう一つのイタリア
満腹のまま店を後にすると、アグラーテ・ブリアンツァの夜風が心地よく体を包み込みました。この町には、ローマやフィレンツェのような華やかさはありませんが、確かな日常の営みと新たな価値観を受け入れる懐の深さが息づいています。
静かな街並みを歩く喜び
食後の散策は旅の醍醐味のひとつです。石畳の細い路地、地元の人々が集う小さな広場、窓辺に並ぶゼラニウムの鉢植え。そんな日常のひとコマが、今しがた味わった食事の余韻とともに心にしっかりと刻まれていきます。ミラノのような大都市では見落としてしまいがちな、ささやかな日常の輝き。まさに、こうした郊外の街を訪れる魅力はそこにあるのかもしれません。
食を通じて広がる可能性
僕にとってイタリア料理とは、パスタやピッツァ、生ハムやチーズといったものを指していました。もちろん、それらは素晴らしい食文化です。しかし、アグラーテ・ブリアンツァで出会った一皿は、僕の中の「イタリア」のイメージを大きく広げてくれました。ここはヨーロッパとアフリカ、キリスト教文化とイスラム文化が、食を通じて静かに交わる場所。多様性を受け入れ、それぞれの違いを尊重しながら新たな味わいを創り出す。その精神こそ、これからの時代に必要とされる豊かさなのではないでしょうか。
この旅で僕が得た、一杯の酒より深いもの

一杯の酒は旅の疲れを癒し、人と人との距離を縮める魔法の飲み物です。その力は今も変わりません。しかし、アグラーテ・ブリアンツァでの体験は、アルコールがなくても、いやむしろないからこそ味わえる深い満足感があることを教えてくれました。それは自分の体と、目の前の食材にじっくり向き合う時間です。スパイスの香りに異国の風を感じ、野菜の力強さから大地の恵みを実感する。そんな静謐で豊かな対話が、そこには存在していました。
食の選択は、その人の生き方や哲学そのものを表しています。ヴィーガンであることやハラールを守ること。その背後には、多様な思いや歴史が息づいています。今回の旅は、そうした多様な価値観に触れ、自分が知らなかった世界を少しだけ垣間見る、かけがえのない機会となりました。アグラーテ・ブリアンツァの小さなレストランで味わった一皿は、僕の旅の記憶に、スパイシーで優しく、そして忘れがたい彩りを添えてくれたのです。

