もし、地球上に天国のかけらが落ちているとしたら、それはきっとこんな場所のことかもしれません。ニュージーランド南島の最北端に、ひっそりと、しかし圧倒的な輝きを放って横たわるアベル・タスマン国立公園。そこは、言葉を失うほどに透き通ったエメラルドグリーンの海と、太陽の光を浴びてキラキラと輝く黄金の砂浜が、どこまでも続く場所です。
韓国のアイドルのMVに出てきそうな、非現実的なまでの美しさ。でも、これはCGなんかじゃない。目の前に広がる、正真正銘、本物の景色なんです。都会の喧騒から遠く離れ、心と体を解き放つ冒険へ。今回は、シーカヤックとハイキングで巡る、アベル・タスマン国立公園の最高に贅沢な遊び方をご紹介します。この旅はきっと、あなたの人生の1ページに、鮮やかな色を添えてくれるはずです。
シーカヤックでの冒険に興味がある方は、アベル・タスマンの秘境ビーチへのシーカヤック探検もぜひご覧ください。
なぜ、世界中の旅人がこの地に惹かれるのか

ニュージーランドには、ミルフォード・サウンドの壮大なフィヨルドや、クイーンズタウンで楽しめる刺激的なアクティビティなど、多彩な魅力的スポットが点在しています。その中でも、アベル・タスマン国立公園が持つ魅力は少し異なるかもしれません。それは圧倒的な「優しさ」と「自由さ」に包まれていることです。
ニュージーランドで最も小規模な国立公園であるこの場所は、そのコンパクトな敷地内に多様な海岸線、穏やかな入り江、シダが茂る原生林、そして驚くほど豊かな生態系がぎゅっと詰まっています。険しい崖や荒々しい波は見られません。代わりに、穏やかな波が砂岸を優しく撫でる音、木立をそよぐ風の囁き、そしてかわいらしい野生動物たちの息づかいが訪れる人々をそっと包み込んでくれます。
そして、この楽園の魅力をもっとも深く味わうための鍵となるのが、「シーカヤック」と「ハイキング」の組み合わせです。水面から見上げる風景と、地面を踏みしめながら見下ろす景色、その両方を体験することでアベル・タスマンの魅力が立体的に広がり、心に残る思い出となるでしょう。自分の力でパドルを漕ぎ、自分の足で歩く——この過程こそが最高の贅沢です。ここでは誰もが自然と一体となり、自分自身が冒険の主人公になれるのです。
水面を滑る魔法の時間、シーカヤックでしか見られない景色
旅のスタートは、国立公園の玄関口として知られる町、マラハウ(Marahau)やカイテリテリ(Kaiteriteri)から始まります。多くのツアー会社が、初心者から上級者まで楽しめる多様なシーカヤックツアーを用意しています。
初めてのパドルで広がるワクワクの冒険
「シーカヤックは初めてで不安…」という気持ちも、出発前のブリーフィングであっという間に払拭されます。経験豊かなガイドが、パドルの持ち方や漕ぎ方、安全面についてユーモアを交えながら丁寧に教えてくれるので、自然とリラックスできて、これから始まる冒険に胸が高鳴るのを感じるでしょう。
私たちが参加したのは、マラハウを拠点とするカヤック会社が催行する1日ツアー。料金はランチや装備一式込みで、一人あたり約200ニュージーランドドル前後が目安です。公式サイトから事前に予約すれば、当日はスムーズに参加可能。ウェブサイトには様々なコースが紹介されているため、自分の体力や時間に合わせてゆっくりとコースを選ぶ時間も楽しめます。
二人乗りのカヤックに乗り込み、ガイドの合図で一斉に海へ漕ぎ出します。最初に感じたのは、驚くほどの安定感。そしてパドルが水をすくう「ザッ…ザッ…」という音と、自分の呼吸だけが聞こえてくる静けさ。ゆっくりと岸から離れると、目の前には信じられないほどクリアな海中世界が広がっていました。数メートル先の砂地や海藻がくっきり見え、まるでカヤックが宙に浮いているかのような錯覚を覚えます。この独特の浮遊感は、まさにアベル・タスマンでしか味わえない特別な体験です。
自然が生み出した芸術品、スプリット・アップル・ロックとの対面
しばらく進むと、ガイドが指差す先に不思議な形をした大岩が見えてきます。アデル島(Adele Island)とマラハウの間に浮かぶ「スプリット・アップル・ロック(Split Apple Rock)」。名前の通り、巨大なリンゴが真っ二つに割れたような形をした花崗岩です。マオリの伝説によると、二人の神がその所有権を巡って争い、岩を割ってしまったという話があります。その物語に思いを馳せながら、カヤックで岩の間近まで近づけるのはまさに特別な体験。長い時を経て自然が生み出した彫刻を、水面からじっくり眺める時間はとても神秘的です。
親しみやすい住人たちとの思いがけない遭遇
アベル・タスマンの海は、豊かな野生動物の棲み処でもあります。特にニュージーランド・ファーシール(オットセイ)のコロニーは見逃せません。岩場でのんびり日向ぼっこを楽しむ個体や、好奇心旺盛な若いオットセイがカヤックの周りをくるくる泳ぎ回る姿は、本当に愛らしいものです。彼らの生活を妨げないように、静かに距離を取って観察するのがルール。エンジン音のないカヤックだからこそ、警戒させることなく自然な姿を間近に見ることができます。
運が良ければ、世界最小のペンギンであるリトル・ブルー・ペンギンや、イルカの群れに出会えることもあるそうです。何が現れるかわからないドキドキ感も、シーカヤック体験の大きな魅力のひとつです。
黄金の道を歩く、心洗われるトレッキングの時間

シーカヤックで海の魅力を堪能した後は、世界的に知られるトレッキングルート「アベル・タスマン・コースト・トラック(Abel Tasman Coast Track)」で陸上からの絶景を満喫しましょう。全長約60kmのこのトレイルは、ニュージーランドを代表する「グレート・ウォーク」の一つに数えられています。
ウォータータクシーで自由自在に冒険プランをアレンジ
「60kmも歩くのはちょっと…」と心配される方もご安心ください。このコースの魅力のひとつは、ウォータータクシー(水上タクシー)を利用して、自分の体力やスケジュールに合わせて好きな区間だけ選べること。ビーチ間を結び、まるでバスのように旅人を運んでくれるウォータータクシーは、この国立公園の冒険に欠かせない強力なパートナーです。
例えば、「午前中はカヤックを満喫し、午後はウォータータクシーで絶景のハイキングコースのスタート地点へ移動し、ゴールのビーチで再びピックアップしてもらう」といった自由なプランも実現可能。多くのカヤックツアー会社がウォータータクシーとの組み合わせプランを提供しているため、予約時に相談するのがおすすめです。料金は距離により変動しますが、片道30〜50ドル程度が一般的。砂浜に直接上陸するボートから裸足で降り立つ瞬間は、まるで無人島へ足を踏み入れた冒険者になったかのような気分に浸れます。
五感で感じる、森と海のハーモニー
私たちが選んだのは、樹齢数百年のブナの原生林と美しいビーチが連なる「バーク・ベイ(Bark Bay)」から「アンカレッジ・ベイ(Anchorage Bay)」までの、約2〜3時間のトレイル。一歩足を踏み入れると、しっとりとした冷たい空気が肌を包み込み、シダ植物の爽やかな青い香りが鼻をくすぐります。
頭上では、ニュージーランド固有の鳥たち、トゥイやベルバードが美しい歌声を奏でるコンサートを開催。木漏れ日がきらきらと地面に模様を描き、ふかふかの落ち葉を踏みしめる音だけが森の静寂を彩ります。時折、木々の間から見えるエメラルドグリーンの海と黄金色のビーチに目を奪われ、思わず立ち止まりため息がこぼれました。カヤックで見上げた風景とは異なる、高めの視点から見下ろす海岸線のパノラマは、まさに圧巻の光景です。
このトレイルは急な登り下りも少なく、よく整備されているため、普段あまり運動しない方でも安心して楽しめます。自分のペースで歩き、疲れたら木陰で休憩し、気に入った景色を写真に収める。誰にも急かされず、心からリラックスできる貴重な時間を過ごせました。
潮の満ち引きが作り出す秘密のルート
アベル・タスマンを旅する際、絶対に忘れてはならないのが「潮の満ち引き」です。特にアワロア(Awaroa)などの一部入り江は、干潮時にのみ歩いて渡ることが可能。満潮時にはカヤックでしか通過できない海となりますが、干潮になると広大な砂州が現れ、トレッキングルートのショートカットとして利用できるのです。この自然のリズムを考慮してスケジュールを組むのも、アベル・タスマンならではの醍醐味と言えるでしょう。訪れる時間帯によって表情をがらりと変えるこの地は、まるで生きているかのように感じられます。ツアーに参加する場合はガイドが最適なタイミングを計算してくれるため安心ですが、個人でトレッキングする際は必ず事前に潮見表をチェックすることが重要です。
旅の準備は、冒険へのプロローグ
「さあ、行こう!」と決めたら、次は準備に取りかかりましょう。でも、あまり構えすぎる必要はありません。この楽園での冒険に必要なのは、少しの準備と自然を楽しむ気持ちだけです。
服装のポイントは「速乾性」と「重ね着」
アベル・タスマンの天候は変わりやすく、カヤックでは水しぶきを浴び、ハイキング中は汗をかきます。服装の鍵となるのは、「速乾性」と「重ね着」です。
インナーとして水着を着ておくのが理想的。その上に、ポリエステルなど化学繊維のTシャツやラッシュガード、ショートパンツを重ねましょう。綿(コットン)は濡れると乾きにくく、体を冷やしてしまうため避けるのが賢明です。日差しは強いものの、風が吹くと肌寒く感じることもあるので、薄手のフリースやウインドブレーカーを一枚持参すると安心です。さらに防水・撥水加工がされていれば、急な雨でも安心です。
足元は、水に濡れても問題ないスポーツサンダルや、かかとをしっかり固定できるウォーターシューズが最適です。ビーチを歩いたり、カヤックの乗り降りの際に便利です。ハイキング区間が長い場合は、サンダルに加えて軽量のトレッキングシューズを用意すると足の疲れが軽減されるでしょう。
絶対に忘れてはならないのが日焼け対策です。ニュージーランドの紫外線は日本の数倍とも言われており、つばの広い帽子、サングラス、SPF50+以上の日焼け止めは必須アイテム。こまめに塗り直して、大切な肌を強い日差しから守りましょう。
バックパックに入れる小さな必需品たち
ツアーに参加すれば、カヤックやライフジャケットなどの専門装備はすべてレンタル可能です。自分で用意すべきは、冒険をより快適にするためのちょっとしたアイテムたち。
まずは十分な量の水。少なくとも1人あたり1.5リットルは持っていくのが望ましいでしょう。国立公園内には売店がないため、水分補給は非常に重要です。そしてエネルギー補給用の軽食。ナッツやドライフルーツ、シリアルバーなど、手軽に食べられるものがおすすめです。黄金のビーチで味わうおやつは、どんな高級レストランのデザートにも引けを取りません。
思い出を残すためのカメラやスマートフォンもお忘れなく。ただし、水辺で使うため、防水ケースや防水バッグに入れておくことを強くおすすめします。うっかりした瞬間に大切なデータを失う危険があります。
さらに、汗や海水を拭くための小さなタオルと、ニュージーランドの自然で厄介なサンドフライ(小さな吸血性のブヨ)対策として虫除けスプレーがあれば安心です。サンドフライは特に夕方のビーチで多く見られるため、肌の露出を控えるか、しっかり虫除けをしておくと安心です。
知っておきたい、旅のヒントと心構え

最後に、アベル・タスマン国立公園の旅をより深く、かつ安全に楽しむためのいくつかのポイントをご紹介します。
旅の最適なシーズンは?
もっとも人気が高く、気候が安定しているのは夏の12月から2月です。この時期は日照時間が長く、海水温も上昇するため、海水浴やカヤックを心ゆくまで楽しめます。ただし、世界中から観光客が集まるピークシーズンでもあるため、宿泊やツアーの予約は早めに済ませることが肝心です。
個人的なおすすめは春(10月~11月)や秋(3月~4月)です。観光客がやや少なくなり、穏やかな気候の中でゆったりと自然を楽しめます。特に秋は空気が澄んでいて、夕日が海を黄金色に染める光景が感動的に美しい季節です。どの季節にもそれぞれの魅力があるため、自分の旅のスタイルに合わせて選んでみてください。
信頼できるツアー会社を選ぶ
マラハウやカイテリテリには多種多様なツアー会社が存在し、それぞれ得意なコースや特徴があります。複数の会社のウェブサイトを比較してみるのが賢明です。例えば、「Abel Tasman Kayaks」や「Kaiteriteri Kayaks」、「Marahau Sea Kayaks」などは長年の実績があり、利用者からの評価も高い会社です。安全面はもちろん、ガイドの質、提供されるランチの内容、ツアーの雰囲気なども考慮し、自分にぴったりの会社を選ぶことで満足度の高い体験につながります。
地球への敬意を忘れずに
アベル・タスマン国立公園の圧巻の景観は決して当たり前のものではありません。この貴重な自然環境を守るためには、私たち一人ひとりの意識が不可欠です。基本ですが、ゴミは必ず持ち帰りましょう。「来た時よりも美しく」という「Leave No Trace(痕跡を残さない)」の精神は、この地を訪れる上で欠かせないマナーです。決められたトレイルから外れない、植物や動物に触れないなどのシンプルなルールを守ることが、この楽園を未来へ繋げる大切な一歩となります。
ここは、ただ美しいだけの場所じゃない
カヤックを漕ぎ、自分の足で大地を踏みしめ、全身で自然と対話した一日でした。旅の終わりにアンカレッジ・ベイの砂浜に腰を下ろし、夕暮れ色に染まる空と海をじっと見つめていました。寄せては返す穏やかな波の音だけが、静かに周囲を包み込んでいます。
便利で快適な日常から少し距離を置き、自分の力で前へ進み、自然のリズムに委ねる。そんなシンプルな行為が、固まっていた心や身体をゆったりと解きほぐしてくれるのを実感しました。アベル・タスマン国立公園は単に風景が美しいだけの観光地ではありません。ここは、地球の優しさと逞しさを肌で感じながら、自分自身とじっくり向き合える特別な場所なのです。
エメラルドグリーンの海にパドルを沈め、黄金色の小径を歩んだ記憶。あくびをするオットセイ、森に響く鳥のさえずり、頬を優しく撫でる潮風の感触。そのすべてが、鮮やかな一枚の絵画となって、私の心に深く刻み込まれました。もし、日々の暮らしに少し疲れたと感じたり、新たなインスピレーションを求めているなら、ぜひこの楽園の扉を開けてみてください。きっと、忘れがたい冒険があなたを待っているはずです。

