トスカーナの緩やかな丘陵地帯に抱かれるようにして存在する、二つの珠玉の都市、フィレンツェとシエナ。どちらもルネサンスと中世の芸術が咲き誇り、訪れる者を時空の彼方へと誘う魔法のような場所です。けれど、この二つの街が、歴史上、熾烈なライバル関係にあったことをご存知でしょうか。まるで光と影、情熱と静寂のように、互いを意識し、競い合うことで、それぞれが唯一無二の輝きを放つに至ったのです。
今回は、アパレル企業で働きながら長期休暇のたびに世界の街角を巡る私が、トスカーナ地方が誇る永遠のライバル、フィレンツェとシエナを訪れます。ルネサンスの革新に沸いた「花の都」フィレンツェ。そして、中世ゴシックの夢を今に伝える「聖母の街」シエナ。芸術、建築、そして街に流れる空気までを五感で感じ取りながら、二つの都市が紡いできた物語を紐解いていきましょう。石畳に刻まれた歴史の囁きに耳を澄ませば、きっと、誰かに話したくなるような秘密が聞こえてくるはず。あの頃、隣で歩いた誰かと見た景色とは、また違う色の光が、私の心を照らしてくれるかもしれません。
フィレンツェの魅力は芸術だけではなく、美食の世界もまた深いものです。
時を超えて響き合う、二つの都市の肖像

この旅を始めるにあたり、まずは二人の主人公のプロフィールをご紹介します。同じトスカーナの大地に生まれながらも、その性格は非常に対照的です。
フィレンツェ – 知性と革新が花開くルネサンスの舞台
アルノ川のほとりに広がるフィレンツェは、まさにルネサンス時代の主役を演じた都市です。毛織物産業と金融業で巨万の富を築いたメディチ家という稀有なパトロンの支援を得て、芸術家や思想家たちは神中心の中世世界から解き放たれ、「人間」そのものに光を当て始めました。ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ボッティチェッリ、ブルネレスキなど、輝かしい才能がこの街で火花を散らし、西洋文化の根底を揺るがす革新的な文化を築き上げたのです。
フィレンツェの街並みを歩くと感じられるのは、綿密に練られた知的な美しさ。合理的で躍動感にあふれ、誇り高い独特の空気が漂っています。キーワードは「人間賛美」「合理主義」「富と権力の象徴」。この街全体が、ルネサンスという壮大なドラマの舞台装置のように感じられます。
シエナ – 信仰と調和が息づく中世の幻想
一方、フィレンツェから南へ約70キロの距離にある三つの丘の上に建つシエナは、まるで時が止まったかのような中世の夢世界に佇んでいます。フィレンツェがルネサンスの先導者なら、シエナはゴシック文化の最後の輝きを放った町です。聖母マリアを街の守護者として篤く信仰し、市民が結束する「コムーネ(市民共同体)」の誇りを何より大切にしました。
シエナの路地は迷路のように入り組み、赤茶色のレンガで統一された街並みはどこか温かみがあり、人々を包み込む優しさを感じさせます。ここにはフィレンツェのような個人の才気あふれる爆発というよりも、市民全体の「調和」を尊ぶ精神が息づいています。キーワードは「聖母信仰」「共同体意識」「ゴシックの優雅さ」。街を歩くだけで、中世の騎士や商人のざわめきが耳に届きそうな、幻想的な魅力に満ちています。
この二つの都市の物語は、単なる芸術様式の違いにとどまりません。神と人間、共同体と個人、伝統と革新、という二つの異なる世界観の対立でもあったのです。では、この最も象徴的な舞台から、彼らの魂の対決を覗いてみましょう。
天を目指す建築 – ドゥオーモに宿る魂の対決
街の中心であり、多くの人々にとって信仰の象徴となる大聖堂(ドゥオーモ)。フィレンツェとシエナのドゥオーモは、まさに両都市が誇りをかけて競い合う壮大な建築の舞台でした。
フィレンツェの誇り – サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
フィレンツェの街並みを特徴づける、あまりにも有名な赤レンガの巨大な円屋根(クーポラ)。これがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、いわゆる「フィレンツェのドゥオーモ」です。白・緑・ピンクの大理石による幾何学模様のファサードは、まるで豪華な宝石箱を思わせます。しかし、この教会の真の主役は、フィリッポ・ブルネレスキによって設計された壮大なクーポラなのです。
13世紀の終わりに建設が始まりましたが、直径45メートルを超える大穴は長い間、そのまま空洞のままでした。当時の技術では、これほどの大きさのドームを支えるための足場を組むことすら不可能だったのです。フィレンツェの市民にとって、この「未完成のドゥオーモ」は悩みの種であり、ライバル都市シエナに対する劣等感の一因でもありました。
誰かに話したくなるクーポラのトリビア
この困難を克服したのは、金細工師であり時計職人でもあったブルネレスキでした。彼は誰も考えつかなかった革新的な工法で、不可能を可能に変えたのです。ここで、知っていると自慢したくなるトリビアをご紹介します。
- 秘密にされた工法と二重構造の巧妙さ: ブルネレスキは建設の手法を誰にも伝えず、完成後には模型も粘土で作ったものを壊してしまったと伝えられています。彼のアイデアの核心は、クーポラを内側と外側の二重の殻にすることでした。これにより、重量を軽減しつつ構造の安定性を確保しました。さらに、レンガを魚の骨のように斜めに積み上げる「ヘリンボーン積み」という特殊な技術を用いることで、レンガの崩壊を防ぎつつ、螺旋状にレンガを重ねていくことが実現しました。巨大な木製足場を必要とせず、クーポラ自体が自立しながらせり上がるという、画期的な構造でした。
- ブルネレスキの建設機械の発明: クレーンや巻き上げ機といった多くの機械も、ブルネレスキ自身による発明です。特に、牛の力で動くリバーシブルギア付きクレーンは、重い資材を効率よく持ち上げる革新的なものであり、レオナルド・ダ・ヴィンチもその設計図を残しています。
- コンペでの「卵」エピソード: クーポラ設計のコンペティションでは、他の建築家が模型で実現の確かさを示す中、ブルネレスキは「卵をテーブルの上で立てられた者が設計を任されるべきだ」と提案しました。誰も成功しなかった後、彼は卵の底をわずかに割ってテーブルに立て、「方法がわかっていれば簡単なことだ」と言ったそうです。これは彼の独創性と自信を象徴する有名な逸話です。
このクーポラの完成は、単なる建物の完成を意味するものではありません。それは、人の知恵と計算により、神聖とされた巨大建築の領域を克服した瞬間であり、ルネサンス時代の到来を告げる宣言でもありました。クーポラに登れば、フィレンツェの赤レンガの屋根が一望できます。その景色を見下ろしながら、ブルネレスキの偉業に思いを馳せる時間は、かけがえのない体験となるでしょう。
| スポット情報 | 詳細 |
|---|---|
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| 名称 | サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 (Cattedrale di Santa Maria del Fiore) |
| 所在地 | Piazza del Duomo, 50122 Firenze FI, Italy |
| アクセス | サンタ・マリア・ノヴェッラ駅から徒歩約10分 |
| 見どころ | ブルネレスキのクーポラ、ジョットの鐘楼、サン・ジョヴァンニ洗礼堂 |
| 営業時間 | 大聖堂は10:15-15:45(日曜・宗教祝祭日は変動あり)。クーポラや鐘楼は別途予約・要確認。 |
| 料金 | 大聖堂入場は無料。クーポラや鐘楼、美術館などの共通券は有料。 |
| 公式サイト | https://www.duomo.firenze.it/it/home |
シエナの祈り – サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂
フィレンツェのドゥオーモが合理的な知性の結晶ならば、シエナのドゥオーモは信仰と華麗な装飾が織り成す幻想的な詩のようです。正式名称はサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂。白と黒(濃緑)の大理石で構成された横縞模様の外観は、強烈な印象を与え、一度見たら忘れられません。これはシエナの紋章の色に由来しています。
ファサード(正面)に足を踏み入れれば、その圧倒的な装飾の美しさに息を飲むことでしょう。無数の聖人や預言者の彫刻、繊細なモザイク、バラ窓…。イタリア・ゴシック様式の傑作として称賛されるにふさわしく、華やかで荘厳な雰囲気が漂います。内部もまた白黒の縞模様の柱が天へと伸び、まるで別世界に迷い込んだかのような感覚に包まれます。星を散りばめた瑠璃色の天井は夜空そのものの美しさです。
誰かに話したくなる「未完の夢」の物語
しかし、この圧倒的な美しさをもつ大聖堂が、実は「未完成」の壮大な計画の一部分だったとしたら驚くでしょう。ここには、シエナの栄光と悲劇の物語が秘められています。
- 世界最大を目指した壮大な夢: 14世紀の初め、ライバルのフィレンツェが新たな大聖堂建設を進める中、シエナはその上を行く世界最大のキリスト教会を目指す計画を立てました。なんと現ドゥオーモ全体を新聖堂の翼廊(横の部分)として活用するという、信じられないスケールの構想でした。
- ペストにより頓挫した計画: 建設は順調に進み、新しい身廊の壁やファサードの一部も姿を現し始めました。しかし1348年、ヨーロッパを襲った黒死病(ペスト)がシエナを直撃。人口の半数以上を失い、この壮大な事業は中断されてしまいました。現在も、ドゥオーモの隣には当時建てられた未完成の壁やアーチが、巨大な骸骨のように残され、「ファッチョーネ」と呼ばれています。ここは展望台として登ることができ、シエナの街並みと今あるドゥオーモを一望することができます。これらはシエナ市民の抱いた夢の大きさと、その夢が儚く砕けた悲しみを静かに語りかけます。
- 床に描かれた聖書の物語: もう一つの宝物は、大聖堂の床を埋め尽くす緻密な大理石象嵌細工です。旧約聖書やシエナの歴史を題材とした56の区画が、まるで絵画のように描かれています。14世紀から19世紀にかけて、約40名の芸術家が手がけた大作です。通常は保護のため覆われていますが、年に一度、パーリオ祭の後の一定期間だけ全てが公開されます。その美しさは「天国の入り口」と評され、多くの人が床にひざまずきたくなるほどです。
| スポット情報 | 詳細 |
|---|---|
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| 名称 | シエナ大聖堂 (Duomo di Siena) |
| 所在地 | Piazza del Duomo, 8, 53100 Siena SI, Italy |
| アクセス | カンポ広場から徒歩約5分 |
| 見どころ | ファサードの彫刻、床の大理石象嵌細工、ピッコローミニ図書館、未完のファッチョーネ展望台 |
| 営業時間 | 10:30-19:00(時期・曜日により変動あり) |
| 料金 | 有料。複数施設に入れる共通券「OPA SI PASS」がお得です。 |
| 公式サイト | https://operaduomo.siena.it/it/ |
街の中心、広場が語る市民の哲学

ドゥオーモが「神」と向き合う空間であるのに対し、街の中心広場は「市民」が直接向き合う場です。ここにもまた、フィレンツェとシエナという異なる都市哲学が強く反映されているのが見て取れます。
フィレンツェの権力の舞台 – シニョリーア広場
ヴェッキオ宮殿が威厳を放つシニョリーア広場は、フィレンツェ共和国時代から政治の中心地としての役割を担ってきました。石畳が敷き詰められたこの四角い広場は、どこか冷たく重みのある雰囲気を漂わせ、市民の憩いの場というよりは、メディチ家をはじめとする支配者たちがその権力を誇示するための「劇場」として機能していたのです。
広場には、ミケランジェロの「ダヴィデ像」(現在はレプリカ)、ジャンボローニャの「サビニ女の略奪」、アンマンナーティの「ネプチューンの噴水」など、ルネサンス彫刻の名作が惜しげもなく配置されており、まるで屋外の美術館のような空間を成しています。ひとつひとつの彫刻がフィレンツェの文化力と政治的な強さを雄弁に物語っています。
誰かに話したくなる「ダヴィデ像」の小話
広場の象徴ともいえるダヴィデ像にまつわるエピソードは、フィレンツェのルネサンス期の政治状況を反映しており、とても興味深いものです。
- 本来はドゥオーモの屋根上に設置予定?: このダヴィデ像は元々、ドゥオーモの屋根、クーポラの支壁に飾る目的で作られました。下方から見上げることを想定し、頭部や手が意図的に大きく造られていたのです。しかし、その完成度の高さに人々は「こんな傑作を屋根の上に置くには惜しい」と考え始めました。
- 政治的象徴としての設置場所の変更: そこで委員会が開かれ、設置場所の再検討が行われました。レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェッリも参加したこの会合の結果、フィレンツェ共和国の政庁舎ヴェッキオ宮殿前へと移されることに。若き英雄ダヴィデが巨人ゴリアテを倒した姿は、メディチ家を追放して共和制を獲得したフィレンツェ市民にとって、強大な敵に立ち向かう「自由と独立の象徴」であったのです。なお、ダヴィデの鋭い視線はフィレンツェの敵が潜む南、つまりローマの方向を向いているとも言われています。
- 悲劇の舞台でもあった場所: この広場は栄光の場であると同時に、悲劇の舞台でもありました。メディチ家の豪華さを非難し、フィレンツェに神政政治をもたらした修道士サヴォナローラが、後に異端者として火刑に処されたのもここです。ネプチューンの噴水近くにはその場所を示すプレートが埋め込まれています。華やかな芸術の裏に隠れた、権力闘争の生々しい記憶が今もここに刻まれています。
| スポット情報 | 詳細 |
|---|---|
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| 名称 | シニョリーア広場 (Piazza della Signoria) |
| 所在地 | Piazza della Signoria, 50122 Firenze FI, Italy |
| アクセス | ウフィツィ美術館の隣、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅から徒歩約12分 |
| 見どころ | ヴェッキオ宮殿、ダヴィデ像(レプリカ)、ネプチューンの噴水、ランツィのロッジャ |
| 営業時間 | 24時間開放 |
| 料金 | 無料 |
シエナの市民の集い場 – カンポ広場
シニョリーア広場を体験した後、シエナのカンポ広場を訪れると、その空間が醸し出す思想の差に驚くことでしょう。「世界で最も美しい広場」とヴィクトル・ユゴーが称えたこちらの広場は、権威的なフィレンツェの広場とは対照的に、訪れる人を温かく迎える親しみやすさに満ちています。
緩やかに窪んだ地形を生かしたこの広場は巨大な貝殻を思わせる形状で、赤レンガの床はマンジャの塔を中心に放射状に9つの区画に分割されています。周囲の建物は高さやデザインが統一され、見事な調和を作り出しています。この場所は政治の中心であるだけでなく、市民同士が語り合い憩う場所であり、年に二度開催される競馬「パーリオ」の興奮に包まれる祝祭の空間でもあります。
誰かに教えたくなる「カンポ広場のデザイン」豆知識
この居心地の良い広場の形状と構造には、シエナ共和国の市民重視の政治哲学が色濃く反映されています。
- 「9」という数字の象徴性: 広場が9つの区画に分かれているのは偶然ではありません。これは、13世紀末から約70年にわたりシエナの黄金時代を築き上げた市民政府「九人評議会(Governo dei Nove)」の象徴です。つまり、この広場は「我々の政治は、この9人の評議員のように調和と安定を保っている」という市民へのメッセージとして設計されているのです。まさに民主主義の理想が形になった空間と言えるでしょう。
- マンジャの塔の名称の由来: 広場のシンボルともいえる高さ102メートルの細長い塔は「マンジャの塔」と呼ばれます。名前の由来は、初代の鐘つき役のあだ名「マンジャグアダーニ(Mangiaguadagni)」つまり「稼ぎを食いつぶす男」によるもの。彼は大の浪費家で、その不名誉な昵称が皮肉にも塔の名前として今なお残っているのです。このエピソードからはシエナ人のユーモアセンスもうかがえます。
- 機能的な美しさ: カンポ広場の緩やかな傾斜は美観だけではありません。広場全体が巨大な雨水集水装置の役割を果たし、水は広場の最も低い地点にあるガイアの噴水下の排水溝へ流れ込む仕組みです。この構造により、中世の都市では珍しい清潔で水はけの良い公共スペースが実現されていました。市民生活を第一に考えたシエナ人の知恵の結晶と言えるでしょう。
| スポット情報 | 詳細 |
|---|---|
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| 名称 | カンポ広場 (Piazza del Campo) |
| 所在地 | Il Campo, 53100 Siena SI, Italy |
| アクセス | シエナ中心部に位置 |
| 見どころ | プッブリコ宮殿、マンジャの塔、ガイアの噴水、扇形の広場そのもの |
| 営業時間 | 24時間開放 |
| 料金 | 無料 |
絵画の革命 – ルネサンスの光とゴシックの輝き
建築や広場だけでなく、美術館に収められた絵画の中にも、二つの都市の美意識が鮮明に表現されています。フィレンツェでは「人間」の肉体と精神の描写が追求された一方、シエナは「聖なるもの」の優美さと神秘性を追い求めました。
フィレンツェの人間賛歌 – ウフィツィ美術館
ルネサンス絵画の聖地であるウフィツィ美術館には、メディチ家のコレクションが豊富に収められており、西洋美術史の教科書のような役割を果たしています。中世の硬直した表現から人間の感情を解き放ったジョット、遠近法を確立したマザッチョ、さらにはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロという三大巨匠たちの作品が揃います。
特に、サンドロ・ボッティチェッリの展示室は圧巻です。「ヴィーナスの誕生」や「春(プリマヴェーラ)」は異教の神々を題材とし、人間の身体美や生命の歓びを讃えた作品であり、ルネサンスの人間中心主義を象徴しています。神々しい一方で、どこか哀愁を帯びたヴィーナスの表情に触れると、完璧ではないからこそ愛おしい人間の感情そのものを感じ取れるようです。
誰かに話したくなる「ヴィーナスの誕生」の豆知識
誰もが知る名画にも、知るほど鑑賞が深まる秘密が隠されています。
- モデルは実在の美女?: ヴィーナスのモデルは、当時フィレンツェで最も美しい女性と謳われたシモネッタ・ヴェスプッチであったと言われています。彼女はメディチ家のジュリアーノ・デ・メディチの恋人でしたが、22歳の若さで亡くなりました。ボッティチェッリは彼女に秘かな思いを抱いていたとも伝えられ、彼の描いた聖母や女神には彼女の面影が込められています。この絵は、失われた美への哀悼と賛美なのでしょう。
- ヴィーナスの「恥じらい」ポーズ: ヴィーナスが髪や手で身体を隠す姿は「恥じらいのヴィーナス(Venus Pudica)」と呼ばれる古代ギリシャ・ローマの彫刻に由来します。これは単に裸体を隠すのではなく、神聖な美が露呈する瞬間を巧妙に表現したポーズです。ルネサンスの芸術家たちが古典古代の美術を徹底的に研究し、それを自身の作品に昇華させた証です。
- ウフィツィはもともと「オフィス」だった: こちらの壮麗な建物は、初代トスカーナ大公コジモ1世が行政機関を集約する目的で建てた役所でした。「ウフィツィ(Uffizi)」はイタリア語で「オフィス」を意味します。建物の最上階がメディチ家のプライベート美術品コレクションの展示場所となり、これが美術館の始まりです。かつては役人たちが忙しく働いた場が、今や世界中から芸術を求める人々が訪れるスポットに変貌したのは興味深い歴史のひとコマです。
| スポット情報 | 詳細 |
|---|---|
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| 名称 | ウフィツィ美術館 (Gallerie degli Uffizi) |
| 所在地 | Piazzale degli Uffizi, 6, 50122 Firenze FI, Italy |
| アクセス | シニョリーア広場の隣 |
| 見どころ | ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」「春」、レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」など多数 |
| 営業時間 | 8:15-18:30 (月曜休館) |
| 料金 | 有料。事前予約を強く推奨。 |
| 公式サイト | https://www.uffizi.it/gli-uffizi |
シエナのゴシック幻想 – プッブリコ宮殿と国立絵画館
フィレンツェの絵画が立体的なリアリティと人間ドラマを追究した一方で、シエナ派の作品は平面的な装飾性と宗教的叙情性を大切にしました。ビザンチン美術の影響を強く受けた金色の背景、優雅な曲線で描かれる人物像、そして感傷的で慈愛に満ちた聖母マリアの表情が特徴です。
これらの傑作に出会える場所は、カンポ広場に面したプッブリコ宮殿(市立美術館)とシエナ国立絵画館です。特に、シモーネ・マルティーニの「荘厳の聖母(マエスタ)」や、アンブロージョ・ロレンツェッティ作の「善政の効果と悪政の寓意」は必見です。
誰かに話したくなる「善政の寓意」の豆知識
プッブリコ宮殿内の「平和の間(九人評議会の会議室)」の三つの壁を飾るフレスコ画「善政の効果と悪政の寓意」は、単なる装飾ではありません。これはシエナ市民が理想とする社会像を描いた壮大な政治的マニフェストです。
- 世界初の「風景画」: この壁画「善政の効果(都市)」の部分には、活気あふれる中世シエナの街並みが驚くほど写実的に描かれています。人々が踊り、取引を行い、職人が働く様子が生き生きと描かれ、特定の宗教的エピソードの背景ではなく、風景そのものが主題となった最初の例とされています。美術史における画期的な一歩と言えるでしょう。
- 描かれた政治哲学: このフレスコ画は評議会メンバーの目の前に掲げられる位置に描かれています。「正義」「賢明」「平和」などの美徳が擬人化され、それらが支配する都市や農村の繁栄が分かりやすく示されています。一方、対面の壁には「悪政の寓意」として圧政や分裂がもたらす荒廃した街が描かれ、為政者たちへの戒めとなっています。支配者は常に市民の幸福を念頭に置け、という強烈なメッセージが込められているのです。
- 当時の生活のタイムカプセル: 壁画には当時の建築様式や人々の服装、市場の風景、さらには学校で教師が生徒に教える様子まで細かく描写されています。これは歴史学者にとって14世紀の都市生活の貴重な視覚資料であり、鑑賞者はまるで時代を遡ったかのように当時の空気を感じることができます。
| スポット情報 | 詳細 |
|---|---|
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| 名称 | プッブリコ宮殿・市立美術館 (Palazzo Pubblico e Museo Civico) |
| 所在地 | Il Campo, 1, 53100 Siena SI, Italy |
| アクセス | カンポ広場に面している |
| 見どころ | ロレンツェッティ「善政の効果と悪政の寓意」、シモーネ・マルティーニ「荘厳の聖母」 |
| 営業時間 | 10:00-19:00(季節により変動あり) |
| 料金 | 有料。マンジャの塔との共通券あり。 |
| 公式サイト | なし(シエナ市観光サイトなどで要確認) |
路地裏に薫る、それぞれの暮らしの記憶

有名な観光スポットだけでなく、さりげない路地裏こそ、その街の本当の姿が隠れているものです。フィレンツェとシエナ、それぞれの路地を散策しながら、現代に続く人々の生活の息遣いを感じてみてはいかがでしょうか。
フィレンツェ職人の街 – オルトラルノ地区
アルノ川の対岸に広がるオルトラルノ地区は、観光客で賑わう中心地とは異なり、静かな雰囲気が漂うエリアです。ここは古くから職人たちの工房が集う場所で、現在も革製品や宝飾品の工房、修復工房、手作りのマーブル紙(マーブル模様の装飾紙)を手がける小さな工房が軒を並べています。
トントン、カンカンと響く心地よい槌音。工房の窓から差し込むやわらかな光と、なめされた革の独特な香り。それはなぜか、どこか忘れかけていた約束を思い出させるかのような香りです。最先端のファッションブランドが立ち並ぶフィレンツェですが、その創造性の源流は、このオルトラルノ地区に息づく「マエストロ(職人)」たちの確かな手仕事にあります。お気に入りの一点物の革小物やアクセサリーを探して、この工房の扉をそっと開けてみるのも、フィレンツェならではの魅力的な体験です。
シエナの共同体 – コントラーダを巡る
シエナの迷宮のような路地を歩いていると、壁に描かれたヤマアラシやカタツムリ、ドラゴンなどの紋章や、色鮮やかな旗がふと目に入ります。これらは「コントラーダ」と呼ばれる、シエナ独自の地区組織のシンボルです。
シエナの街は、全部で17のコントラーダに分かれています。これらは単なる行政区画ではなく、それぞれが独自の教会、博物館、社交クラブ、さらには守護聖人を持ち、強い絆で結ばれた共同体です。住民は生まれたコントラーダに一生所属し、洗礼も結婚式も葬儀も、それぞれのコントラーダの教会で行われます。まさに「ゆりかごから墓場まで」の深い付き合いがここにはあるのです。
このコントラーダ間のライバル意識が最高潮に達するのが、年に二度カンポ広場で行われる競馬「パーリオ」です。馬と騎手はコントラーダの誇りを背負って駆け抜け、勝利したコントラーダは一年中その栄光に浸り、敗れたコントラーダは再挑戦を誓います。この祭典の熱狂は、中世以来続く共同体意識が今もシエナの人々の血に脈々と流れている証なのです。どのコントラーダの領域にいるかを示す紋章を探しながら歩くことで、シエナの街巡りは一層神秘的で楽しいものとなるでしょう。
旅の終わりに – あなたはどちらの街に心を寄せる?
フィレンツェとシエナ、二つの都市を巡る旅は、それぞれ異なる個性を持つ魅力的な二人の人物と会話を交わすかのような体験でした。
ルネサンスの輝きに包まれ、人間の知性と才能の無限の可能性を信じ抜いた、華麗で知的なフィレンツェ。その街は私たちに「前へ進みなさい」と語りかけ、未来への扉を開く勇気を授けてくれるように感じられます。
一方で、中世の夢の中に佇み、聖母マリアへの深い信仰と市民の調和を静かに守り続ける、情緒豊かで安らぎに満ちたシエナ。その街は私たちに「今この瞬間を大切に」と語りかけ、足元にある幸せに気づかせてくれるようです。
どちらが優れているかを問うことに意味はないでしょう。この二つの都市が互いに切磋琢磨し続けたからこそ、トスカーナの文化は比類なき深みと豊かさを手に入れたのだと思います。
栄光の過去を未来への原動力に変えて前進する街と、守るべき歴史を慈しみ静かに佇む街。旅人の心の状態によって、引かれる街は変わるに違いありません。今の私が心の奥でそっと寄り添いたいと思ったのは、どちらの街だったのでしょうか。その答えを、トスカーナの夕暮れの空に溶け込ませて、私だけの秘密として胸にしまっておこうと思います。

