モスクワと聞けば、多くの人が赤の広場の玉ねぎ屋根や、クレムリンの重厚な城壁を思い浮かべることでしょう。しかし、この巨大都市の南東に、まるで時が止まったかのような穏やかな場所が存在することをご存知でしょうか。それが、歴代ロシア皇帝たちが夏の離宮として愛した緑豊かな丘、「コロメンスコエ」です。
ここは単なる公園ではありません。ロシアの魂と歴史が深く刻まれた、ユネスコ世界遺産にも登録される聖地。そして何より、どこまでも広がる空とモスクワ川の雄大な流れを望みながら、心ゆくまでピクニックを楽しめる最高の癒やしスポットなのです。今回は、そんなコロメンスコエの丘で、歴史の風を感じながら過ごす、とっておきのリバーサイドピクニックの魅力と、誰かに語りたくなること間違いなしのトリビアの数々を、余すことなくお伝えします。
モスクワには、コロメンスコエのような歴史的な公園だけでなく、野生のヘラジカを追う未来派ハイキングが楽しめる国立公園も存在します。
コロメンスコエとは? – 皇帝たちの愛した夏の楽園

モスクワの中心から地下鉄でわずか20分ほどの場所に、都会の喧騒が嘘のように広がる広大な自然公園があります。390ヘクタールもの広さを誇るこの公園は、起伏に富んだ丘陵地帯や深い森、ゆったりと流れるモスクワ川などで構成され、その美しい風景の中にロシアの歴史を彩る貴重な建造物が点在しています。
この地の歴史は古く、14世紀にはモスクワ大公国の領地として記録されています。コロメンスコエが歴史の表舞台に大きく登場するのは16世紀、モスクワ大公国の初代ツァーリ(皇帝)であるイヴァン4世、通称「イヴァン雷帝」の時代です。彼はこの地を深く愛し、夏の離宮を築きました。彼の誕生を祝って建てられたと伝えられる教会は、今なおコロメンスコエの象徴として丘の上に凛と佇んでいます。
その後もこの地はロマノフ朝の皇帝たちに継承され、とりわけ第2代ツァーリのアレクセイ・ミハイロヴィチは、「世界で8番目の不思議」と称される豪華絢爛な木造宮殿をここに建設しました。彼の息子であり、ロシアを近代化へと導いた英雄ピョートル大帝も幼少期をコロメンスコエで過ごし、数々の軍事演習に励んだと言われています。彼が実際に居住していたとされる質素な丸太小屋もこの地に移築されており、その偉大な皇帝のルーツを今に伝えています。
つまり、コロメンスコエの丘を歩くことは、イヴァン雷帝の威厳、ピョートル大帝の少年時代の夢、そして皇帝たちが理想とした楽園の歴史を辿る壮大な時間旅行にほかなりません。ソビエト時代には国有化され、野外建築博物館として整備されたことで、ロシア各地の貴重な木造建築もここへ移築されました。歴史と建築、そして自然が完璧に調和するこの場所は、モスクワ市民にとってはもちろん、世界中から訪れる人々にとっても貴重な憩いの空間であり、学びの場となっているのです。
トリビア満載!コロメンスコエの必見スポット探訪
広大なコロメンスコエは、多彩な見どころに溢れています。ただ単に美しい景色を楽しむだけでなく、それぞれの建造物に隠された物語や興味深い逸話を学ぶことで、散策の楽しみは何倍にも広がるでしょう。ここでは特に注目すべきスポットを、貴重な豆知識とともにご案内します。
白亜の奇跡「主の昇天教会(ヴォズネセーニエ教会)」
コロメンスコエの丘にそびえる、ひときわ目を惹く白亜の尖塔こそが、1994年の世界遺産登録の決め手となった「主の昇天教会」です。晴れ渡る青空に向かって突き刺さるそのフォルムは、見る者を圧倒する神聖さと優雅さを兼ね備えています。
この教会の最大の特徴は、その建築様式にあります。1532年に完成したこちらは、ロシアで初めて造られた「石造のテンテッド・ルーフ(尖塔型屋根)様式」の教会です。それまでのロシア正教会は、ビザンツ様式に起源を持つ玉ねぎ型ドームが主流でした。なぜここで、これほど革新的なデザインが生まれたのでしょうか。
一般に知られるのは、後のイヴァン雷帝の誕生を祝って父ヴァシーリー3世が建立を命じたという説です。天へと伸びる尖塔は神への感謝と祈りを天界へ届ける願いが込められているとも言われます。一方で建築史家の間では、この教会がモンゴル・タタール支配(「タタールのくびき」)からの解放の象徴という見解もあります。かつて木造建築に多かった尖塔型屋根を、国家の威信をかけて石で再現することで、ロシア独自の文化と建築技術の高さを世界に示そうとした、というのです。つまり単なる宗教施設に留まらず、ロシアの国の誇りとアイデンティティを示すモニュメントだった可能性があるのです。
内部は意外にもシンプルで、壁画はほとんど見られません。しかしそのぶん天井を見上げれば、煉瓦で形作られた幾何学的な構造の美しさに惹かれます。外観だけでなく、内部から空を見上げる体験もこの教会の大きな魅力の一つです。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | 主の昇天教会 (Церковь Вознесения Господня в Коломенском) |
| 建立年 | 1532年 |
| 建築様式 | ロシア・テンテッド・ルーフ様式 |
| 特徴 | ロシア初の石造尖塔型屋根の教会。イヴァン雷帝誕生記念とされる。 |
| 世界遺産 | 1994年登録 |
偉大なる皇帝の原点「ピョートル大帝の丸太小屋」
荘厳な主の昇天教会とは対照的に、園内には一見すると非常に質素な建物がひっそりと佇んでいます。それが「ピョートル大帝の丸太小屋」です。実はこの小屋、元々コロメンスコエにあったものではなく、モスクワから1000km以上も離れた白海に面した港町アルハンゲリスクから移築されたものです。
なぜこの小屋が重要視されるのでしょうか。若い頃のピョートル1世(大帝)は、当時、海洋進出で遅れをとっていたロシアの将来に危機感を抱き、自らオランダに留学し造船技術を学びました。彼はアルハンゲリスクでロシア初の海軍基地を作り、後のスウェーデンとの大北方戦争に備えました。この小さな丸太小屋は、1702年に彼が要塞建設を監督するため約2ヶ月間滞在した際の住居兼指令所だったのです。
内部は食堂、書斎、寝室のわずか3つの部屋で構成され、飾り気は皆無。実用性のみを追求した作りは、身長2メートルを超えた巨体と質実剛健な性格で知られるピョートル大帝の人柄を物語っています。彼はこの限られた空間で、後の大国ロシアの未来を思い描いていたことでしょう。「ロシア艦隊の祖父」と称される彼の出発点として、この小屋は単なる住まいではなく、海洋大国へ成長するための象徴的な場所です。緑豊かなコロメンスコエのなかにこの小屋があることは、歴史におけるピョートル大帝の重要性を静かに物語っています。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | ピョートル大帝の丸太小屋 (Домик Петра I) |
| 元の場所 | アルハンゲリスク近郊、聖マルコ修道院 |
| 移築年 | 1934年 |
| 特徴 | ピョートル大帝が北方戦争準備中に滞在した簡素な小屋。 |
| 豆知識 | 「ロシア艦隊の祖父」という愛称で知られる。 |
幻の木造建築「アレクセイ・ミハイロヴィチの木造宮殿」
コロメンスコエ公園の南端に足を踏み入れると、まるで童話の世界から抜け出したような、複雑かつ鮮やかな木造建築群が目に入ります。これはかつて「世界で8番目の不思議」と評されたアレクセイ・ミハイロヴィチ皇帝の宮殿を復元したものです。
17世紀に造られたオリジナルは、釘一本使わずに建てられたと伝えられ、その規模と美しさに訪れた外国の使節たちを驚かせました。250の部屋、3000の窓、そして玉ねぎ型や尖塔型など個性豊かな26の屋根の連なりは、まさに木造建築の奇跡でした。しかし、この華麗な宮殿には悲劇もありました。ピョートル大帝が首都をサンクトペテルブルクへ移すと宮殿の使用頻度は減り、やがて老朽化が進みます。18世紀後半、女帝エカチェリーナ2世は老朽化を理由に解体を命じました。だが、彼女は新宮殿建設に先立ち、詳細な図面を残していたため、その後の復元につながりました。
時を経て2010年、エカチェリーナ2世が残した図面を基に宮殿は元の場所からやや離れた位置で往時の姿のまま蘇りました。内部に入ると、豪華絢爛なツァーリの宮廷世界が広がります。フレスコ画で壁や天井が彩られ、美しいタイル装飾のペチカ(ロシア式暖炉)、皇帝の玉座などが再現され、当時の宮廷生活の様子が生き生きと感じられます。男性棟と女性棟が厳格に区分されていたことや皇帝一家の私的空間を垣間見ることができ、まるでロシア歴史のドラマに入り込んだかのような感覚を味わえます。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | アレクセイ・ミハイロヴィチ皇帝の宮殿 (Дворец царя Алексея Михайловича) |
| 建立年 | 1667-1672年 |
| 復元完成年 | 2010年 |
| 特徴 | 「世界で8番目の不思議」と称された木造宮殿の復元。250室、3000窓を特長とする。 |
| トリビア | オリジナルはエカチェリーナ2世命令で解体されたが、彼女の残した図面で復元可能に。 |
蒼穹に輝く星々「カザンの生神女教会」
宮殿近くのコロメンスコエ正門付近には、鮮やかな青いドームに金色の星々が散りばめられた、息を呑むほど美しい教会があります。それが「カザンの生神女教会」です。
この教会はロマノフ朝創始者ミハイル・ロマノフの父である総主教フィラレートとゆかりがあります。17世紀初頭、ロシアは「動乱時代」と呼ばれる激動の混乱期にあり、外国の侵入や偽皇子の台頭で国家が分裂の危機に瀕していました。そんな混乱を収め、モスクワ解放の礎となったのが奇跡のイコン「カザンの生神女」と信じられています。この勝利とロマノフ王朝の安泰を祈願し、アレクセイ・ミハイロヴィチ帝が建てたのがこの教会です。
最大の驚きはソビエト時代の扱いにあります。ご存じの通り、ソ連では宗教活動が激しく抑圧され、多くの教会が破壊や別用途への転用を余儀なくされました。しかし「カザンの生神女教会」は例外で、一度も閉鎖されずに常に祈りの場として存在し続けたモスクワでも希少な教会のひとつです。コロメンスコエ全体が博物館保護区域だったことも幸いしましたが、この美しい教会で祈りの灯が絶えなかった事実は、まさに奇跡的と言えるでしょう。現在も действующая церковь(現役教会)としてミサが執り行われ、多くの信者たちが訪れています。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名称 | カザンの生神女教会 (Церковь Казанской иконы Божией Матери) |
| 建立年 | 1649-1653年 |
| 建築様式 | モスクワ・バロック様式 |
| 特徴 | 青いドームに金の星が輝く美しい外観。ロマノフ朝の守護イコンに捧げられた。 |
| 驚きの事実 | ソ連時代も閉鎖されなかった数少ない教会のひとつ。 |
丘の上から始まる、至福のリバーサイドピクニック

歴史散策でお腹がすいてきたら、いよいよ本日のメインイベント、リバーサイドピクニックの時間です。コロメンスコエには、美しい芝生の丘が至るところに広がっており、思わずシートを広げたくなる場所ばかりです。特におすすめなのは、やはり主の昇天教会の周辺です。
教会が建つ崖の上からは、大きく蛇行するモスクワ川と、その向こうに広がるモスクワの街並みを一望できます。歴史的な教会と近代的な高層ビル群の対比は、まさにモスクワならではの風景。この絶景を眺めながらの食事は、どんな高級レストランに勝るとも劣らない贅沢な体験となるでしょう。
さて、ピクニックの主役である食べ物についてですが、ぜひロシアならではの味わいを楽しんでみてはいかがでしょうか。市内のスーパーや市場で手軽に購入できるおすすめの品をいくつかご紹介します。
- ピロシキ (Пирожки)
ロシアのソウルフードといえる総菜パンです。揚げたものと焼いたものがあり、具材はひき肉、キャベツ、ジャガイモなど定番から、リンゴやベリーなど甘いものまで多彩。いくつか種類を買ってみんなでシェアするのも楽しいでしょう。
- ブリヌイ (Блины)
ロシア風の薄焼きクレープです。スメタナ(サワークリーム)やイクラをのせて食事系にするもよし、ジャムや練乳をかけてデザートにするもよし。手軽に食べられるため、ピクニックにぴったりです。
- クワス (Квас)
ライ麦と麦芽を発酵させて作る、ロシアの伝統的な微炭酸飲料です。ほのかな甘酸っぱさと香ばしさが特徴で「黒パンのジュース」とも呼ばれています。アルコール度数はほとんどなく、暑い夏の日には最適な飲み物です。
- 紅茶 (Чай)
ロシアは世界有数の紅茶愛好国です。水筒に熱い紅茶を入れて持参するのがロシア流ピクニックの定番で、ジャムを直接紅茶に入れたり、ジャムをかじりながら飲む「ロシアンティー」を試すのも面白いでしょう。
春には満開のリンゴ並木の下で、夏には白夜の柔らかな光に包まれて、秋には黄金色に輝く白樺林を背景に。季節ごとにまったく異なる表情を見せるコロメンスコエの自然の中で、大切な人と、あるいはひとり静かに、歴史の息吹と雄大な景色を味わう。これこそ、コロメンスコエでしか体験できない、かけがえのない最高のひとときなのです。
コロメンスコエに隠されたパワースポット伝説
歴史や自然の魅力だけにとどまりません。実はコロメンスコエには、古代から伝わる神秘的な力が宿ると信じられている場所があります。それが、公園の南側にある深い森の谷間、ゴロソフの谷に横たわる二つの巨石です。
グーシ・カーメニ(ガチョウの石)とジェーヴィチー・カーメニ(乙女の石)
鬱蒼とした森の中を進むと、突然姿を現す巨大な砂岩の塊。これらは氷河期に運ばれてきたと考えられていますが、長い間、人々はこれらの石に特別な力が宿っていると信じてきました。
「グーシ・カーメニ(ガチョウの石)」はその名の通り、ガチョウの形に似ており、男性的な力の象徴とされています。この石に触れると、男性は力が湧き上がり、戦いに勝つことができると信じられていました。
一方、少し離れた場所にある「ジェーヴィチー・カーメニ(乙女の石)」は、なめらかな二つの部分から成り、女性的な力を象徴しています。昔から、子どもを望む女性や婦人科系の病に悩む女性たちがこの石を訪れ、願いを込めて触れてきました。
こうした信仰は、ロシアがキリスト教化される以前の古代スラブ民族が持っていた自然崇拝(ペイガニズム)に由来するとされています。キリスト教が国教となった後も、人々はこの谷間に集まり、ひそかに石に祈りを捧げ続けてきました。これはまさに、ロシアの根底に流れるアニミズム的な信仰が今も息づいている証です。現在でも石の周囲には願いを込めて結ばれたリボンが多く見られ、その神秘的な雰囲気をより一層引き立てています。歴史的な建造物に加えて、こうした古代の信仰の痕跡に触れられることも、コロメンスコエの深い魅力の一つといえるでしょう。
コロメンスコエへのアクセスと知っておくと便利な情報

最後に、コロメンスコエを訪れる際の具体的な情報をお伝えします。旅行の計画にぜひお役立てください。
アクセスの方法
最も手軽で便利なのは、モスクワの地下鉄を利用することです。
- 緑色の2号線、ザモスクヴォレーツカヤ線(公式サイト)のコロメンスカヤ駅(Коломенская)が最寄り駅となります。
駅から公園の北口までは徒歩で約10分から15分ほどかかります。駅にある「コロメンスコエ公園方面」という案内表示に従って地上に出たら、大きな通りであるアンドロポフ大通りを渡り、そのまままっすぐ歩きます。途中、映画館を通り過ぎると公園の入口が見えてきます。
園内の移動手段について
コロメンスコエは非常に広い敷地を有しており、すべての見どころを徒歩で巡るにはかなりの体力が求められます。特に南端に位置するアレクセイ・ミハイロヴィチの宮殿までは、片道で30分以上の歩行となることも珍しくありません。
園内では、有料の電動カートが主要スポットをつなぐ形で運行されています。効率よく回りたい方や体力に自信がない場合は、これらのサービスの利用を検討してみてください。また、季節によってはレンタルサイクルも開いており、風を感じながらの散策も楽しめます。
ベストシーズンと服装
モスクワの気候を踏まえると、訪れるのにおすすめの時期は、雪解け後の新緑が鮮やかな5月から、白夜を楽しめる暖かな6月から8月、さらに美しい黄葉が見られる9月頃までとなります。
服装は、とにかく歩きやすい靴が欠かせません。園内には舗装されていない道や起伏のある丘が多数あるためです。夏でも川沿いは風が冷たいことがあるため、軽く羽織れるものを一枚用意すると安心です。冬に訪れる際は、防寒対策をしっかりと行いましょう。雪に包まれた教会の風景は格別ですが、厳しい寒さにも備える必要があります。
注意事項
敷地が広大なため、余裕を持ったスケジュールを立てることが重要です。特に見学したい場所をあらかじめ絞り込んでおくと、効率的に回れます。園内にはカフェやキオスクもありますが数が限られているため、ピクニックを楽しみたい場合は、事前に市内で食料や飲み物を調達してから訪れるのが確実です。トイレは主要な建物近くに設置されていますが、場所を事前に確認しておくと安心です。
歴史の風を感じながら、自分だけの時間を
モスクワの中心部から少し離れただけで、これほど豊かで穏やかな時間が流れる場所があるとは驚きです。コロメンスコエは、訪れる人にそんな驚きと安らぎをもたらしてくれます。単なる美しい公園とは異なり、そこにはイヴァン雷帝の野望やピョートル大帝の夢、そして名もなき人々が石に込めた祈りが込められています。ロシアの歴史と文化が層をなして、この丘の風や木々のざわめき、川の流れに静かに息づいているのです。
芝生に寝そべり、白亜の教会を眺めながら味わうピロシキは、きっと忘れられない記憶となるでしょう。かつて皇帝たちに愛されたこの丘で、あなたも歴史の壮大な物語に思いを馳せつつ、自分だけの特別なひとときを見つけてみませんか。モスクワの旅が、よりいっそう深みと豊かさを増すことをお約束します。

