フランス北東部に位置するアルザス地方。その中心に輝く宝石のような街、コルマール。まるでおとぎ話の世界から抜け出してきたかのような木組みの家々が運河に色鮮やかな影を落とし、窓辺にはゼラニウムの花が溢れんばかりに咲き誇ります。石畳の小道を歩けば、どこからともなくバターと砂糖の甘い香りが漂ってくる。この街が、かの有名なアニメ映画のモデルになったと言われるのも頷ける、夢のような風景が広がっています。しかし、コルマールの魅力は、その絵画的な美しさだけにとどまりません。この街は、フランスとドイツ、二つの大国の文化が複雑に絡み合い、溶け合って生まれた、唯一無二の美食文化が息づく場所なのです。今回は、鉄道ファンとしての旅心も満たしつつ、食いしん坊の探究心をとことん刺激する、コルマールの美食街道へと皆様をご案内いたしましょう。フランスでありながらドイツの香りもする、国境の街が育んだ郷土料理の奥深い世界を、じっくりと味わい尽くす旅の始まりです。
歴史が織りなす味:アルザス料理誕生の背景

コルマールの食文化を深く理解するには、まずアルザス地方の複雑な歴史を少しだけ紐解く必要があります。ライン川を境にドイツと接するこの地域は、古くから戦略的に重要な場所として、フランスとドイツ(神聖ローマ帝国やプロイセン)の間で何度も領有権が争われてきました。三十年戦争、普仏戦争、さらには二度の世界大戦。そのたびにアルザスの人々は、時にはフランス人として、またある時はドイツ人として生きることを強いられました。言語や文化、さらには食の習慣も、この激動の歴史の中で自然と混ざり合っていったのです。
フランス料理の洗練されたエスプリと、ドイツ料理の堅実でボリューム満点な味わい。この二つがアルザスの肥沃な大地で育まれたブドウや農作物と出会い、驚くべき融合を果たしました。たとえばフランス料理に欠かせないワイン。アルザスは世界的にも有名な白ワインの産地で、そのワインは料理に惜しみなく使われます。一方で、豚肉の加工品(シャルキュトリー)や発酵キャベツ(シュークルート)といったドイツ的な食材も堂々たる存在感を放っています。このようなハイブリッドな食文化こそがアルザス料理の真髄であり、フランスの他の地方とは一線を画す魅力の根源となっているのです。
コルマールの食卓を彩る、必食の郷土料理たち
いよいよ、コルマールの美食の世界へ足を踏み入れましょう。この街を訪れたらぜひ一度味わってほしい、代表的な郷土料理をじっくり掘り下げていきます。それぞれの一皿に秘められた物語や豆知識を知れば、味わいが何倍にも深まることでしょう。
シュークルート・ガルニ (Choucroute garnie) — アルザスの心を映す逸品
アルザス料理の頂点に君臨する、まさに王者と言えるのが「シュークルート・ガルニ」です。ドイツ語のザワークラウトをフランス語読みした「シュークルート」とは、塩漬けキャベツを乳酸発酵させた保存食のこと。しかし、このアルザス流シュークルートは、単なる漬物の枠を超えています。ジュニパーベリーやクローブ、ローリエなどのスパイスと、リースリングなどの辛口白ワインでじっくり煮込まれ、ドイツのそれとは一線を画す、非常に繊細かつ奥深い味わいを醸し出します。
「ガルニ」は「添え物」を意味し、その名の通り、シュークルートの周囲には燻製ソーセージ(クナックやモルトー)、塩漬け豚バラ肉、ハム、豚すね肉など、多彩な豚肉加工品が豪快に並びます。お店によっては豚の血入りソーセージ「ブーダン・ノワール」が加わることも。この壮大なボリュームは、ドイツ料理の伝統を感じさせます。
豆知識として、シュークルートはビタミンCが豊富な保存食で、大航海時代には船乗りたちの壊血病を防ぐ“魔法の食べ物”として重宝されました。また、アルザスでは新年やお祝いの際に幸運を呼ぶ料理として振舞われる習わしがいまも息づいています。酸味のきいた温かいシュークルートが脂ののった肉の旨みをやさしく包み込み、口の中を爽やかに整えてくれるため、これほどの肉量も難なく平らげられるのです。白ワイン、特にリースリングとの相性は文句なしの完璧さ。まさにアルザスの歴史と風土が織りなす、最高のマリアージュと言えます。
ベックオフ (Baeckeoffe) — 愛と時間が育む、パン屋のかまどの物語
続いてご紹介するのは、心と体を温める煮込み料理「ベックオフ」。名前はアルザス語で「パン屋のかまど」を指し、アルザスの女性たちの日常に根ざした素敵な物語が秘められています。
かつて、アルザスの多くの家庭では週に一度「洗濯の日」がありました。女性たちは朝から村の共同洗濯場へ向かい、一日がかりで洗濯に励みます。その間、家のオーブンを使う時間はほとんどありません。そこで彼女たちは、牛・豚・羊の三種類の肉とジャガイモ、玉ねぎ、人参などの野菜を、白ワインとハーブでマリネし、アルザス特有の陶器製鍋「テリーヌ」に詰めました。鍋の蓋と本体のすき間はパン生地で密封し、朝一番にパンを焼いた後の余熱が残る村のパン屋のかまどに預けたのです。洗濯が終わり夕方に戻ると、かまどの中で低温でじっくり煮込まれた、肉も野菜もとろける極上の煮込み料理が待っているというわけ。なんとも巧みな知恵ですね。
この物語を胸にベックオフを味わえば、その魅力は倍増します。長時間煮込まれた肉はほろほろと崩れ、旨味が溶け出したスープをたっぷり吸い込んだジャガイモは格別の味わい。ハーブと白ワインの香りがふんわり広がり、素朴ながらも洗練された味覚です。家族への深い愛情と村の互助精神が宿る、まさにアルザスの「おふくろの味」といえる一品です。
タルト・フランベ (Tarte flambée) — 薄い生地が織りなす軽快なハーモニー
「アルザス風ピザ」と紹介されることが多い「タルト・フランベ」ですが、実際はピザとは全く異なる料理です。ドイツ語では「フラメキュシュ(Flammekueche)」と呼ばれ、その名は「炎のタルト」を意味します。こちらもパン屋文化から生まれた名作です。
昔、薪窯の温度がパンを焼くのに適しているかどうかを確かめるため、余った生地を薄く伸ばして焼いてみたのが始まりと言われています。無駄にしないため、生地の上に地元産のフロマージュ・ブラン(フレッシュチーズ)、薄切り玉ねぎ、ラルドン(塩漬け豚バラ肉の細切り)をのせて焼いたのが原型とされます。
最大の特徴は、まるで紙のように薄くパリパリに焼き上げられた生地の食感。トマトソースやたっぷりのチーズを使うピザとは異なり、ベースにはヨーグルトのような爽やかな酸味を持つフロマージュ・ブランが使われます。そこに塩気と脂の旨みをもたらすラルドン、火が通って甘さを増した玉ねぎが加わるシンプルながら完成された三重奏を奏でます。驚くほど軽やかで、いくらでも食べられてしまう魅惑の味わい。ビールやキリッと冷えた辛口白ワイン(ピノ・ブランやシルヴァネール)とともに楽しむのが、アルザスらしい飲み方です。近年はマンステールチーズをのせたものや、デザート仕立てにリンゴとカルヴァドスでフランベしたものなど、多彩なアレンジも登場しています。
コック・オー・リースリング (Coq au Riesling) — 白ワインが鶏肉の旨みを引き立てる上品なひと皿
フランスの家庭料理の定番「コック・オー・ヴァン(鶏肉の赤ワイン煮)」はよく知られていますが、アルザスでは赤ワインの代わりに地元自慢の白ワイン「リースリング」を使うのが特徴です。これが「コック・オー・リースリング」です。
ブルゴーニュのコック・オー・ヴァンが赤ワインのコクとタンニンで力強く仕上げるのに対し、アルザス流はリースリングの華やかな香りとキレのある酸味を活かし、繊細でエレガントな味わいに仕上げます。鶏肉の旨みを存分に引き出しつつ、後味は爽快。たいてい生クリームがソースに加わり、まろやかで一体感のある仕上がりになります。付け合わせには、アルザス定番の卵麺「シュペッツレ」が添えられ、クリーミーなソースと見事に絡み合います。
赤ワイン煮込みと比べて鶏肉の風味がよりストレートに感じられるのが魅力。リースリングのフルーティーな香りが、普段の煮込み料理を祝祭のごちそうに変える逸品です。まさにワインの名産地アルザスならではの洗練された一皿と言えるでしょう。
フォアグラ (Foie gras) — 世界が誇る珍味、その起源はアルザスに
フランス料理を代表する高級食材、フォアグラの生産は、実はアルザス地方から始まったと言っても過言ではありません。起源は古代エジプトに遡りますが、18世紀にストラスブール(アルザスの中心都市)に移り住んだユダヤ人コミュニティが、その製法を確立し、フランス国内に広めたのです。
特に有名なのは、1780年頃、ストラスブールの初代知事ド・コントタード元帥の料理人ジャン=ピエール・クローズが考案した「パテ・ド・コントタード」。ガチョウのフォアグラを丸ごと使い、肉のファルスで包み、パイ生地で焼き上げたこの料理は、ルイ16世にも献上され、宮廷で絶賛されました。これによりアルザスのフォアグラはフランス全土、さらにはヨーロッパ中にその名声を轟かせることとなったのです。
コルマールのレストランでは、テリーヌやパテの冷製前菜として、またはポワレ(表面をカリッと焼いたもの)として提供されます。濃厚でとろけるような食感のフォアグラには、甘口のアルザスワイン、特にゲヴュルツトラミネールやピノ・グリのヴァンダンジュ・タルディヴ(遅摘みワイン)との組み合わせが極上の贅沢。ワインの甘美でスパイシーな香りがフォアグラの芳醇さを引き立て、余韻まで至福に満ちています。
クグロフ (Kouglof) — 王妃も愛した、アルザスの朝を彩るお菓子
アルザスのパン屋やパティスリーの店頭で人目を引く独特の焼き菓子、「クグロフ」。中央に穴が開き、渦巻き状の溝のある王冠のような専用型で焼かれます。ブリオッシュを思わせるリッチな生地にレーズンやアーモンドが練り込まれ、焼き上がると粉砂糖が雪のようにそっと降りかけられます。
起源には諸説ありますが、一説ではイエス・キリスト誕生を祝う東方三博士が帰路にアルザスの村を訪れ、そのもてなしへの感謝としてこのお菓子を焼いたとの伝説も。さらに、オーストリアからフランスに嫁いだマリー・アントワネットが宮廷に伝え、こよなく愛したという話も広く知られています。
ふわっと軽い食感でありながらバターの豊かな風味が広がり、ラム酒漬けレーズンの甘みがアクセントとして効いています。アルザスの人々にとっては、日曜の朝、家族と分け合って楽しむ日常のお菓子。カフェでコーヒーとともに味わうのも格別です。その華やかな見た目からお土産としても人気が高く、アルザスを象徴する愛される逸品です。
美食家たちのためのコルマール・レストラン案内

コルマールには、伝統的なアルザス料理を存分に味わえる素敵なレストランが数多くあります。特に「ウィンステューブ(Winstub)」と呼ばれるアルザス風のワイン居酒屋は、温かみのある家庭的な空間で本格的な郷土料理と地元ワインを楽しめるため、ぜひ訪れたい場所です。
Wistub Brenner
運河沿いのプティット・ヴニーズ地区近くに位置し、地元の人々や観光客から高い評価を受けるウィンステューブです。赤と白のチェック柄テーブルクロスが愛らしく、木のぬくもり溢れる店内はいつも活気に満ち溢れています。こちらのシュークルート・ガルニは、まさに定番中の定番と呼ぶにふさわしい一皿。じっくり煮込まれたシュークルートと上質なシャルキュトリーの組み合わせは感動的です。ベックオフやコック・オー・リースリングも絶品で、予約が必須の人気店です。
La Soï
タルト・フランベを専門に提供する、小ぢんまりとして親しみやすいお店です。コルマールで最も美味しいタルト・フランベが味わえると評判で、伝統的な「トラディショナル」から、マンステールチーズを使用したもの、きのこやエスカルゴをトッピングしたバリエーションまで豊富に揃っています。注文後に1枚1枚ていねいに焼き上げるタルトは、生地の端が香ばしくパリパリとした食感が魅力的。数種類を頼んで、皆でシェアしながら楽しむのがおすすめです。
Pâtisserie Gilg
食後には甘いひとときを楽しみたいもの。コルマールを代表する老舗パティスリー「Gilg」は1936年に創業されました。ショーケースに並ぶのは、洗練された美しいケーキやマカロン、チョコレートの数々で、まるで宝石箱のようです。アルザス伝統のクグロフもこちらで手に入ります。しっとりとした生地と上品な甘みには老舗ならではの確かな技が感じられます。カフェスペースはありませんが、お土産として持ち帰ったりホテルで楽しむのに最適なお店です。
料理をさらに輝かせる、アルザスワインとのマリアージュ
アルザス料理を語るうえで、アルザスワインの存在は欠かせません。南北に170km続く「アルザスワイン街道(Route des Vins d’Alsace)」のほぼ中央に位置するコルマールは、言わばワインの首都といえます。ドイツとの国境に近いため、ワインボトルはドイツと同じく背が高く細長いフルート型が使われています。ほとんどのワインが単一品種から作られているため、品種ごとの個性をストレートに味わえるのも大きな魅力です。
- リースリング (Riesling): 「アルザスワインの王」と称される品種。辛口で、鋼のようなミネラル感と引き締まった酸味が特徴です。フローラルで柑橘系の香りが広がり、シュークルートやコック・オー・リースリング、魚料理との相性は抜群です。
- ゲヴュルツトラミネール (Gewurztraminer): 「ゲヴュルツ」とはドイツ語で「スパイス」を意味します。ライチやバラ、マンゴーを連想させる非常にアロマティックでエキゾチックな香りが特長です。やや甘口に仕上がることが多く、フォアグラやスパイシーなアジア料理、個性の強いマンステールチーズと組み合わせると、お互いの魅力を引き立て合います。
- ピノ・グリ (Pinot Gris): かつて「トカイ・ダルザス」とも呼ばれたこの品種は、豊かな果実味とコクを備えています。スモーキーなニュアンスがあり、ボリューム感のある味わいはベックオフやジビエ、きのこ料理にも負けません。
- ピノ・ブラン (Pinot Blanc): 軽快でフレッシュ、クリーンな味わいが魅力です。繊細な果実味と穏やかな酸味を持ち、幅広い料理に合わせやすい万能なワイン。特にタルト・フランベやキッシュ、アペリティフに最適です。
- クレマン・ダルザス (Crémant d’Alsace): シャンパーニュと同様に瓶内二次発酵で造られる高品質なスパークリングワイン。きめ細かな泡と爽やかな口当たりで、食前酒から食中、デザートまで幅広く楽しめます。
コルマールの周辺には、ブドウ畑に囲まれた美しい村々が点在しています。少し足を伸ばしてワイナリーを訪れ、テイスティングを楽しむのは、この地域ならではの贅沢な体験となるでしょう。
コルマールの美食探訪は、まだ終わらない

まるでおとぎ話の世界に迷い込んだかのようなコルマールの街角。その石畳の一歩一歩は、何世紀にもわたる歴史の重なりの上に存在しています。そして、この街のレストランで提供される一皿一皿には、フランスの繊細な感性とドイツの力強い魂、さらにアルザスの人々が守り続けてきた誇りと愛情が、じっくりと込められています。
シュークルートの湯気の彼方には兵士たちの行進が見え、ベックオフの鍋の中からは洗濯場で笑い合う女性たちの声が聞こえてくるようです。タルト・フランベの香ばしさはパン屋の窯の暖かさを感じさせ、一杯のリースリングは陽光に輝くブドウ畑の美しい風景を映し出します。コルマールでの食事は、単なる空腹を満たす行為ではなく、この土地の記憶そのものを味わう壮大な物語の体験なのです。
コルマールの屋内市場「Marché Couvert」を訪れれば、彩り豊かな野菜や果物、地元のチーズ職人が手掛けるマンステール、そして数えきれない種類のシャルキュトリーが並び、この地の豊かさを改めて実感させてくれます。また、冬に訪れると、世界で最も美しいと称されるクリスマスマーケットが街を華やかに彩り、スパイスの効いたホットワイン「ヴァン・ショー」の香りが旅人の凍えた体を優しく温めてくれるでしょう。
フランスとドイツ、二つの文化の交差点で育まれたコルマールの食文化は、あまりにも豊かで奥深いものです。一度の旅ではすべてを味わい尽くすことは難しいかもしれません。しかし、だからこそ私たちはまたこの美しい街へ帰ってきたくなるのです。次はあのレストランでベックオフを、次はあのウィンステューブでシュークルートを、と夢を膨らませながら。コルマールの美食街道を巡る旅は、あなたの心と胃袋に、忘れがたい幸福の記憶を刻み込んでくれるに違いありません。

