オーストリア南部に輝く宝石のような街、グラーツ。その名はスラブ語で「小さな城」を意味する「グラデツ」に由来すると言われ、ハプスブルク家の皇帝たちが愛した古都は、今なお中世からルネサンス、そしてバロックへと至る時代の息吹を色濃く残しています。赤茶色の屋根瓦が織りなす美しい街並みは、1999年にユネスコの世界遺産に登録され、多くの旅人を魅了してやみません。しかし、この街の魅力は、ただ美しい景観だけにとどまらないのです。歴史の襞に隠されるようにして存在する、ある不思議な建築物を訪ねることこそ、私のこの旅の最大の目的でした。それは、ただの階段ではありません。見る者の目を惑わせ、歩む者の心に静かな問いを投げかける、魔法のような螺旋。グラーツ城の一角にひっそりと佇む「二重らせん階段」、またの名を「和解の階段」。今回は、この稀代の傑作に込められた、後期ゴシック建築の叡智と、時代を超えて響く人々の祈りの物語を、じっくりと紐解いていきたいと思います。
この街の歴史的建造物を巡るなら、中世の武具が収められた「ランデスツォイクハウス」もまた、グラーツの豊かな歴史を物語る必見のスポットです。
グラーツ城(Grazer Burg)へ – 歴史の舞台に立つ

目的の階段は街の東側、シュロスベルク丘の麓に位置するグラーツ城(Grazer Burg)の内部にあります。この城は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世(在位1452年~1493年)の指示により、1438年から建設が始まった堅固な要塞でした。ハプスブルク家がヨーロッパでの覇権を築く礎となった重要人物であるフリードリヒ3世は、グラーツを深く愛し、ウィーンやリンツと並ぶ帝国の拠点として、この地に壮大な城と大聖堂を築き上げました。
かつては堀と城壁に守られ、難攻不落を誇っていたこの城も、現在ではシュタイアーマルク州の州政府庁舎として利用され、荘厳な空気の中に日常の営みが息づいています。中庭に足を踏み入れると、多様な時代の建築様式が入り混じり、この城の長い歴史が感じられました。ゴシック様式の尖ったアーチ型の窓、ルネサンス様式の優美な回廊、そして後の時代に増設されたであろう質実剛健な庁舎部分が、不思議な調和を保って中世の世界へと訪れる者をいざないます。
多くの観光客は旧市街の華やかさや、丘の上に立つ時計塔(ウーアトゥルム)に見惚れがちですが、このグラーツ城こそが街の政治的かつ文化的中心地であったことの証なんです。私たちは今、かつて皇帝が歩み、騎士たちが駆け抜け、歴史的な決断がなされたであろうその地に立っています。その事実をきちんと胸に刻むだけで、これから対面する螺旋階段への期待が自然と高まっていくのを感じました。
州政府のオフィスが並ぶ廊下を進み、案内表示に従って角を曲がったその瞬間、階段は静かにしかし圧倒的な存在感を放って、目の前に姿を現したのです。
遂に邂逅する「和解の階段」 – その第一印象と構造の謎
柔らかな光が差し込む吹き抜けの空間の中で、優雅な曲線を描きながら天へと伸びる石造りの階段、それがあの著名な「二重らせん階段(Doppelwendeltreppe)」でした。何度も写真や映像で見てきたはずなのに、実際に目の前にすると、その衝撃は想像を遥かに超えていました。
まず、その構造の不思議さに強く惹かれます。一見すれば、ただの美しい螺旋階段のようですが、よく観察すると、二つの独立した階段が存在していることに気づくのです。左右の別々の入口から始まる二つの階段は、まるで寄り添う恋人のように、同じ軸を中心にそれぞれ螺旋を描きながら上昇していきます。各階の踊り場でほんの一瞬交差し、すぐにまたそれぞれの道へ分かれていく。その交差は繰り返され、まるでM.C.エッシャーのだまし絵の世界に迷い込んだかのような、不思議で幻想的な光景を作り出しています。
どちらかの階段を選んで昇り始めると、もう一方の階段を上る人の姿が時折見え隠れします。近くにいるはずなのに、決して触れ合うことはありません。踊り場で交差する、ほんのわずかな瞬間だけ、お互いが同じ空間を共有することができるのです。この視覚的なトリックと心理的な距離感が、この階段に特有の浮遊感と物語性を与えています。
石の手すりは滑らかに磨かれ、長い年月を経て多くの人々の手に触れられてきた歴史の温もりを伝えてきます。踏み板はわずかにすり減り、その一歩一歩が、まるでゴシック時代の石工たちが刻んだであろうノミの音を響かせているかのようです。なぜ、これほどまでに複雑で、実用性に重きを置かない構造の階段が作られたのか。その背景には単なる移動手段を超える深い思想と象徴的な意味が込められているに違いありません。この謎の鍵は、階段が誕生した後期ゴシックの世界観そのものに隠されていたのです。
ゴシック建築の叡智 – 天才建築家が仕掛けた数学と象徴の魔法

この二重らせん階段が築かれたのは1499年頃であり、ヨーロッパが中世の終焉を迎え、ルネサンスという新たな時代の光が差し込もうとしていたまさに転換期のことでした。当時、建築は神が創造した宇宙の秩序を地上に再現する行為とみなされていました。特にゴシック建築は、天空を目指すような垂直性とステンドグラスから降り注ぐ光を用いて、神の栄光を表現しようとする様式でした。その根本には精密な数学的計算と深遠なキリスト教神学に基づいた象徴主義(シンボリズム)が存在していました。
建築の背景と時代
後期ゴシック期は、建築技術が一つの頂点に達した時代でもありました。石工職人たちは「マイスター」と称され、親方から弟子へと口伝や実技を通じて、高度な幾何学や構造力学の知識をギルド内で伝承していました。彼らは、石という硬質な素材をまるで粘土のように自在に扱い、重力を感じさせない軽やかで華麗な構造物を数多く築き上げたのです。
グラーツの二重らせん階段の設計者については、残念ながら明確な記録が残されていませんが、その複雑で独創的なデザインを具現化したのは当時屈指の腕を持つマイスターであったことに疑いの余地はありません。彼らは単なる技術者ではなく、神学者であり哲学者でもありました。石に刻み込まれたのは単なる装飾ではなく、世界を解き明かすための「記号」だったのです。この階段もまた、石による壮麗な詩篇であり、哲学書と言って差し支えないでしょう。
隠された象徴主義(シンボリズム)
では、この「二重らせん」というモチーフにはどのような意味が込められているのでしょうか。現代の私たちはこの形を見るとすぐにDNAのらせん構造を連想しますが、15世紀の人々にその知識があったはずもありません。しかし、螺旋は古来より多くの文化で重要な象徴として用いられてきました。
その一つは「永遠」や「無限」、「循環」といった概念です。始まりも終わりもなく、果てしなく続いていくような螺旋は、神の無限性や生命の輪廻を表現します。二つの螺旋が絡み合う様子は、決して交わらない天と地、あるいは精神と物質といった二元論的な世界観の調和を象徴すると解釈できます。
また、キリスト教の教義に照らすと、より深い意味が見えてきます。二つの階段が交差し結合し、また分かれるこの構造は、「分離と結合」「対立と和解」というテーマを内包しています。これは旧約聖書と新約聖書の関係、あるいは神と人間の繋がりを象徴している可能性があります。さらに掘り下げれば、神性(イエス)と人性(キリスト)という二つの性質を持ちながら一体であるイエス・キリスト自身を表しているとも考えられます。
この階段が「和解の階段(Versöhnungsstiege)」と呼ばれるようになったのは、実は20世紀に入ってからのことです。しかし、この名称が広まったのは、この階段の構造自体が、対立する二者が一つとなる「和解」の物語を直感的に人々に伝えたからにほかなりません。
建築技術の粋
象徴的な意味合いのみならず、建築技術の面から見ても、この階段は極めて驚異的です。現代のようにコンピューターによる構造解析が存在しなかった時代に、どうしてこれほど複雑な曲面を持つ石材パーツを緻密に切り出し、わずかな誤差もなく組み上げられたのでしょうか。
まず、階段の中心軸や手すり、踏み板などの部材は全て砂岩から削り出されています。中でも滑らかな曲線を描く手すり部分は、大きな石塊から彫刻されており、その加工精度には驚嘆せざるを得ません。さらに重要なのは、階段全体の荷重をいかに効果的に分散させるかという静力学的計算です。二つの螺旋が互いに支え合う構造となっており、その力は巧みに壁や床に伝達されています。踊り場で一瞬だけ接合する部分は、デザイン上のアクセントであると同時に、構造的に重要な結節点でもあるのです。
この階段は、後期ゴシックの石工たちが達成した技術の集大成であり、彼らの数学的な知識と空間把握能力の卓越さを示す生きた証拠と言えるでしょう。もはや単なる建築物を超え、巨大な石の彫刻作品と呼ぶにふさわしい芸術品なのです。
「和解の階段」という名の由来 – 愛と憎しみの物語
これほどまでに神秘的で美しい階段には、人々の創造力をかき立てる物語が自然と生まれるのも無理はありません。では、なぜこの階段が「和解の階段」と称されるようになったのでしょうか。その背景にはいくつかの俗説と、この階段が内包する普遍的なテーマ性が関わっています。
皇帝フリードリヒ3世とマクシミリアン1世
一つのロマンチックな伝説として語られるのが、この城を築いた皇帝フリードリヒ3世と、その息子マクシミリアン1世にまつわる物語です。歴史の中で、行動的で野心に燃えた息子マクシミリアンと、慎重で時に疑念深い父フリードリヒとの間には、政治的な対立や確執があったと言われています。
この物語によると、仲違いしていた二人が、それぞれ異なる入口からこの階段を上り始めた際、踊り場で偶然出会ったというのです。すれ違いながら言葉を交わすうちに、二人の心は徐々に和らぎ、ついに和解に至ったといわれます。あるいは、対立していた二人の貴族がこの階段をきっかけに和解したという別のバリエーションも存在します。
もちろん、これらは後世に創作された物語であり、歴史的事実として確証はありません。しかし、人々がこの階段の「分かれと合流」という構造に、人間関係の「対立と和解」というドラマを重ねたことは非常に興味深い点です。この階段は単なる建築物の枠を超え、人々の心に寄り添う物語の舞台装置として機能してきたのです。
人生のメタファーとしての階段
「和解の階段」という名前が持つ魅力は、特定の人物の物語に限られません。それは私たち自身の人生を映す一つのメタファーとしても、深い共感を呼び起こします。私たちは皆、それぞれ別の道を歩み出し、人という階段を上り続けています。その過程で多くの人々と出会い、すれ違い、時には心を通わせ、そしてまた別々の道へ分かれていきます。
この二重らせん階段を実際に歩いてみると、その感覚がより鮮明に伝わってきます。自分とは異なる階段を上る人の姿を見つめつつ、一歩一歩、石の感触を確かめる。踊り場で交差する瞬間には短い挨拶を交わしたり、微笑み合ったりする。それはまるで人生における束の間の出会いのようです。決して同じ道を歩むことはないものの、一瞬だけ同じ時空を共有し、互いの存在を認識し合う。この不思議な体験は、人間関係の尊さや他者との距離感について改めて考えさせてくれます。
対立していた二人が和解する。別々の道を歩んでいた二人が出会う。この階段は、そうした人生のさまざまな局面を象徴する、普遍的な舞台装置なのかもしれません。だからこそ、時代を超えて多くの人々の心を惹きつけ、特別な名で親しまれるようになったのでしょう。
グラーツの街に息づく、もう一つのゴシックの傑作

二重らせん階段の魅力にすっかり心を奪われましたが、この階段を生み出した後期ゴシックの精神はグラーツの街じゅうに息づいています。グラーツ城に隣接する場所には、同じく皇帝フリードリヒ3世が熱心に支えた、もう一つのゴシック建築の傑作がそびえ立っています。それがグラーツ大聖堂です。
グラーツ大聖堂(Grazer Dom)
1438年から1464年にかけて建てられたこの大聖堂は、元は宮廷の付属教会として築かれました。二重らせん階段とほぼ同時期に、同一のパトロンのもとで建築されたこの二つの作品は、まるで双子のような関係性を持っています。質実剛健でありながら神聖な空間を作り上げる大聖堂と、遊び心溢れる象徴に満ちた二重らせん階段。両者を見比べることで、フリードリヒ3世という人物の信仰心と美意識、さらには後期ゴシック期の多様な側面をより深く知ることができるのです。
大聖堂の外観は控えめで装飾も抑えられていますが、一歩内部に入ると、高くそびえるリブヴォールト天井が織りなす荘厳な空間に圧倒されます。ゴシック様式を基調としつつ、後世に加えられた豪華なバロック様式の主祭壇や説教壇が共存し、時代の重なりを感じさせる造りとなっています。
とはいえ、この大聖堂で最も注目したいのは、外壁に残る一枚のフレスコ画かもしれません。
災厄を描いた壁画「Landplagenbild」の意味するもの
大聖堂の南側外壁には、風雨に晒され色褪せてはいるものの非常に重要な壁画が残されています。1485年頃に描かれたとされる「神の災いの絵(Landplagenbild)」です。この壁画には、当時の人々に襲いかかった三つの大きな災厄、「ペスト(黒死病)」、「イナゴの大発生による飢饉」、そして「オスマン・トルコ軍の侵攻」が詳細に描かれています。
天からは怒れる神と聖母マリア、さらにキリストが厳しく見つめる中、骸骨の姿のペストが人々を襲い、イナゴの大群が作物を食い荒らし、三日月を掲げたトルコ軍が街を蹂躙しています。これは当時のシュタイアーマルク地方を実際に襲った災害であり、人々の恐怖と絶望、そして神に救いを求める必死の祈りが込められています。二重らせん階段が後期ゴシックの洗練された技術と知性の結晶なら、この壁画は同時代の光と影、人々の生々しい信仰の姿を伝えるもう一つの側面と言えるでしょう。華やかな建築の裏側には、常に死や災厄の恐怖と隣り合わせに生きた人々の魂の叫びが潜んでいたのです。
マウソレウム(霊廟)
大聖堂のすぐ隣には、ターコイズブルーのドームが印象的な、ひときわ目を引く建物があります。これは神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の霊廟(マウソレウム)です。17世紀初頭に建築が始まったこの建物は、ゴシック様式ではなく、ルネサンス後期のマニエリスムから初期バロックへと移り変わる過渡期の様式を強く反映しています。内部の豪華な装飾やダイナミックな空間構成は、ゴシックの静謐な世界とは対照的です。グラーツの町を歩くと、異なる時代の最高傑作が隣り合って存在していることに気づかされます。それぞれの建築物が持つ独自の美学や世界観を比較しながら散策するのも、この街ならではの楽しみ方の一つです。
旅の実用情報 – 「和解の階段」を訪れるために
この神秘的な魅力にあふれた二重らせん階段を、実際に目の当たりにし、その螺旋を歩いてみたいと感じた方も多いことでしょう。ここでは、訪問時に役立つ実用的な情報をまとめました。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | 二重らせん階段 (Doppelwendeltreppe) / グラーツ城 (Grazer Burg) |
| 住所 | Hofgasse 15, 8010 Graz, Austria |
| アクセス | グラーツ中央駅(Graz Hauptbahnhof)からトラム1、3、6、7番線のいずれかに乗車し、ハウプト広場(Hauptplatz)で下車。そこから徒歩およそ5分です。旧市街の中心部に位置しているため、散策を楽しみながら向かうのがおすすめです。 |
| 開館時間 | グラーツ城はシュタイアーマルク州の州政府庁舎として使われているため、基本的に平日の執務時間中に見学できます。目安としては月曜から金曜の午前8時頃から午後6時頃までですが、公式行事などにより立ち入りが制限される場合もあります。週末や祝日は閉館していることが多いので、訪問前に確認することを推奨します。 |
| 入場料 | 無料です。庁舎の一部として公開されているため、料金は一切かかりません。これは大変嬉しいポイントです。 |
| 注意点 | 現役の庁舎であるため、見学時は静かに行動してください。大声を出したり走り回ったりすることは禁止されています。写真撮影は原則許可されていますが、フラッシュの使用は避け、ほかの見学者や職員に迷惑がかからないよう気を配りましょう。 |
グラーツの街歩きをさらに楽しむコツ
二重らせん階段の見学と一緒に、グラーツの街歩きもしっかり堪能しましょう。赤い瓦屋根が続く旧市街は、どの景色もまるで絵はがきのような美しさです。街の中心地であるハウプト広場には美しい市庁舎が建ち、周囲に歴史的な建造物が軒を連ねています。そこから少し足を伸ばせば、街のシンボルであるシュロスベルクの時計塔に辿りつきます。丘の上から望むグラーツの街並みは圧巻の眺めです。
また、グラーツは歴史ある街並みだけでなく、斬新な現代建築も共に存在していることで知られています。ムーア川上に浮かぶガラス張りの人工島「ムーアインゼル」や、青く光る幻想的な外観をもつ美術館「クンストハウス・グラーツ」は、歴史地区との鮮やかな対比を生み出し、街の新たな魅力を感じさせてくれます。
散策で疲れたら、ぜひカフェでひと息ついてみてください。シュタイアーマルク州はカボチャの産地として有名で、そこから採れる「カボチャの種オイル(Kürbiskernöl)」は名産品です。主にサラダのドレッシングとして使われますが、バニラアイスにかけるという意外な食べ方もあり、その絶妙な味わいに驚かされます。ぜひ一度試してみてください。
螺旋に刻まれた祈り – 時代を超えて語りかけるもの

グラーツ城の静謐な一角で、私は再びゆっくりと「和解の階段」を昇り降りしていました。すれ違う人々の中には地元の職員らしき人もいれば、私と同じく遠方から訪れた旅人もいます。言葉を交わすことはなくとも、この不思議な螺旋構造を共有する短いひとときに、私たちは確かに何かを感じ取っていました。それは共感であり敬意であり、この壮麗な建築を生み出した名もなき職人たちへの静かな感謝の気持ちでした。
この二重らせん階段は、単なる建築史上の奇跡や珍しい観光スポットではありません。それは後期ゴシック期の人々が、石という素材を通じて表現した壮大な宇宙観であり、人生哲学そのものなのです。分かれ合い、交差し、再び分かれていく二つの螺旋。そこには対立と調和、出会いと別れ、天と地、神と人といった、時代や場所を超えた不変のテーマが見事に形象化されています。
「和解」という名称は、のちの世の人々がこの階段の形状から読み解いた、一つの美しい物語にすぎないのかもしれません。しかし、その物語を紡ぐ力こそ、この建築物の本質であると言えるでしょう。それは観る者の心に直接語りかけ、各々の人生の物語を映し出す魔法の鏡のような存在なのです。
もしあなたがオーストリアを訪れる機会があれば、ぜひグラーツまで足をのばしてみてください。そして、この静かな城の中庭で、500年以上を経てなお回り続ける石の螺旋と向き合ってほしいのです。きっとその階段は、あなただけの物語を静かに紡ぎ出してくれることでしょう。

