オンライン旅行会社(OTA)の巨人、Booking.comを運営するBooking Holdingsが、大きな転換点を迎えています。欧州連合(EU)による厳しい規制と、Googleなどが推進するAI旅行プランナーの急速な進化という二つの大きな圧力が、同社のビジネスモデルの根幹を揺さぶっています。これは単に一社の問題に留まらず、私たちが旅行を計画し、予約する方法そのものが変わる可能性を秘めています。
第一の圧力:EUデジタル市場法(DMA)という「重し」
「ゲートキーパー」指定が意味するもの
2024年5月13日、欧州委員会はBooking HoldingsをEUデジタル市場法(DMA)における「ゲートキーパー」に指定しました。ゲートキーパーとは、デジタル市場において非常に大きな力を持つプラットフォームを指し、公正な競争を促進するために特別な義務が課せられます。
これまでBooking.comは、ホテルとの契約で「価格パリティ条項(最恵国待遇条項)」を広く採用してきました。これは、ホテルが自社のウェブサイトや他のOTAで、Booking.comよりも安い価格で部屋を販売することを禁止する条項です。これにより、ユーザーは「Booking.comが最安値」だと信じて予約を行い、同社は市場での圧倒的な優位性を維持してきました。実際、欧州のホテル予約市場におけるBooking.comのシェアは60%を超えるとの調査もあり、その影響力の大きさがうかがえます。
しかし、ゲートキーパーに指定されたことで、この価格パリティ条項が厳しく制限されます。今後、ホテルは自社のウェブサイトでより安い料金や特別なプロモーションを自由に展開できるようになるのです。
ホテル業界の「脱OTA依存」が加速か
この変化は、ホテル業界にとって長年の願いでした。OTA経由の予約には、一般的に15%から25%という高額な手数料が発生します。価格設定の自由度を得たホテルは、この手数料を削減し、収益性を改善するために、自社サイトでの直接予約(直販)を強化する動きを加速させると見られています。
ロイヤルティプログラムの会員限定割引や、公式サイト予約者向けの特典(例:ウェルカムドリンク、レイトチェックアウト)などを充実させることで、顧客をOTAから自社チャネルへと誘導しようとするでしょう。これは、ホテルと旅行者の関係性をより直接的なものに変えていく大きなきっかけとなります。
第二の圧力:生成AIが変える「旅の探し方」
GoogleのAIがOTAの役割を奪う?
DMAの規制と並行して、もう一つの巨大な波がOTA業界に押し寄せています。それは、生成AIによる旅行プランニング機能の進化です。
特に脅威と目されているのが、Googleが検索エンジンに統合しつつある「Search Generative Experience (SGE)」です。ユーザーが「週末にパリでアートと美食を楽しむ3日間のプランを教えて」と入力するだけで、AIがフライト、ホテル、レストラン、観光スポットまで含んだ具体的な旅程を生成してくれます。
これは、従来のように「行き先を入力→ホテルリストを比較検討→予約」というステップを踏んでいたOTAの役割を根底から覆す可能性を秘めています。これまでOTAが強みとしてきた「情報の集約と提供」という機能が、より高度でパーソナライズされた形でAIに代替されかねないのです。
OTAもAIで対抗、しかし競争は熾烈に
もちろん、Booking.comやExpediaといった大手OTAもこの流れを静観しているわけではありません。Booking.comはすでに独自の「AI Trip Planner」を導入し、対話形式で旅行プランを提案する機能を実装しています。
しかし、日常的に世界中の人々が利用するGoogle検索という巨大なプラットフォーム上でAI機能が展開されるインパクトは計り知れません。旅行計画の初期段階でユーザーを囲い込まれてしまえば、OTAのサイトを訪れるユーザーそのものが減少する恐れがあります。
予測される未来:旅行業界の新たな勢力図
これら二つの圧力は、今後の旅行業界にどのような変化をもたらすのでしょうか。
- 旅行者の選択肢の多様化: ホテル直販サイトや新たなAIツールなど、予約チャネルの選択肢が増え、より賢く、自分に合った旅行プランを見つけやすくなるでしょう。ただし、情報の信頼性やAI提案の偏りなど、新たなリテラシーも求められます。
- ホテルのマーケティング戦略の変化: OTAへの手数料依存から脱却し、自社のブランド力を高めて顧客と直接繋がる「ダイレクト・マーケティング」がより重要になります。独自のデータ活用や顧客体験の向上が、生き残りの鍵を握ります。
- OTAのビジネスモデル変革: 単なる「予約サイト」から、AIを駆使した高度な提案力や、現地でのユニークな体験(ツアーやアクティビティ)の提供など、付加価値の高いサービスを統合した「総合旅行アシスタント」への進化が急務となります。この変革に適応できなければ、大手といえどもその地位は安泰ではありません。
2026年は、Booking.comにとって、そしてOTA業界全体にとって、その真価が問われる年となりそうです。規制と技術革新の荒波のなかで、業界の勢力図が大きく塗り替えられる可能性も十分に考えられます。私たち旅行者にとっても、旅のスタイルが大きく変わる時代の幕開けと言えるでしょう。

