高層ビルが天を突き、近代的なショッピングモールがきらびやかな光を放つインドネシアの首都、ジャカルタ。そのエネルギッシュな都市の喧騒からわずか数キロ北へ向かうと、まるでタイムスリップしたかのような光景が広がっています。そこは、スンダ・クラパ港。アスファルトの熱気とは違う、潮の香りと木の匂い、そして人々の汗が混じり合った、生命力あふれる空気が支配する場所です。ずらりと岸壁に並ぶのは、風をその身に受けて大海原を駆けたであろう、壮麗な木造帆船「ピニシ」。ここはジャカルタの、いや、インドネシアの歴史が始まった海の玄関口。ただの港ではありません。過去と現在が交差し、今なお力強く鼓動を続ける、生きた博物館なのです。さあ、私Markと一緒に、歴史をその船体に刻み込みながらインドネシアの島々を結ぶピニシ船の魂に触れる、忘れられない旅に出かけましょう。
ジャカルタの歴史と文化をさらに深く知りたい方は、ブタウィ文化の本質に触れるセトゥ・ババカンへの週末トリップもおすすめです。
スンダ・クラパ港とは?ジャカルタの歴史が始まった場所

スンダ・クラパ港の歴史を探ることは、ジャカルタという都市の起源そのものを理解することにほかなりません。この港の物語は、古くは5世紀にまで遡るとされますが、本格的に歴史の表舞台に登場するのは12世紀、西ジャワに栄えたヒンドゥー教国家スンダ王国の時代です。当時この港はチリウン川の河口に位置し、王国にとって最も重要な貿易の拠点でした。「スンダ・クラパ」とはスンダ語で「スンダ族のココナッツ」を意味し、その名前の通り豊かな土地で育まれたココナッツや、世界が切望した胡椒をはじめとする香辛料がこの港から世界へと運ばれていきました。
16世紀に入ると、ヨーロッパの大航海時代の波がこの静かな港にも押し寄せます。黒いダイヤモンドと称された香辛料を求め、次々とヨーロッパの列強が現れました。最初に到来したのはポルトガルであり、彼らはスンダ王国と友好条約を結び貿易の足がかりを築こうとしました。しかし、その野望を阻んだのは勢力を拡大しつつあったイスラム王国デマク王国でした。1527年6月22日、ファタヒラ率いるデマク軍がポルトガルを破りこの地を制圧。彼はスンダ・クラパを「ジャヤカルタ(偉大なる勝利を意味する)」と改名しました。この「ジャヤカルタ」が現在の「ジャカルタ」の語源となったのです。つまり、この港はジャカルタ誕生の地といえるでしょう。この勝利の日は今もジャカルタの市制記念日として祝われています。この港の一角で歴史の大きな転換点が生まれたと思うと感慨深いものがあります。
しかし、物語はここで終わりません。次にこの地の支配者となったのはオランダ東インド会社(VOC)でした。17世紀初頭、彼らはジャヤカルタを破壊し、その廃墟の上に城壁に囲まれた要塞都市「バタヴィア」を築きました。スンダ・クラパ港はバタヴィアの外港として、アジアにおけるオランダの貿易網の中心地となりました。ジャワ島のコーヒー、スマトラ島の胡椒、そしてモルッカ諸島(香料諸島)のクローブやナツメグなど、さまざまな富がこの港に集められ、大型倉庫に保管された後、オランダ本国へ船で送られました。港周辺には現在も当時の面影を伝える倉庫群や監視塔が点在し、かつての繁栄を静かに物語っています。
長きにわたるオランダの統治時代と第二次世界大戦中の日本軍政を経て、インドネシアは独立を勝ち取りました。バタヴィアは再びジャカルタの名を取り戻し、スンダ・クラパ港も新しい時代を迎えました。近代的なタンジュン・プリオク港が建設され、大型コンテナ船の拠点はそちらに移りましたが、スンダ・クラパ港の役割が終わったわけではありません。むしろ、インドネシア国内の多くの島々を結ぶ伝統的な木造帆船「ピニシ」の拠点として、独自の価値を今なお維持しています。ここはジャカルタ、そしてインドネシアの激動する歴史を水面に映し続けてきた、歴史の生き証人であると言えるのです。
港の主役、壮麗なる木造帆船「ピニシ」の物語
スンダ・クラパ港の岸壁に足を踏み入れた瞬間、その独特でありながら圧倒的な美しさに思わず息を呑むことでしょう。様々な大きさの木造船が、まるで巨大な森のように林立するマストを連ねています。その中で特に存在感を放つのが、この港を象徴する「ピニシ船」です。その優美で力強い姿は、単なる船という枠を超え、まるで芸術作品のような威厳を漂わせています。
ピニシ船とは?
ピニシ(Pinisi)とは、インドネシア・南スラウェシ州に暮らす海洋民族、ブギス族とマカッサル族が生み出した伝統的な木造帆船を指します。最大の特徴は、船首に向かって傾く2本のマストに、合計7枚もの帆を張る独特の帆装スタイルです。この複雑な帆の組み合わせによって巧みに風を捉え、かつてはインド洋から南シナ海にかけて広大な海域を自在に航行していました。彼らは優れた航海技術を誇る海の民として知られ、ピニシ船はその精神の象徴とも言える存在です。
その起源は古く、14世紀頃には原型となる船が存在していたとされています。伝説によれば中国のジャンク船の影響を受けつつ、アラビアのダウ船の技術も取り入れ、インドネシアの海の環境に適応した独自の発展を遂げたと言われます。まさに多文化が交錯する海上交易路の要所で生まれた、インドネシア独特のハイブリッドな船なのです。
このピニシ船を建造する伝統技術は、その文化的重要性が国際的にも認められ、2017年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。これは単に古い船が残っているというだけでなく、設計図なく親から子、師から弟子へ口伝と実践で受け継がれてきた、生きた伝統技術の価値が評価された証なのです。スンダ・クラパ港に停泊する一隻一隻が、世界に誇るべき文化財であると知れば、その見方も変わることでしょう。
鉄の釘を使わない?驚くべき伝統造船技術
ここからは、ピニシ船に関する驚きのトリビアをご紹介します。伝統技術で作られるピニシ船は、なんと船体の組み立てに鉄の釘を一本も使わずに仕上げられています。信じられるでしょうか?全長30メートル、数百トンの積載量を誇る巨大な木造船が、釘なしで造られているのです。
では、どのようにして巨大な木材を組み上げているのか。その秘密は、精緻な「木栓(ダボ)」と木材同士を組み合わせる「ほぞ継ぎ」という技法にあります。船大工は木材に極めて正確に穴をあけ、硬質の木で作られた栓を打ち込むことで、パーツを強固に接合していきます。この方法は鉄の釘を使う以上に手間と時間がかかりますが、非常に重要な利点があります。
それは船体に「しなやかさ」をもたらすことです。鉄釘で固く固定された船は荒波の衝撃が一点に集中しやすく、破損のリスクも高まります。しかし、木栓で組み立てられたピニシ船は、波のエネルギーを船全体で吸収し、分散させることが可能です。まるで柳が風を受け流すように、船体全体が柔軟に動くことで、インドネシアの荒波を乗り越える強靭さを実現しています。これは自然と共生する海洋民族が編み出した、知恵の結晶といえるでしょう。船体をよく観察すると、整然と並ぶ木栓の頭が見え、それが職人たちの魂の結晶であることが感じられます。
さらに、船板の隙間を埋める防水処理にも伝統的な技術が用いられています。細かく砕いた木の皮や樹脂を隙間に丁寧に詰め込み、水漏れを防いでいます。現代のシーリング材と異なり、これも船体の動きに柔軟に追従します。アマゾンの奥地で現地の人が手作りするカヌーにも似た考え方があり、自然素材を駆使し自然の力を理解し活用する技術は、極限環境で生きる人々の叡智です。ピニシ船の建造技術も同様の哲学を感じさせます。
いまも現役で活躍!インドネシア諸島を繋ぐ海の動脈
スンダ・クラパ港のピニシ船は、単なる観光用クルーズ船ではありません。驚くことに、その多くは現役の貨物船として今もインドネシア国内の物流を支え続けています。1万7000以上の島々からなるインドネシアでは、大型船が入れない小さな港や浅い水域への物資輸送に、浅喫水のピニシ船は欠かせない存在です。
彼らが運ぶ積荷は多岐にわたります。ジャワ島で生産されたセメントや鉄骨、加工食品や日用品などを積み、カリマンタン島(ボルネオ島)やスラウェシ島、パプアなど遠隔の島々へ届けます。帰り便には当地の特産品である木材や乾燥ココナッツ(コプラ)、香辛料などが積まれジャワ島へ戻ります。まさにインドネシア経済の血管のように、今も重要な役割を果たしています。
港を歩けば、その迫力ある荷役作業を間近に見られます。船と岸壁の間に渡された幅わずか30センチほどの細い板の上を、逞しい船員たちが50キロはあろうセメント袋を肩に担ぎ、卓越したバランス感覚で次々と船倉へ運び入れていきます。その動きは無駄なく洗練され、長年の経験に裏打ちされた職人技とも言えます。機械化された港では見ることができない、人間の力強さと汗の匂いが漂っています。船の上では、次の航海に備え船体の補修をする者、網を繕う者、笑い声が交わされる者たちの姿も見られ、彼らの暮らしがこの船の上に根付いていることを実感させられます。
スンダ・クラパ港の歩き方と見どころ徹底ガイド

歴史とピニシ船の魅力を知ったところで、いよいよスンダ・クラパ港の散策に出かけてみましょう。単に歩くだけでも十分楽しめますが、いくつかのポイントを押さえることで、その魅力は一層深まります。
活気に満ちた荷役作業を間近で感じる
スンダ・クラパ港の最大の魅力は、「生きている港」の活気を直に体感できることです。岸壁沿いを歩けば、目の前でピニシ船への荷物の積み込みや、降ろされた木材をトラックに積み替える様子が見られます。船員たちの元気な掛け声、トラックのエンジン音、時折響く汽笛、そして舞い上がる砂ぼこりが一体となり、港全体が巨大な生命体のように動いているのを感じ取れるでしょう。
なかでも圧巻なのがセメント袋の積み込み作業です。船員たちは細い板の上で見事な連携プレーを見せ、岸壁から船へとリレーのように運びます。日に焼けた逞しい背中に流れる汗は、この港が観光スポットであるだけでなく、人々の暮らしを支える労働の現場でもあることを雄弁に語っています。
見学する際は、彼らの作業の邪魔にならないよう距離を保つことが大切です。足元は決して整っていないため、サンダルではなく、しっかりと足を守れるスニーカーなどを履きましょう。また、作業の様子を撮影したい気持ちは理解できますが、働く人々にカメラを向ける際は、一言声をかけるかジェスチャーで許可を取るのがマナーです。
船乗りたちとの一期一会
一見すると屈強で近寄りがたい印象を受ける船乗りたちですが、多くはピニシ船の故郷である南スラウェシ出身のブギス族です。勇気を出して「スラマッ・パギ(おはよう)」や「アパ・カバール(お元気ですか?)」と挨拶してみると、照れくさそうな笑顔で応えてくれることが多いです。
私自身、女の子らしい恥ずかしがり屋な面もありますが、旅先では好奇心が勝ります。船の写真を撮っていると、休憩中の船員から「どこから来たんだ?」と声をかけられることもしばしば。片言のインドネシア語や英語、身振り手振りでやり取りすると、次の航海はカリマンタンまで1週間以上かかるとのこと。船の上で寝泊まりし、家族と数ヶ月も会えないこともあるそうです。彼らの顔に刻まれた深いしわは、太陽光や潮風だけでなく、過酷な航海の歴史を物語っているように見えました。
もちろん誰もが友好的とは限りませんが、敬意を持って接することで、彼らの世界を少しだけ垣間見ることができるでしょう。運が良ければ、船に招かれて熱くて甘いインドネシアコーヒーをご馳走になることもあります。こうした一期一会の出会いは、旅の最高の思い出となるでしょう。
ピニシ船に乗船体験!海からの眺めは格別
岸から見るだけでも壮観なピニシ船ですが、実際に乗って海側から港を眺める体験はさらに特別です。港内を巡るショートクルーズを提供しているピニシ船もあり、決まった乗り場はないため、岸壁を歩いて客引きをしている船頭を探すか、停泊中の船員に直接交渉してみましょう。
料金は交渉次第ですが、30分から1時間程度のクルーズで1人あたり50,000~100,000ルピア(約400~800円)が相場です。複数人なら一艘チャーターすることも可能です。乗船の際は、必ず料金と時間を確認してください。
エンジン駆動の短いクルーズですが、きしむ木の甲板の感触や複雑に絡まり合うロープの香り、水面すれすれの目線から見上げる巨大なピニシ船の船体は、陸上では味わえない迫力です。並ぶ木造船のマストがまるで森のように見える光景は圧巻です。遠くにジャカルタの近代的なビル群を望みながら、歴史ある木造船に揺られる対比も非常に興味深いものです。
港の絶景を楽しむなら「監視塔」へ
港の喧騒を離れて全景を見渡したい場合は、「ムナラ・シャバンダル(Menara Syahbandar)」、通称「監視塔」へ足を運んでみてください。港の入り口付近に建つこの白い塔は、1839年にオランダによって築かれ、かつては港に出入りする船を監視し、関税を徴収する重要な役割を果たしていました。
高さはそれほどなく、螺旋階段を登った頂上からはスンダ・クラパ港全体と、その先に広がるジャワ海を一望できます。無数のピニシ船がびっしりと停泊する様子は、まるで精巧なジオラマのようです。特に夕暮れ時、太陽が西に傾き始めると空と海がオレンジ色に染まり、ピニシ船のシルエットが黒く際立つ美しい光景が広がります。このノスタルジックな眺めはスンダ・クラパ港で最も写真映えする瞬間のひとつです。塔は少し傾いているため「ジャカルタのピサの斜塔」とも呼ばれており、歴史の重みを感じさせる興味深いポイントです。
巨大魚市場「パサール・イカン」で地元の熱気に触れる
監視塔のすぐ隣にはもう一つの名所、「パサール・イカン(Pasar Ikan)」、すなわち魚市場があります。かつてはジャカルタ最大の魚市場として、深夜から早朝に活発な競りが繰り広げられていました。現在は施設の老朽化などで規模こそ縮小していますが、新鮮な魚介を扱う店が軒を連ね、地元の人々で賑わっています。
市場に足を踏み入れると、海から揚がったばかりの魚の香りや威勢の良い声、そして湿気を帯びた熱気が五感を刺激します。マグロやカツオ、アジ、エビ、カニ、貝類など彩り豊かな海の幸がトロ箱に並ぶ様子は見飽きることがありません。ここでは購入した魚をその場で焼いて食べられる食堂もあり、港の風景を眺めながら新鮮なシーフードグリルを味わう贅沢は格別です。
スンダ・クラパ港を120%楽しむためのトリビアとヒント
スンダ・クラパ港での体験をより深く、心に残るものにするためのちょっとした知識とコツをいくつかご紹介します。
港に響きわたる祈りの声「アザーン」
インドネシアは世界最大のイスラム教徒人口を擁する国です。スンダ・クラパ港を歩いていると、1日5回、近隣のモスクから礼拝の呼びかけである「アザーン」がスピーカーを通じて力強く響いてきます。作業中の船員の中には手を止め、聖地メッカの方向を向いて祈る姿も見受けられます。潮風とエンジン音に交じって流れてくる荘厳なアザーンの声は、この地の独特な文化や信仰の深さを伝え、港の景色により一層の趣と異国情緒をもたらします。
なぜ船体はカラフルなのか? 船乗りたちの願い
ピニシ船をじっくり見ると、船首や船尾、舵などに赤・青・白・緑など鮮やかな色彩が施されているのがわかります。これは単純な装飾ではなく、ブギス族の船乗りたちにとってそれぞれの色に意味が込められています。たとえば、船首に描かれた一対の目は航海の安全を見守る「魔除け」を象徴しています。また、色彩自体も勇気や空、清浄さ、豊穣といった願いや自然への敬意を表しているとされます。過酷かつ危険な航海に挑む船乗りたちが船に託す安全の祈りが、このカラフルなペイントに込められているのです。船の装飾のひとつひとつに目を向けることで、彼らの文化や価値観を垣間見ることができるでしょう。
訪問にふさわしい時間帯は?
スンダ・クラパ港は一日中活気にあふれていますが、訪れる時間帯によってその雰囲気は大きく変わります。
- 早朝(午前6時から9時頃): もっとも涼しく過ごしやすい時間帯です。朝日がピニシ船のマストを黄金色に照らし出す幻想的な光景を目にできます。この時間帯は荷役作業も盛んになり、港の活気を肌で感じられるでしょう。
- 夕方(午後4時から6時頃): 赤道に近い強い日差しが和らぎ、海風が心地よく感じられる時間帯です。夕日が港全体をドラマチックに染め上げ、どこかノスタルジックな雰囲気に包まれます。監視塔からの眺望はこの時間が特に見応えがあります。
日中は非常に暑く、日陰もほとんどないため、熱中症対策は欠かせません。帽子、サングラス、日焼け止め、そして十分な水分補給をお忘れなく。
スンダ・クラパ港へのアクセスと注意事項
- アクセス: ジャカルタ中心部からスンダ・クラパ港へは、タクシーや配車アプリ(GrabやGojek)を使うのが最も手軽で便利です。所要時間は交通状況により異なりますが、およそ30分から1時間程度を見ておくと良いでしょう。「Sunda Kelapa Harbor」と伝えれば、ほとんどのドライバーに通じます。
- 入場料: 港の入口には料金所があり、1人あたり数千ルピア(数十円程度)の入場料がかかります。料金は変更されることがありますのでご注意ください。
- 服装と持ち物: 汚れても差し支えなく動きやすい服装が望ましいです。足元はサンダルよりも歩きやすいスニーカーがおすすめ。帽子、サングラス、日焼け止めは必須アイテムです。汗を拭くタオルやウェットティッシュ、飲料水の持参も推奨します。
- 治安: 活気溢れる場所ではありますが、多くの人が行き交うためスリや置き引きには十分注意してください。貴重品は体の前で管理するなど、手荷物に気を配りましょう。しつこい客引きや物乞いに遭遇することもありますが、不要な場合ははっきりと断ることが大切です。
港の歴史をさらに深く知る周辺スポット

スンダ・クラパ港に訪れた際は、ぜひ周辺のおすすめスポットにも足を伸ばしてみてください。港の歴史をより深く知ることができ、ジャカルタの多面的な魅力を感じられるでしょう。
インドネシア海洋博物館 (Museum Bahari)
スンダ・クラパ港のすぐ近く、パサール・イカンの向かいに位置するこの博物館は見逃せません。17世紀から18世紀にかけてオランダ東インド会社(VOC)がスパイス倉庫として使っていた歴史ある建物を利用しており、その重厚な壁や大きな木製の梁がかつての繁栄した香辛料貿易の歴史を物語っています。
館内にはインドネシア各地の伝統的な船の精巧な模型が多数展示されており、ピニシ船をはじめ異なる地域の船の形や特徴を比較して見るだけでも興味深いです。さらに、インドネシアの海洋史や航海技術、漁業文化についての充実した展示もあり、スンダ・クラパ港を訪れる前に立ち寄ることで、港やピニシ船の歴史理解が一層深まることでしょう。
| スポット名 | インドネシア海洋博物館 (Museum Bahari Indonesia) |
|---|---|
| 住所 | Jl. Ps. Ikan No.1, Penjaringan, Jakarta Utara |
| 開館時間 | 9:00〜15:00(月曜・祝日休館) |
| 入場料 | 約5,000ルピア(変動あり) |
| 特徴 | 旧VOCのスパイス倉庫を利用した博物館で、インドネシアの海洋史や伝統船について学べる。 |
ファタヒラ広場と旧バタヴィア市街
スンダ・クラパ港の南側に少し進むと、コタ・トゥア(旧市街)地区の中心であるファタヒラ広場があります。かつてバタヴィアの行政の中心地として栄え、広場を囲むように旧バタヴィア市庁舎(現在はジャカルタ歴史博物館)をはじめ、荘厳なコロニアル建築が立ち並んでいます。石畳の広場では、カラフルに装飾されたレンタル自転車が行き交い、大道芸人や観光客で賑わいを見せています。
このエリアは、まるでヨーロッパの路地に迷い込んだかのような感覚を覚えるほど、オランダ植民地時代の面影が色濃く残っています。広場に面した「カフェ・バタヴィア」は、19世紀の建物を改装した趣あるカフェで、歴史的な空気を感じながらゆったり休憩するのにぴったりです。スンダ・クラパ港の海風とは異なる歴史の香りを感じつつ、ジャカルタの別の顔に触れてみてはいかがでしょうか。
| スポット名 | ファタヒラ広場 (Taman Fatahillah) |
|---|---|
| 住所 | Kawasan Kota Tua, Pinangsia, Tamansari, Jakarta Barat |
| 開館時間 | 広場は24時間開放(周辺施設は各施設により異なる) |
| 入場料 | 広場は無料 |
| 特徴 | 旧バタヴィアの中心地。コロニアル建築が並び、ジャカルタ歴史博物館やワヤン博物館などがある。 |
魂の航海は、まだ終わらない
スンダ・クラパ港を後にする頃には、私のシャツは汗と埃で汚れ、靴は泥で覆われていました。しかし、不思議なことに心は高揚感と深い満足感に包まれていました。ここは単なる古い船が浮かぶ懐かしい観光地ではありません。ジャカルタという巨大都市の片隅で、今なお力強く息づき、国の経済や人々の暮らしを支え続ける「生きた現場」なのです。
釘を使わずに組み立てられた船体で荒波に立ち向かい、数ヶ月もの間、家族と離れて海上生活を送る船乗りたちのたくましい姿。その彼らが運ぶセメントや木材は、遠く離れた島の誰かの住まいや暮らしへとつながっています。その連鎖を思い描くと、この港に流れる時間の重みと、そこで生きる人々の魂の強さに圧倒されるばかりでした。近代化の波が押し寄せる中、変わらず伝統を守り、誇りを胸に働き続ける彼らの姿は、効率や合理性だけでは計り知れない、人間の根源的な強さを教えてくれます。
ジャカルタの喧騒に疲れたなら、ぜひ北へ足を運んでみてください。そこにはコンクリートジャングルの中で出会える、本物の冒険の香りが待っています。歴史を船体に刻み、未来へ物資を運び続けるピニシ船の魂の航海は、今日も明日も決して終わることがないのです。

