旅とは、時に地図にない道へと私たちを誘う魔法のようなものです。チェコ共和国の西端、ドイツとの国境にほど近い森深き渓谷に、まるで宝石箱をひっくり返したかのような華やかな温泉街が隠されています。その名はカルロヴィ・ヴァリ。かの神聖ローマ皇帝カール4世がその効能を見出し、以来ヨーロッパ中の王侯貴族たちがこぞって訪れた伝説の地。しかし、この街の魅力は、優雅なコロナーダ(飲泉所)を散策し、治癒の力を持つという温泉水を飲むだけにとどまりません。ひとたびペダルを漕ぎ出せば、街を潤すオフジェ川に沿って、ボヘミア地方の心臓部を貫く壮大な自然と、忘れ去られた古城の物語が待っているのです。今回は、歴史が香る温泉保養と、アクティブなサイクリングを組み合わせた、少し欲張りで、そして記憶に深く刻まれる旅へと皆様をご案内しましょう。煌びやかな街並みから、静寂の森へ。さあ、ボヘミアの風を感じに出かけませんか。
この街のもう一つの魅力である、森と温泉が調和した静謐な散策路については、皇帝が愛した癒やしの森で詳しくご紹介しています。
時を飲む温泉郷、カルロヴィ・ヴァリの歴史散策

カルロヴィ・ヴァリの朝は、テプラー川の穏やかな流れが奏でる水音と、石畳を踏む人々の靴音によって静かに始まります。川沿いには、パステルカラーで彩色されたアール・ヌーヴォーやネオクラシックの壮麗な建築物が並び、まるで互いの美しさを競い合うかのように密集しています。この街を歩くことはただの観光を超えています。ハプスブルク帝国の繁栄の余韻を感じ取り、ベートーヴェンやゲーテがかつて歩んだであろう古道を辿るという、時空を越えた貴重な体験なのです。
皇帝カール4世と鹿の伝説 — 街の創生に秘められた物語
カルロヴィ・ヴァリの歴史は、一挺の矢をきっかけに始まります。1350年頃、神聖ローマ皇帝にしてボヘミア王でもあったカール4世が、近隣の森で狩を楽しんでいた際の逸話です。彼の猟犬が雄鹿を追い詰めて谷へ追いやったものの、鹿も犬も偶然に湧き出る熱い泉に落ちてしまいます。駆け付けたカール4世は、犬が火傷しているのを見て驚きました。しかし、熱水に浸かった鹿の傷が次第に癒えていく光景を目にし、彼はこのお湯が普通の温泉水とは異なる、特別な治癒力を持つ奇跡の泉だと直感しました。自身も足の持病を抱えていたカール4世はその湯に浸してみると、長年の痛みが和らいだと言われています。この感銘から、彼はこの泉を中心に街の建設を命じました。それが「カールの温泉」を意味するカルロヴィ・ヴァリの誕生の由来です。この伝説は街の紋章に鹿が描かれていることからも、如何に人々に愛され街の象徴となっているかが窺えます。街の頂に位置するディアナ展望台の麓には、この伝説を描いたレリーフがあり、訪問者に静かに街の起源を伝えています。
興味深いのは、この伝説が単なる昔話で終わらないところです。実際、カルロヴィ・ヴァリの温泉水は豊富なミネラルを含み、とりわけ消化器系や代謝系の疾患に効果があるとされており、中世から近代にかけて医療目的の「飲泉」が確立されました。つまり、カール4世の発見は科学的根拠も伴う偉大な功績だったのです。伝説と事実が美しく調和する場所、それこそがカルロヴィ・ヴァリの最大の魅力といえるでしょう。
コロナーダを巡る — 建築様式で読み解くボヘミアの栄華
カルロヴィ・ヴァリの散策の主役といえば、やはり「コロナーダ」と呼ばれる壮麗な回廊群です。これらは、飲泉に訪れた人々が天候を気にせず散策や語らいを楽しめるように設計されたもの。町には大小5つのコロナーダが点在し、各々が異なる時代の建築様式をまとい、街の歴史を今に伝えています。
ムリーンスカー・コロナーダ(粉挽き橋の回廊)
街の中心にそびえる中でもっとも荘厳で格調高いのがムリーンスカー・コロナーダです。1871年から1881年にかけて、プラハ国民劇場の設計者としても有名な建築家ヨゼフ・ジーテクによって建設されました。全長132メートル、幅13メートルに及ぶ壮大な回廊には124本のコリント式柱が並び、古代ギリシャ・ローマの神殿を彷彿とさせるネオルネッサンス様式が特徴です。屋根の欄干には12ヶ月を象徴する寓意彫像群が飾られ、訪れる者の目を楽しませます。内部には5つの源泉があり、それぞれ温度やミネラル成分に違いがあります。かつては貴族たちが華やかに装い、この回廊を歩きながら健康や社交を謳歌していた情景が想像されます。少しマニアックな話ですが、建設当時は地元の住民から「アスパラガス畑」や「ボウリングのレーン」などと揶揄されて必ずしも歓迎されなかったのですが、時の流れとともに街の象徴として大切にされるようになりました。
サドヴァー・コロナーダ(公園の回廊)
ムリーンスカー・コロナーダの隣に広がるドヴォルザーク公園には、白く繊細なレースのような装飾が施されたサドヴァー・コロナーダが静かにたたずみます。鋳鉄製の細工が美しいこの建物は、もともとウィーンの建築事務所フェルナー&ヘルマーが設計し、コンサートホールとして使われていたものを移築したものです。ネオバロック様式の華麗さと、産業革命期に登場した鉄素材の融合が独特な魅力を放っています。特に夕暮れ時にガス灯風の照明が灯ると、その姿は幻想的な美しさに包まれます。ここには蛇の形を模した「蛇の源泉」があり、そのユニークな外観も注目されています。
トルジニー・コロナーダ(市場の回廊)
スイスの山小屋を思わせる木造建築のコロナーダで、こちらもフェルナー&ヘルマーによる設計で1883年に完成しました。白くペイントされた木材と精巧な彫刻が、周囲の重厚な石造りの建物と対照をなして軽やかで親しみやすい雰囲気を醸し出しています。ここには、かのカール4世が鹿の傷を癒やしたという伝説の源泉「カレル4世の泉」があります。泉の上には伝説の様子を描いた青銅製のレリーフが掲げられ、観光客が足を止める名所です。実はこの建物は当初、仮設の構造として建てられましたが、その美しさが評判となり、何度か修復を経て今日まで残っています。仮設のはずが街の恒久的なシンボルとなったという点も興味深い話です。
これらのコロナーダを歩くだけでなく、それぞれの建築様式が誕生した時代背景、例えば19世紀後半にネオルネッサンス様式が流行したナショナリズムの高まりや、鉄という新素材がもたらした建築の自由度に思いを馳せると、街の風景が一層立体的かつ深みを増して映ることでしょう。
飲む温泉の礼儀と13番目の泉の秘密
カルロヴィ・ヴァリの本質は「飲泉」にあります。街のあちこちで、人々が取っ手のついた独特の形状をした平たい磁器のカップを片手に、湯気の立つ源泉でゆっくりと温泉水を味わう光景を目にすることができます。このカップは「ラーゼンスキー・ポハーデク」と呼ばれ、カルロヴィ・ヴァリでの飲泉には必須の道具となっています。
なぜこのような形をしているのかというと、取っ手部分がストローのような役割を果たし、そこから温泉水を飲むのが正式なスタイルだからです。これにはいくつかの理由があります。ひとつは、高温の湯で唇をやけどしないため。もうひとつは、温泉水に多く含まれるミネラル、特に鉄分が歯のエナメル質を傷つけたり、歯を変色させるのを防ぐためです。非常に理にかなった設計と言えます。街のお土産屋では様々なデザインのカップが販売されており、自分だけのお気に入りを見つける楽しみも旅の醍醐味のひとつです。
飲泉は好きなだけごくごく飲むものではありません。専門医の指導のもと、決められた分量を指定された源泉から、ゆっくりと歩きながら味わうのが正しい方法です。歩行を伴うことで温泉成分の吸収を促進する効果も期待されます。コロナーダが散策道として設計されているのも、まさにこの理由によります。温度や味わいが異なる多様な源泉があり、鉄味や塩味、強い炭酸感のものなど様々です。中でも知られるのが「ヴジーデルニー・コロナーダ」にある「ヴジードロ」。摂氏72度の熱湯が炭酸ガスの圧力で高さ12メートルにも噴き上がる壮観な間欠泉で、その迫力は圧巻です。
さらにカルロヴィ・ヴァリには「13番目の泉」と称される特別な泉が存在しますが、これは飲泉用のものではありません。地元発祥の緑色の薬草酒「ベヘロフカ」のことを指します。1807年、薬剤師ヨゼフ・ヴィトゥス・ベヘルが胃腸薬として開発したもので、20種以上のハーブやスパイスをカルロヴィ・ヴァリの温泉水に漬け込んで作られています。そのレシピは200年以上にわたり、家族のごく限られた一族のみが知る秘伝であり、現在では世界でもわずか2人だけが詳細を把握していると言われています。独特の甘くほろ苦い風味は食前酒や食後酒として人気で、チェコの国民的酒とも称される存在です。温泉によって外側から、ベヘロフカによって内側から健康を取り戻す。そんなスタイルがこの街の文化なのかもしれません。ヤン・ベヘル博物館では、その歴史や製造過程を学べるほか、試飲も楽しめます。
| スポット名 | 特徴 | 所在地 |
|---|---|---|
| ムリーンスカー・コロナーダ | 街の象徴。ネオルネッサンス様式による壮大な回廊。5つの源泉を有する。 | Mlýnské nábř. 5, 360 01 Karlovy Vary |
| サドヴァー・コロナーダ | 鉄製で繊細な装飾が美しいネオバロック様式のコロナーダ。 | Sadová kolonáda, 360 01 Karlovy Vary |
| トルジニー・コロナーダ | スイス山荘風の木造回廊。カール4世伝説の源泉がある。 | Tržiště, 360 01 Karlovy Vary |
| ヴジーデルニー・コロナーダ | 72度の温泉が12メートルまで噴き上がる間欠泉「ヴジードロ」が見られる。 | Vřídelní, 360 01 Karlovy Vary |
| ヤン・ベヘル博物館 | 「13番目の泉」ベヘロフカの歴史を学び、試飲も楽しめる博物館。 | T. G. Masaryka 57, 360 01 Karlovy Vary |
ペダルを漕ぎ出せば、そこはボヘミアの心臓部
カルロヴィ・ヴァリの華やかな街並みを堪能した後は、ペダルに足を乗せてボヘミアの雄大な自然へと飛び出してみましょう。街を優雅に流れるテプラー川はやがて壮大なオフジェ川と合流します。このオフジェ川沿いに整備されたサイクリングロードは、ボヘミアの豊かな自然や中世の古城、さらに知られざる伝説が息づく冒険心をくすぐるルートです。温泉街の喧騒はすぐに遠ざかり、聞こえてくるのは川のせせらぎと鳥のさえずり、そして自分自身の鼓動だけ。これこそが、この旅のもう一つの忘れられない魅力となるでしょう。
サイクリングロード6号線(Eger-Radweg)の魅力
私たちが走るのは、チェコを横断する国のサイクルルートの一つ「6号線」、通称「Eger-Radweg」です。オフジェ川はドイツ語ではエーガー川と呼ばれ、その名前がルート名にもなっています。この道の最大の魅力は、アクセスのしやすさと変化に富んだ風景です。カルロヴィ・ヴァリから中世の古城が並ぶロケットまでの約15kmの区間は、ほとんど平坦でよく整備された専用サイクリングロード。初心者や家族連れも安心して走ることができます。道の多くは川岸に沿っており、小さな村や緑豊かな牧草地、さらには深く切り立った渓谷など、めまぐるしく変わる景色に飽きることがありません。
春の新緑はまぶしく、夏は木陰が涼しさをもたらし、秋には森全体が燃えるような紅葉に彩られます。どの季節に訪れても、その時期ならではの絶景が迎えてくれます。体力に自信のある方は、ロケットからさらに先のホムトフ方面へと足を伸ばすことも可能です。ルートには案内標識がしっかり設置されているので、道に迷う心配も少ないでしょう。このサイクリングは単なる移動手段ではなく、ペダルを漕ぐたびにボヘミアの土地の起伏や風の匂いを肌で感じ、五感を研ぎ澄ます体験なのです。
レンタサイクルの状況と準備のポイント
カルロヴィ・ヴァリでは、手ぶらで訪れても気軽にサイクリングを楽しめます。街の中心部や主要ホテルでは、マウンテンバイクやクロスバイク、そして坂道も楽に登れるE-bike(電動アシスト自転車)のレンタルが利用可能です。特に、少し距離を伸ばして丘の上からの景色を満喫したい場合や、体力に自信のない方にはE-bikeが頼もしいパートナーとなるでしょう。レンタル料金は車種や時間帯によって異なりますが、半日や一日単位で借りるのが一般的です。ヘルメットや鍵も一緒にレンタルできることが多いので、事前に確認しておくと安心です。
服装は動きやすいスポーティなものが基本です。山の気候は変わりやすいため、脱ぎ着しやすい薄手のウィンドブレーカーなどを一枚持参するのが望ましいでしょう。もちろん、水分補給用の飲み物やエネルギー補給の軽食も忘れずに携帯しましょう。そして何より大切なのは、時間に余裕をもつこと。気に入った風景があれば自転車を停めて写真を撮ったり、川辺でゆったり過ごしたり。効率よく観光スポットを巡るのではなく、道中での偶然の出会いや新たな発見を楽しむ心の余裕こそ、このサイクリングを最高の思い出にする秘訣です。
川沿いの絶景スポットと語り継がれる伝説

オフジェ川沿いのサイクリングロードは、単に美しい景色を楽しむだけの道ではありません。道中には地球の営みが生み出した奇跡的な風景や、人々の記憶を刻んだ古城が点在し、それぞれに独特な物語が秘められています。ペダルを踏みながら、まるで物語のページをめくるようにして、私たちはボヘミアの奥深い世界へと誘われるのです。
妖精が宿る岩壁、スヴァトシュスケー・スカーリの神秘
カルロヴィ・ヴァリから数キロ離れた場所、自転車で約30分の距離にある両岸のオフジェ川に、突如として巨大な花崗岩の奇岩群が姿を現します。これが国定自然記念物「スヴァトシュスケー・スカーリ(聖ヤンの岩)」です。森林から天に向かってそびえ立つ岩柱は、まるで巨人が積み重ねた巨大ブロックのようで訪れる者を圧倒させます。ロッククライマーにとっての聖地としても知られる一方、その奇妙な形状には哀しい伝説が伝わっています。
その昔、この地にヤンという若者が住んでいました。彼はオフジェ川に棲む水の妖精(ヴィーラ)に恋をし、共に暮らすことを誓います。その際、妖精と「ほかの人間の女性とは決して結婚しない」という約束を交わしました。しかし時が過ぎ、ヤンは人間の女性に心を奪われ、その誓いを破って結婚式を挙げようとします。その結婚行列が岩壁の前を通りかかった瞬間、裏切られた妖精の呪いにより、花婿や花嫁、司祭、楽団員、参列者すべてがその場で石に変えられてしまったのです。現在も川を見下ろす岩々は「花婿と花嫁」「証人」「義父と義母」などと呼ばれ、この悲劇の物語を静かに語り継いでいます。この伝説を知れば、岩々はただの自然の造形ではなく、呪いにより時を止められた人々の姿として浮かび上がってくるかのようです。サイクリングロードはこの岩壁のすぐ下を通っており、その迫力を間近で味わえます。近隣にはレストランも点在し、絶景を眺めながらひと休みするのに最適です。
| スポット名 | 特徴 | 所在地 |
|---|---|---|
| スヴァトシュスケー・スカーリ | 巨大な花崗岩からなる奇岩群。結婚式の一行が石に変わったという伝説が残る。 | Svatošské skály, 360 17 Doubí |
中世の要塞、ロケット城の壮麗と切ない歴史
スヴァトシュスケー・スカーリを越え、さらにペダルを踏み続けると、オフジェ川が大きく湾曲し、馬蹄形のように陸地を囲む地点に堅牢な城塞都市が見えてきます。これは「中世の宝石」と称されるロケットの街と象徴のロケット城です。「ロケット」とはチェコ語で「肘」を意味し、川の湾曲が肘のように見える地形に由来しています。三方を川に囲まれた天然の要害にそびえる城は、まさに圧巻の光景です。
城の歴史は12世紀に遡り、ボヘミア王国の国境を守る重要な防衛拠点でした。城壁に囲まれたこの小さな街は中世の趣を今に伝え、まるで童話の世界へ迷い込んだような錯覚を抱かせます。城内部は博物館となっており、当時の武器や家具、地域で盛んだった磁器のコレクションが展示されています。なかでも忘れてはならないのが、若き日のカール4世に関する切ない逸話。カルロヴィ・ヴァリを発見したあの皇帝です。
幼少のカール4世は、父ボヘミア王ヨハン・フォン・ルクセンブルクとの対立により、わずか3歳から数年間、母親と共にこの難攻不落なロケット城に幽閉されました。窓が少なく薄暗い部屋で外界から隔絶された孤独と恐怖は、彼の成長に深い影響を与えたと伝えられています。城内には彼の幽閉部屋も現存。後の偉大な皇帝が幼少期にこうした苦難を経験していた事実は、歴史の複雑さと皮肉を物語ります。地下の牢獄では中世の拷問器具がリアルに再現されており、城の光と影の両面を垣間見られます。城塔の頂上からは、オフジェ川に抱かれたロケットの街の景観を一望でき、その美しさは格別です。自転車を降りて、この歴史的舞台をじっくり散策する価値が十分にあります。
| スポット名 | 特徴 | 所在地 |
|---|---|---|
| ロケット城 | オフジェ川の湾曲地に築かれた堅固な中世城塞。カール4世が幼少期に幽閉された場所としても有名。 | Zámecká 2/10, 357 33 Loket |
忘れ去られた磁器の街、ホルニー・スラフコフへの寄り道
冒険心と体力にまだ余裕があれば、ロケットから少し距離を伸ばし、オフジェ川の渓谷を離れ丘の上へと続く道を進むことをお勧めします。そこにはかつてヨーロッパで名高い磁器の町、ホルニー・スラフコフが広がっています。現在は約5000人が暮らす静かな町ですが、18世紀末から19世紀にかけては、ハプスブルク帝国最古の磁器工房の一つが置かれ、その高品質な製品はヨーロッパ各地の宮廷を魅了しました。ところが第二次世界大戦後のドイツ人追放や、その後の社会主義政権下でのウラン鉱山開発など激動の時代を経て、磁器産業は衰退し、町はかつての栄華を失いました。今ではゴシック様式の聖イジー教会や、ルネサンス様式の家並みが残る広場にかつての繁栄の面影をわずかに感じるのみです。それでも、この街の栄枯盛衰を知れば、その静かな田舎町はまた違った表情を見せてくれます。サイクリングはしばしば、こうした観光ガイドには載らない忘れられた物語や歴史へと私たちを導いてくれるのです。
舌で味わうボヘミア – 伝統料理と甘い誘惑
歴史と自然を堪能し、心地よい疲れが体を包み込むとき、その土地特有の美味しいご馳走ほどの癒しはありません。ボヘミア地方の料理は、隣接するドイツやオーストリアの影響を受けつつも、独自の進化を遂げた素朴で深い味わいが魅力です。カルロヴィ・ヴァリのレストランや、サイクリングロード沿いの小さなホスポダ(居酒屋)で、ぜひ本場の味を味わってみてください。
クネドリーキだけじゃない!ボヘミア料理の奥深さ
チェコ料理と言えば、多くの人がまず思い浮かべるのは「クネドリーキ」でしょう。小麦粉やジャガイモを練って茹で上げた、パンと団子の中間のような付け合わせで、ソースをたっぷり絡めて食べるのが定番です。しかし、ボヘミア料理の真髄は、丁寧に煮込まれた肉料理と香り豊かなソースにあります。
ぜひ味わっていただきたいのが「スヴィチュコヴァー・ナ・スメタニェ」です。これは牛フィレ肉を根菜類とともにじっくり煮込み、クリームソースで仕上げたチェコの「おふくろの味」とも言える逸品です。濃厚なソースの上にホイップクリームとクランベリーソースが添えられ、その甘酸っぱさが肉の旨みを一層引き立てます。もう一つの代表的な料理が「ペチェナー・カフナ」。皮がパリパリになるまでじっくりローストされたアヒル肉に、甘く煮込んだ赤キャベツのザワークラウトとクネドリーキが添えられています。ジューシーな肉の味わいとキャベツの甘み、そしてクネドリーキの独特な食感の組み合わせは絶妙です。もちろん、世界的に有名なピルスナービールの発祥地であるチェコのビールとの相性は抜群。サイクリングの後のビール一杯は、まさに至福のひとときです。
温泉ウェハース「オプラトキ」の秘密
カルロヴィ・ヴァリの街を歩いていると、どこからともなく甘く香ばしい香りに包まれます。その正体は街の名物菓子「ラーゼンスケー・オプラトキ」です。直径約15センチの大きく丸い薄焼きのウェハースで、その歴史は18世紀にさかのぼります。もともとは温泉療養中の患者のために、消化に優れ栄養価の高い軽食として作られたと言われています。二枚の薄い生地の間に砂糖やナッツ、チョコレートなどのフィリングを挟み焼き上げており、路上の売店では焼きたての温かいものを味わえます。手に取るとほんのり温かく、パリッとした食感と優しい甘さが口いっぱいに広がります。このオプラトキの生地には、なんとカルロヴィ・ヴァリの温泉水が使われており、温泉のミネラルが独特の風味と食感を生み出しているとされています。まさに温泉地の恵みから生まれたお菓子で、お土産としても人気ですが、ぜひ現地で焼きたてを味わってみてください。
モーゼル・グラス – 皇帝にも愛された輝き
カルロヴィ・ヴァリが誇るもうひとつの名産品は、最高級のクリスタルガラス「モーゼル」です。1857年に卓越した彫刻家ルートヴィヒ・モーゼルによって創立されたこの工房は、その非凡な品質と芸術性で、瞬く間にヨーロッパ中の王侯貴族を魅了しました。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世やイギリス国王エドワード7世など、多くの宮廷から御用達の称号を受け、「王のガラス、ガラスの王」と称賛されました。
モーゼル・グラスの最大の特徴は、一般的な鉛入りクリスタルガラスを使わず、代わりに炭酸カリウムを用いる「カリ・クリスタル」であることです。これにより、ダイヤモンドにも匹敵する硬度と水晶のような高い透明度、そして深い輝きを実現しています。熟練の職人による緻密なカットやエングレーヴィング(手彫り彫刻)、さらには金彩が施されたグラスはもはや単なる食器の域を超え、芸術品そのものです。カルロヴィ・ヴァリのモーゼル工場では、職人が灼熱のガラスを操り、息を吹き込んで形を作る様子を間近で見学できます。その匠の技を目の当たりにすれば、なぜモーゼルが世界中の人々を魅了し続けているのかが実感できるでしょう。併設のミュージアムや直営店で、その美しい輝きを手に取ってみるのも、この街ならではの特別な体験です。
旅の記憶を紡ぐ – カルロヴィ・ヴァリが教えてくれること

カルロヴィ・ヴァリを起点に、オフジェ川沿いにロケット城へと至る旅路。それは、ただ美しい風景を眺め、美味しい料理を味わうだけの旅ではありませんでした。皇帝が目撃したとされる奇跡の泉に触れ、コロナーダの列柱にハプスブルク家の栄光を思い描き、妖精の呪いが宿ると伝えられる岩壁に自然の神秘を感じ取り、若きカール4世が過ごした城で歴史の厳しさに胸を寄せる。そしてペダルを踏む足の疲れとともに、ボヘミアの風土が育んだ素朴な味覚と、世界屈指の職人技が生み出す煌めきを堪能する。この旅は、私たちの五感すべてに訴えかけてくるのです。
華やかな温泉街と静寂に満ちた自然。人の手で築かれた荘厳な建築物と、地球の営みが生み出した雄大な自然美。輝かしい歴史の光と、その陰に隠された影の物語。対照的に映るこれら二つの要素が、オフジェ川という一筋の糸で結ばれ、美しいタペストリーを織り上げています。自転車という自力で進む乗り物が、そのタペストリーの一目一目を肌で感じさせてくれました。
旅を終え、日常に戻った時にふと蘇るのは、温泉水のわずかに鉄を含んだ味や、オフジェ川の穏やかなせせらぎ、そしてロケット城から望んだ街の赤い屋根かもしれません。そして誰かに語りたくなるでしょう。鹿にまつわる伝説や、呪いによって石化した結婚式の行列の話など。そうした記憶の断片こそ、旅が私たちに授けてくれるかけがえのない宝物なのでしょう。カルロヴィ・ヴァリとオフジェ川は、単なる通過点の観光地ではなく、訪れる人の心に深く豊かな物語を刻み込む特別な場所なのです。

