旅の始まりは、いつも一枚の地図と、胸の奥でくすぶる小さな好奇心からだ。今回の目的地は、アフリカ大陸の心臓部、ウガンダ共和国。赤道直下に位置し、「アフリカの真珠」とウィンストン・チャーチルに呼ばれたこの国には、僕の心を捉えて離さない場所があった。ブウィンディ原生国立公園。その名を聞いただけで、鬱蒼とした緑の闇と、そこに息づく生命の力強い鼓動が聞こえてくるような気がする。ここは、絶滅の危機に瀕するマウンテンゴリラが、その最後の安息を求める聖域なのだ。
もちろん、僕もゴリラに会いたい。彼らの瞳に映る森の叡智を、この目でのぞいてみたい。しかし、今回の旅の目的はそれだけではなかった。僕が本当に知りたかったのは、その聖なる森の麓で、人々がどのように自然と共存し、どのような恵みを分かち合って生きているのか、ということ。特に、その食文化に強く惹かれていた。電気もガスも届かない深い森のそばで、人々が大地から直接受け取った恵みだけで作る料理。それはきっと、僕らが都会の喧騒の中で忘れかけてしまった、生きることの根源的な喜びを教えてくれるに違いない。そんな予感を胸に、僕は赤道の大地へと降り立った。ゴリラの森が育む、サステナブルなベジタリアン料理との出会いを求めて。
アフリカ大陸には、このブウィンディの森の食卓のように、土地の精神性が宿る独自のベジタリアン料理が息づく場所が他にもあり、例えばエチオピアの古都ハラールでは、城壁に守られた神秘的なヴィーガン料理を味わうことができます。
緑の聖域、ブウィンディへの道

旅はウガンダの首都カンパラからスタートした。街中を縦横無尽に走るバイクタクシー「ボダボダ」と、人々の活気があふれるこの都市のエネルギッシュな喧騒は、旅心を刺激するものだった。しかし、今回の目的地はここから遥か南西に位置し、車で10時間以上を要する場所だ。僕を乗せた4WD車は喧騒を後にし、アスファルトの道をひた走った。
首都カンパラからブホマへ
窓外の景色はまるで万華鏡のように移り変わる。高層ビルが立ち並ぶ都市の風景はすぐに遠ざかり、柔らかな丘陵地帯に広がるバナナのプランテーションや茶畑が果てしなく続いていた。赤土の大地、鮮やかな緑の葉、そして澄み渡る青空。その鮮やかなコントラストから、「アフリカの真珠」と称される理由がひしひしと伝わってくる。道端では、笑顔を浮かべた子供たちが手を振り、市場には色鮮やかな果物や野菜が山のように積まれている。そのひとつひとつの光景が、静かに、しかし確実に旅への期待を膨らませてくれた。
赤道通過点を示すモニュメントを過ぎ、道は次第に険しくなっていく。舗装路が途切れ、赤土の悪路を車は揺さぶられながら進む。続くガタガタとした振動は、文明社会から離れた聖域へ入るための儀式のようにも感じられた。周囲の緑はますます濃くなり、空気はひんやりと湿り気を帯びていく。窓を開けると、土の匂いと知らぬ花の甘い香りが混ざり合った、濃厚な森林の空気が流れ込んだ。都会の埃が肺から洗い流されていくような、清々しい感覚に包まれた。
森の入り口、ブホマに到着
長い長い道の果てに、ついにブウィンディ原生国立公園の入口のひとつ、ブホマ地区に到着した。車を降りた瞬間、僕を包み込んだのは、圧倒的な静寂と生命の気配だった。耳をすますと、数えきれない鳥たちのさえずり、虫たちの羽音、そして風が木々の葉を揺らす音だけが響いていた。まるで森全体がひとつの生命体のように呼吸しているかのようだった。
今宵の宿は、この森の自然と調和したエコ・ロッジだ。太陽光発電の明かりが灯り、雨水を生活用水として利用している。派手さはないが清潔で、木の温もりに包まれた空間は、長旅で疲れた心身を優しく癒してくれた。テラスに出ると目の前に原生林の壁が間近にそびえ立っている。夕陽が深い緑に陰影を落とし、森は刻々とその表情を変えていった。夜が訪れると満天の星が空いっぱいに広がり、その美しさに言葉を失う。遠くから聞こえる動物たちの鳴き声は、まるで子守唄のように響いた。いよいよ明日は、この森の主であるマウンテンゴリラとの対面が待っている。胸の高鳴りを抑えながら、僕は深い眠りに落ちていった。
森の鼓動と、生命の輝き
夜明け前の空気は、まるで聖なるもののように透き通っていた。ロッジで温かいウガンダ産のコーヒーを一杯飲み干し、まだ薄暗い中をトレッキングの集合場所である国立公園の事務所へと向かう。そこには、僕と同じく期待と緊張が入り混じった表情をした世界各国からの旅人たちと、頼りになるレンジャーたちが集まっていた。
マウンテンゴリラ・トレッキングの朝
ブリーフィングが始まる。レンジャーは、マウンテンゴリラがいかに貴重かつ繊細な生き物であるか、そして彼らの生息地に踏み入る我々が守るべきルールについて、真剣な口調で説明した。ゴリラとの距離は最低7メートル以上保つこと、体調が優れない場合は決して参加しないこと、そして彼らの前では静かに振る舞うこと。ひとつひとつのルールが、ゴリラへの深い敬意に基づいていることが伝わってきた。
僕たちのグループは8人。屈強なレンジャーを先頭に、荷物を運んでくれるポーターたちとともに、いよいよ森の中へと足を踏み入れた。道なき道を行くとはまさにこのことだ。シダ植物が密生する急斜面を、木の根をつかみながら慎重に登り、ぬかるみに足を取られないように谷を下る。全身は汗でびっしょりになり、息も絶え絶えになる。それでも、不思議と苦痛は感じなかった。むしろ、五感が徐々に鋭くなっていくのがわかった。湿った土の匂い、シダの葉が肌に触れる感触、頭上に響く鳥のさえずり、木漏れ日が織りなす光と影の模様。これらすべてが、僕の体と心を森とひとつにしていくようだった。
一緒にポーターとして同行してくれた若い男性は、この村の出身だという。僕が息を切らして立ち止まるたびに、優しく微笑みかけながら、森に自生する植物の名前や薬効について教えてくれた。彼らにとって、この森は職場であると同時に、先祖から受け継いだかけがえのない庭なのだ。その森を見る彼らの眼差しには、畏敬と愛情が満ちていた。
聖なる邂逅:マウンテンゴリラとの対面
歩き出してからおよそ3時間ほど経った頃、先頭を進んでいたレンジャーが突然足を止め、静かに無線で連絡を取り始めた。先行していたトラッカー(追跡係)がゴリラの家族を発見したのだ。僕たちの間に緊張が走る。荷物はポーターに預け、カメラだけを手に息を潜めて最後の斜面を登っていく。
そして、ついにその瞬間が訪れた。茂みの向こうに黒く大きな影が現れた。シルバーバックだ。体重が200キロはありそうな巨体でありながら、その動きは驚くほど穏やかで、威厳に満ち溢れている。彼は僕たちを一瞥すると、興味なさそうに口元の草をむしゃむしゃと食べ始めた。彼の周囲には数頭のメスや、まだ幼い子どもたちもいた。母親の胸に抱かれて乳を飲む赤ん坊ゴリラ、兄弟同士でじゃれ合い、木の枝から転げ落ちる子どもたち。彼らは僕たちの存在など気にもせず、ただ自然体の日常を繰り返していた。
言葉を失った。ファインダーを覗くことすら忘れ、ただ目の前の光景に見入っていた。彼らの深い黒い瞳は、まるで森そのものの叡智を宿しているかのようだった。その瞳に見つめられると、自分がいかに小さな存在であるかを実感させられる。僕たちは彼らの聖域にお邪魔している、ほんの一瞬の訪問者に過ぎないのだ。
許された時間はわずか1時間だった。しかし、その1時間は永遠のように、またあっという間にも感じられた。彼らの家族の絆や優しさ、そして力強さ。すべてが僕の魂の奥深くに刻まれた。この感動は単なる野生動物との遭遇を超え、太古から続く生命の大きな輪の中に自分も存在しているという根源的な感覚を呼び覚ます、まさにスピリチュアルな体験だった。
森を後にする頃には、不思議な静けさと充足感で心が満たされていた。ゴリラとの出会いは、僕の中にあった価値観を静かに、しかし大きく揺り動かした。そして、この偉大な森の恵みを受けながら暮らす人々が作る料理は、一体どんな味がするのだろうかと、これまで以上に強く興味が湧いてきたのだった。
大地の恵み、コミュニティが育むベジタリアン料理

ゴリラ・トレッキングの興奮が冷めやらぬ翌日、僕は旅のもう一つの目的を果たすために、ブホマの中心にある小さなコミュニティ施設を訪れた。その名は「Ride 4 a Woman」。この森のふもとで暮らす女性たちの経済的自立と社会的地位の向上を目指して立ち上げられた、素晴らしいプロジェクトである。
「Ride 4 a Woman」との出逢い
施設の門をくぐると、ミシンの軽やかな音色と女性たちの明るい笑い声が迎えてくれた。ここでは地元の女性たちが集まり、カラフルなアフリカ布(キテンゲ)を用いた手工芸品を製作・販売している。バッグやエプロン、アクセサリーなど、どれも彼女たちの創造力とエネルギーにあふれ、眺めているだけで心が明るくなる。この活動は元々、観光客向けの自転車レンタル事業として始まったそうだ。そこで得た収益をもとにミシンを購入し、裁縫の技術を教え合いながら、今ではゲストハウスやレストラン、そして僕が今回訪れた料理教室までも運営するようになったという。
僕を迎えてくれたのは、プロジェクトのリーダーであるエヴェリンさん。力強い握手と、太陽のような笑顔が印象的な女性だ。「ようこそ、タロウ。私たちのキッチンへ!」という彼女の言葉には、活動への誇りと訪れる者への温かな歓迎の気持ちが込められていた。ここでは単に料理を学ぶだけでなく、この土地の文化や女性たちの生活、そして森との深い絆を、食を通して体感できる場所なのだ。
| スポット情報 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | Ride 4 a Woman |
| 場所 | ウガンダ ブウィンディ原生国立公園 ブホマ地区 |
| 主な活動 | 料理教室、手工芸品の製作・販売、ゲストハウス運営、自転車レンタル |
| 目的 | 地域女性の経済的自立支援、伝統文化の継承、コミュニティの活性化 |
| 料理教室の内容 | 地元女性から伝統的なウガンダの家庭料理(主にベジタリアン)を学ぶ |
| 特徴 | 敷地内のオーガニック農園で収穫した新鮮な食材を使い、サステナブルな体験を提供 |
| Webサイト | ride4awoman.org (訪問前に予約や活動内容の確認を推奨) |
畑から食卓へ:持続可能な農園の見学
料理教室は食材の収穫から始まる。エヴェリンさんに案内され、施設裏手にある小さなオーガニック農園へ向かった。そこは生命力あふれる緑の楽園だった。農薬や化学肥料は一切使わず、自然の循環を活かして育てた野菜たちが、生き生きと葉を広げている。
「これはマトケよ」と彼女が指したのは、バナナに似ているが緑色で角ばった果実。ウガンダの人々の主食で、蒸したり煮たりして食べる調理用バナナだ。「こちらはキャッサバ。根っこを食べるの。ポショ(主食の一種)の原料になるトウモロコシもあそこにあるわ」。他にも様々な豆類や、ホウレンソウに似た葉物野菜(ドゥドゥ)、ナス、トマト、さらに料理の風味づけや薬草として使われるハーブ類が、互いに助け合うように混ざって植えられている。ここでは、コンパニオンプランツの考え方が自然に活かされていた。
僕もかごを手に収穫を手伝った。土の香りを感じ、朝露に濡れた葉に触れ、自分の手で野菜を摘む。スーパーのきれいに包装された野菜とは異なり、大地との直接的なつながりを実感する瞬間だった。野菜たちは形が不揃いで虫食いの跡もあるが、それこそが生命力の証だ。この畑は、ブウィンディの豊かな森を凝縮したような場所で、多種多様な命が共生し支え合い、豊かな収穫をもたらしていた。これから作る料理は、この大地の恵みをまるごといただく神聖な行為なのだと直感した。
伝統の調理法を学ぶ:クッキング・クラス体験
収穫したばかりの新鮮な野菜を抱え、僕たちは屋外の開放的なキッチンへ向かった。そこには最新の調理器具はなく、非常にシンプルだった。熱源は炭火、調理台は頑丈な木製テーブル。しかし、そこには活気と知恵がみなぎっていた。エヴェリンさんとほかの女性シェフたちが手際よく準備を進める。
今日のメニューは、ウガンダの家庭で日常的に食べられている伝統的なベジタリアン料理だ。
- マトケの蒸し煮:まず驚いたのはマトケの皮のむき方。ナイフで緑色の硬い皮を巧みに剥いていく。剥いたマトケは大きなバナナの葉で丁寧に包まれる。これは蒸気を閉じ込め、風味を逃さないための先人の知恵だ。包んだマトケのかたまりを、水を少し入れた大鍋の底に敷いたバナナの茎の上に置き、炭火でじっくり蒸し上げる。シンプルな工程だが、自然素材を最大限に生かす工夫が随所に詰まっている。
- ビーン・シチュー(豆の煮込み):ウガンダ料理に欠かせない豆を、乾燥豆から柔らかく煮込む。そこに炒めた玉ねぎやトマト、そして味の決め手となる「グナッツ・ペースト」(ピーナッツペースト)を加える。このペーストがシチューに深いコクと香ばしさ、そしてクリーミーな食感をもたらすのだ。石臼でピーナッツを挽く作業も体験させてもらい、ゴリゴリとした音と芳ばしい香りに食欲をそそられた。
- ポショ(ウガリ):トウモロコシの粉をお湯で練り上げた東アフリカで広く親しまれている主食。一見簡単そうだが、ダマにならないように力強く、かつリズミカルに練り続けるにはかなりの腕力と技術が必要だ。女性たちは楽しげに会話を交わしながら、スムーズなポショを作り上げていく。僕も挑戦したところ、ぎこちない手つきに笑いが起き、その和やかな笑い声がキッチンの空気を一層温かくしてくれた。
- グリーンズ(葉物野菜の炒め物):畑で採れたばかりのドゥドゥを、玉ねぎとトマトとともにさっと炒める。味付けは塩とほんの少量の油のみ。素材の味を引き出す、極めてシンプルな一品だ。
調理中、女性たちは歌を口ずさみ冗談を言い合い、実に楽しそうだった。彼女たちにとって料理は単なる作業ではなく、家族への愛情表現であり、コミュニティの絆を深める大切な時間なのだ。僕もその輪に加わり、不器用ながら野菜を切り、豆を混ぜた。言葉の壁はあったものの、一緒に料理を作ることで心が通い合うのを感じられた。それはガイドブックだけでは決して味わえない、旅の真髄であった。
魂を満たす、森の食卓
炭火の穏やかな熱でじっくりと調理された料理たちが、次々と仕上がっていく。マトケを包んでいたバナナの葉を広げると、湯気とともに甘く優しい香りが立ちのぼった。ビーン・シチューは香ばしいピーナッツの香りを漂わせ、美しい黄金色に輝いている。炊きたてのポショは、まるで赤ちゃんの肌のようになめらかだ。いよいよ、待ちに待った実食の時間が訪れた。
完成した料理の実食レポート
テーブルに並んだのは、決して派手ではない素朴な料理の数々だった。しかし、一皿一皿が大地の力をたっぷりと受け、力強く輝いているように見えた。僕たちは調理を手伝ってくれた女性たちと共に、大きなテーブルを囲んだ。
まずは主食のマトケから。蒸しあがったマトケは鮮やかな黄色に変わり、フォークで潰すと、ホクホクとした食感としっとりした舌触りが心地よい。ほのかな自然の甘みがあり、まるで上質なサツマイモのようだ。これに濃厚なビーン・シチューをかけて味わう。ピーナッツペーストのコクと豆の旨味、トマトの酸味が調和し、口の中に優しく広がる。この組み合わせはまさに完璧だ。派手なスパイスは使われていないのに、どうしてこれほど深い味わいになるのか不思議に思った。
次にポショを手でちぎり、シチューやグリーンズと一緒に口に運ぶ。ポショ自体にはほとんど味がないが、その素朴な風味が料理の味を見事に引き立てる。シャキシャキとした食感が残るグリーンズは、野菜本来の甘みとほのかな苦みが体に染みわたり、つい手が止まらなくなる。どの料理も驚くほどシンプルでありながら、信じられないほど美味しかった。それは新鮮な食材が持つ「生命の味」そのものだった。化学調味料や複雑な調理法に慣れ親しんだ僕の舌と体が、純粋な大地の恵みを前にして歓喜の声をあげているのを感じた。
食卓を囲む語らいの時間
食事をしながら、女性たちと様々な話を交わした。彼女たちの子供のこと、村の暮らしのこと、そしてこのブウィンディの森やゴリラへの想いについて。彼女たちは口を揃えてこう語った。「ゴリラは私たちの宝です。彼らがいることで観光客が訪れ、私たちの暮らしが成り立っているのです。森は私たちに食べ物や薬、きれいな水を与えてくれる母なる存在です」。彼女たちの言葉には自然と共に生きる人々ならではの、深い知恵と感謝の気持ちが込められていた。
サステナブル・ツーリズムが、このコミュニティにもたらしている具体的な希望も知ることができた。観光客が料理教室に参加したり手工芸品を購入したりすることで得られる収入は、子供たちの学費や家族の医療費、新たな事業の資金となる。それは一方的な援助ではなく、彼女たちが自らの力と誇りを持ち、未来を切り拓くためのポジティブな循環を生み出しているのだ。僕が支払った参加費が、目の前で笑顔を見せる彼女たちの暮らしを直接支えている。その事実が、この食事をより一層味わい深いものにしてくれた。
旅のライターとして、各地の酒を味わうことも楽しみのひとつだ。この滋味豊かな料理に合わせるなら何がいいかと考えた。地元の人々が作るバナナビール「トント」も悪くないだろう。しかしふと思い浮かんだのは、素材の力を最大限に引き出す純粋な料理には、意外にも雑味のないクリアなジンが良いかもしれないということだ。森のハーブを思わせるボタニカルな香りが、この大地の恵みと見事に響き合うだろう。そんな想像を膨らませるのもまた楽しいひとときであった。
ベジタリアン料理に宿るスピリチュアリティ
この食卓で僕が味わったのは、単なる「美味しいベジタリアン料理」では到底言い表せないものだった。もっと深く、精神的な領域にまで踏み込む体験であったと言える。
畑で土に触れ、自分の手で食材を収穫し、伝統的な方法で調理し、生み出した人々とともに食卓を囲む。この一連の営みは、食べ物がどこから来てどのように私たちの口に届くのかという、当たり前ながらも忘れがちなプロセスを改めて思い起こさせてくれた。それは大地とつながりを取り戻すための、一種の儀式(リチュアル)のようでもあった。
ここで食されるベジタリアン料理は、思想や信条、あるいは健康志向として選ばれたものではない。家畜は貴重な財産であり、日常的に肉を口にする習慣がない。そのため、人々は身近な畑の恵みを最大限に活かす知恵を磨いてきた。つまり、この土地でベジタリアンであることは、最も自然でサステナブルな生き方そのものである。森の恵みをいただき、その一部が自分の体となり、やがて土へ還る。その壮大な生命の循環の中に、自分自身も組み込まれているという実感。それは僕の心に深い安らぎと、生きていることへの静かな感謝をもたらしてくれた。これこそが、この森の食卓に宿るスピリチュアリティなのだろう。
旅の終わりに想うこと

ブウィンディの森での数日間は、僕の旅の記憶の中でも特に鮮やかで深く心に刻まれている。濃い緑が覆う闇、シルバーバックの堂々たるまなざし、そして女性たちの笑顔が満ちる温かな食卓。そのすべてが、今なお鮮明に記憶に残っている。
ブウィンディが教えてくれたこと
旅に出る前、僕はブウィンディを「ゴリラに会う場所」という単純なイメージでしか捉えていなかった。しかし、旅を終えた今、その認識は一変した。確かにマウンテンゴリラとの対面は、生涯忘れられない感動的な瞬間だったが、それ以上に僕の心を動かしたのは、この森のふもとで力強く、そしてしなやかに暮らす人々の姿だった。
ゴリラ・トレッキングを通じて感じた自然への敬意。そして、地域の食卓で味わった大地への感謝の気持ち。この二つは僕の中で切り離せないものとして結びついている。森を守ることは、単に野生動物の保護や森林の伐採を防ぐことだけではない。その森とともに歩んできた人々の文化や生活、知恵を含めて尊重し、守り育てていくことなのだ。ブウィンディの人々は、ゴリラという存在を媒介に世界とつながり、その関係を自らの未来を切り拓く力に変えていた。サステナブル・ツーリズムの最も美しい形がここにあると、僕は目の当たりにした。
旅人として、私たちにできること
この旅は、僕に「旅人としての在り方」を改めて考えさせてくれた。美しい風景を眺め、美味しいものを味わうだけの消費型観光から、その土地の文化や人々と深く関わり、互いに良い影響を与え合う「貢献する旅」へ。こうした変化は決して難しいことではない。
例えば、「Ride 4 a Woman」のような地域コミュニティが運営するプログラムに積極的に参加すること。お土産を選ぶときにも、大量生産された商品ではなく、地元の女性たちが心を込めて作った手工芸品を選ぶこと。ほんの少し意識を変えるだけで、僕たちの旅は訪れる土地にとっても、自分たち自身にとっても、より豊かで意味深いものになるはずだ。
日本に戻った今も、時折ブウィンディの食卓を思い出す。あの素朴で滋味深い料理の味わいを。僕の日常の食生活も少しずつ変わりはじめ、食材の産地を意識するようになった。旬の野菜をできるだけシンプルな調理法で楽しむようになったのだ。それは、ブウィンディの森から学んだ、生きる上で最も大切なこと、すなわち「足るを知る」という豊かさなのかもしれない。
もし次の旅先を探しているなら、ぜひウガンダのブウィンディを訪れてほしい。そこには、圧倒的な生命力に満ちた自然と、心あたたまる人々との出会いが待っている。森の恵みを分かち合う食卓の場で、きっとあなた自身の魂を満たす、かけがえのない何かが見つかるだろう。旅はまだ終わらない。僕の心はすでに、新たな未知の食卓を求めて、新しい地図を広げはじめているのだから。

