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    最後の楽園ファトゥ・イヴァ島へ。パンノキとタロイモが紡ぐ、ポリネシアの魂に触れる食の旅

    南太平洋に浮かぶ、神々が創造したとされるマルケサス諸島。その最南端に、文明の喧騒から隔絶されたかのように佇む島があります。その名は、ファトゥ・イヴァ。切り立った断崖絶壁が黒い溶岩の肌を晒し、天を衝く緑の峰々が雲をまとう、荒々しくも神聖な空気に満ちた場所。ここは、タヒチからさらにプロペラ機と貨客船を乗り継ぎ、長い時間をかけてようやく辿り着ける、まさに「最後の楽園」と呼ぶにふさわしい秘境です。

    私がこの島に強く惹かれたのは、ここに今なお息づく、ポリネシアの原風景ともいえる暮らしがあるからでした。電気も水道も、インターネットさえも限られたこの島では、人々は大地と共に生きています。森に分け入り、自らの手でパンノキの実を収穫し、畑でタロイモを掘り起こす。そして、太古から受け継がれてきた調理法で、大地の恵みをいただく。それは、単なる食事ではなく、自然と対話し、生命を繋いできた営みの結晶です。今回は、そんなファトゥ・イヴァ島で体験した、パンノキとタロイモを巡る、究極の自給自足グルメの旅をご紹介します。この旅は、あなたの胃袋だけでなく、きっと魂をも満たしてくれるはずです。

    ファトゥ・イヴァ島の静寂に満ちた旅の後は、太古の絶景が息づくミルフォード・サウンドでのシーカヤック探検で、水面上から眺める雄大な自然の神秘に触れてみてはいかがでしょうか。

    目次

    時を遡る船旅、楽園へのプロローグ

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    ファトゥ・イヴァへの旅は、タヒチのパペーテを出発地点とします。マルケサス諸島の中心であるヒヴァ・オア島までは、国内線でおよそ3時間半のフライトです。しかし、本当の冒険はそこから始まるのです。ファトゥ・イヴァには空港が存在せず、島へ渡る唯一の交通手段は船のみ。多くの旅行者はマルケサス諸島を巡る貨客船「アパヌイ」の運航時間に合わせて旅程を組みますが、私は島の生活により深く触れたいと思い、地元の人々が利用する小型の供給船「ボンボニエール」に乗ることにしました。

    ヒヴァ・オアの港を離れると、携帯電話の電波はすぐに途切れ、視界にはただ広大な紺碧の海と空だけが広がります。エンジン音と波を切る音だけが響く中で、文明とのつながりが物理的に絶たれていくのを肌で感じました。約4時間の船旅ですが、体感時間はもっと長く感じられ、まるで時空のトンネルをくぐっているようでした。やがて水平線の彼方に、ぼんやりと黒いシルエットが浮かび上がります。それが目的地、ファトゥ・イヴァです。

    近づくに連れて、その影は圧倒的な存在感を持つ巨大な緑の城壁へと変わっていきます。何度も写真で見たあの有名な「乙女の湾(Baie des Vierges)」の奇岩群が、巨大な彫刻のごとくそそり立っているのを目にしたとき、私は息を呑みました。船がオモア村の小さな船着き場に接岸すると、日焼けした笑顔の島民たちが集まっていました。荷物を運び、久々の再会を喜ぶ声が飛び交う様子は、一般的な観光地での「歓迎」とは異なり、まさに生活の一シーン。私は旅行者でありながら、この島の普通の日常にそっと溶け込んだような不思議な感覚に包まれました。

    オモア村の静かな時間、大地と生きる人々

    私が滞在先に選んだのは、オモア村にあるペンションでした。ペンションと呼んでいても、華やかな装飾は一切なく、まるで島民の家の一部を借りているかのような素朴な場所です。部屋には最低限の家具だけが置かれ、夜になると自家発電の灯りがともります。インターネットはもちろん使えません。しかし、その「ない」ことこそが、この島で味わえる最大の贅沢だと気づくのに、それほど時間はかかりませんでした。

    窓の外からは、鶏の鳴き声や波の音、そして子供たちの無邪気な笑い声が聞こえてきます。時計を見ることさえ忘れ、ただ時間が自然に流れていくのを肌で感じるのです。村を歩けば、誰もが「カオハ(こんにちは)」と声をかけてくれます。人々は家の前でタパ(樹皮布)を作ったり、コプラ(ココヤシの果肉を乾燥させたもの)を干したりしています。その一つひとつの手仕事は、何世代にもわたって受け継がれてきた島の歴史そのものを語っていました。

    今回の旅の目的である「伝統食の体験」については、滞在先の主人テオに相談しました。彼は快く引き受けてくれて、「それなら明日は朝から森へ行こう。最高のウル(パンノキ)を採りに行かなければね」と笑顔で言いました。この体験はパッケージツアーとして設定されているわけではなく、テオのような島のガイドに直接お願いするのが普通です。料金も決まった金額はなく、一日案内してもらったお礼として、家族への心付けの形で渡します。相場としては、食事の材料費なども含めて10,000〜15,000パシフィック・フラン(日本円で約12,000円〜18,000円)ほどです。これは単なるアクティビティの料金ではなく、彼らの文化や知識を分かち合ってもらったことへの感謝の気持ちを表しています。予約はメールで行いますが、返信が来るまで数週間かかることも珍しくありません。この島には、急ぐという概念自体が存在しないのです。

    生命の森へ。聖なる果実、パンノキを探して

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    翌朝、夜明けと共に目を覚まし、テオと二人で森へと足を踏み入れました。村を少し離れると、道はたちまち鬱蒼としたジャングルに変わります。南国特有の湿った空気が肌に絡みつき、むせ返るほどの土と植物の香りが鼻をくすぐりました。聞こえてくるのは、名前も知らぬ鳥たちのさえずりと、自分たちの足音だけです。

    「この森は俺たちのスーパーマーケットだ」とテオは言い、足元のシダや頭上に垂れる蔓を指し示しながら、食用になる植物や薬草について教えてくれました。彼にとって、この森は単なる自然ではなく、命を育む巨大なパントリー(食料庫)そのものでした。足元はぬかるみが多く、滑りにくい丈夫なトレッキングシューズを履いてきたことを本当に良かったと感じます。また、肌の露出を避ける長袖長ズボンは、厄介な蚊や植物から身を守るための必携アイテムです。普段、廃墟を訪れる際も似たような装いですが、朽ちた人工物と向き合う時とは異なり、生き生きとした生命力に満ちた空気が全身を包み込みます。

    歩き始めてから約一時間ほど経った頃、テオがふと立ち止まり、空を見上げました。「あった、最高のウルだ」と彼が指差す先には、天高く真っ直ぐに伸びる、高さ20メートルはありそうな巨大な木が立っていました。その枝にはバレーボールほどの大きさの緑色の実がいくつもなっています。これがポリネシアの人々の主食であるパンノキです。

    テオは腰に下げた鉈で足場を切りながら、まるで猿のように軽やかに幹を登っていきました。その無駄のない動きは、長年この森と歩んできた者の証しです。目当ての実に近づくと、長い棒を巧みに使って枝から実を切り離しました。重々しい音を立てて地面に落ちたパンノキの実を一つ拾うと、ずっしりと重く、表面はごつごつとしていました。この一つの実が家族の食卓を支えているという事実は、スーパーで綺麗に包装された食材を当たり前のように買う私には、とても新鮮で、かつ尊いものに思えたのです。

    魂の根菜タロイモ、泥の中から掘り出す生命の重み

    パンノキの収穫を終えた私たちは、次にタロイモの畑へと向かいました。もしパンノキが「天からの贈り物」であるならば、タロイモは「大地の恵み」と言えるでしょう。ファトゥ・イヴァに広がるタロ畑は、谷間の沢沿いに造られた美しい棚田の景色が広がっています。水を湛えた畑には、ハート型の大きな葉が青々と茂っていました。

    「さあ、泥の中に入る覚悟はできたか?」とテオが笑顔で声をかけます。靴を脱ぎ、ズボンの裾をまくって恐る恐る畑に足を踏み入れると、ひんやりとした泥が足の指の間に滑り込んできました。その感触は、都会の暮らしでは決して味わえない、大地と直に繋がる感覚です。歩きづらさはありますが、この泥こそが栄養豊富なタロイモを育む土壌なのです。

    テオの指導を受けながら、葉の根元に手を差し入れ、泥に埋まっている芋を探ります。指先に硬い感触を感じたら、その周囲の土を丁寧にかき分け、芋全体を掴んでゆっくりと引き抜きます。ズボッという心地よい音と共に泥の中から現れたのは、ラグビーボールほどの大きさを誇る巨大なタロイモでした。表面は濃い紫色で、その重みが腕にずっしりと伝わってきます。それはまさに、生命の重みそのものでした。自ら手で収穫したという実感が、その重量を一層特別なものにしてくれます。汚れることなど気にせず、夢中になって芋を掘りました。もちろん服装は、泥だらけになることを前提に動きやすく汚れてもよいものを選ぶのが最適です。もし軍手があれば、爪の間に泥が入り込むのを防げるでしょう。

    収穫したパンノキとタロイモを、大きな葉で編んだカゴに入れ、私たちは再び村へと戻りました。半日かけた収穫体験は、心地よい疲労感とともに、これから始まる「食」への期待を大いに膨らませてくれました。

    大地の窯「ウム・アヒ」、火と石と土が織りなす魔法

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    村へ戻ると、テオの家族が調理の準備を始めていました。ファトゥ・イヴァの伝統的な調理法である「ウム・アヒ」は、地面に掘った穴を利用した蒸し焼き料理です。これは単なる調理手段にとどまらず、家族やコミュニティが集う神聖な儀式でもあります。

    最初に、庭に掘られた直径約1メートルの穴の底に薪を組み、その上にこぶし大の石を積み重ねます。この石は熱を蓄える役割を果たす火山岩で、とても重要です。薪に火がつくと、パチパチという音とともに乾いた木の香りが漂い始めました。石が真っ赤に焼けるまでに約1〜2時間がかかり、その間に私たちは食材の準備を進めました。

    パンノキは皮のまま直火で焼き、表面が真っ黒になったら水で冷やしながら焦げた皮を剥がしていきます。すると、中からは湯気の立つ真っ白な実が顔を出し、まるで茹で上がったジャガイモのようでした。タロイモは皮を剥いて適当な大きさに切り分けます。これらの食材は、巨大なバナナの葉で丁寧に何重にも包まれます。このバナナの葉が食材の水分を閉じ込め、その独特の香りを移す役割を持っているのです。

    石が十分に熱くなったら、燃え残った薪を取り除き、熱した石の上にバナナの葉を敷きます。その上に包んだパンノキとタロイモ、さらにこの日は特別に用意してもらった豚肉の塊を手早く並べます。さらに上からもバナナの葉をかぶせ、濡らした麻袋を置き、最後にすべての熱を閉じ込めるように掘った土をかけて完全に密閉します。こうして、大地のオーブン「ウム・アヒ」が完成しました。

    あとはひたすら待つだけです。食材の種類や量によりますが、そのまま3〜4時間じっくり蒸し焼きにします。火や煙は見えず、静かに土の下で熱い石と食材の水分が対流し、ゆっくりと確実に火が通っていきます。この待つ時間自体もまた、とても豊かなものです。テオと気軽な会話を楽しんだり、子どもたちと遊んだりしながら、私たちは大地の魔法がかかるのを穏やかに待ちました。

    究極のシンプル、パンノキとタロイモの奥深い味わい

    夕暮れ時、空がオレンジ色に染まる頃に、テオが「そろそろいい頃合いだ」と告げました。ついにウム・アヒを掘り起こす時間です。土を丁寧に取り除き、麻袋とバナナの葉を慎重にめくると、濃縮された香ばしい湯気がふわっと立ち上りました。それは土の香り、葉の新鮮な青い香り、そして食材本来の甘い香りが溶け合った、これまで嗅いだことのない力強くもやさしい芳香でした。

    葉の包みを開けると、見事に蒸し上がった料理が現れました。パンノキはほくほくとしていて、まるで高級なパンのような食感。噛みしめると自然な甘みがじわりと口いっぱいに広がり、何もつけなくてもこれだけで十分に満足できる味わいです。タロイモは日本の里芋よりもずっと密度が濃く、もちもちとした食感。滋味深く、大地の力がそのまま凝縮されたような力強い味がしました。

    味付けは、海水から作られた塩と新鮮なココナッツミルクだけというシンプルさ。しかし、それ以上の調味料は必要ありませんでした。素材そのものの味わいがあまりに豊かで深遠だったからです。現代の化学調味料や複雑なスパイスに慣れた私たちの舌が、忘れていた本来の味覚を呼び覚まされるような感覚を味わいました。豚肉もまた驚くほど柔らかく、余分な脂は落ちて旨味だけがしっかりと残っていました。私たちはテオの家族とともに、この大地の恵みを言葉少なに、しかし満ち足りた笑顔で分かち合ったのです。

    旅の準備、秘境を楽しむための心構え

    ファトゥ・イヴァへの旅は、一般的なリゾート旅行とは大きく異なります。十分な準備に加え、それ以上に重要な「心構え」が求められます。

    まず、訪れるのに適した時期についてですが、雨の少ない乾季、だいたい5月から10月あたりがおすすめです。ただし、山の天候は変わりやすく、スコールが頻繁にあるため、防水機能のあるウインドブレーカーは必ず携帯しましょう。

    持ち物として欠かせないのは、何より現金です。この島ではクレジットカードが全く利用できません。宿泊費やガイド料、食事代など、必要な分はパシフィック・フランで準備しておく必要があります。また、常備薬や虫よけスプレー、強力な日焼け止めも必須です。特に蚊が多いため、肌の防護は抜かりなく。先に述べたように、森の散策にはトレッキングシューズや長袖・長ズボン、泥に入っても構わない服装も用意しましょう。

    滞在は島内に点在するペンションや民宿(ファレ・ドット)が基本となります。豪華さは期待できませんが、清潔で、島の暮らしを身近に感じられるのが魅力です。予約は国際電話かメールで行うのが一般的ですが、インターネット環境が不安定なため、返事は気長に待つことが必要です。公式サイトのようなものはほぼ存在しないため、旅行代理店やタヒチ観光局の情報を参考に手配することになるでしょう。

    そして何よりも大切なのは、柔軟な心構えです。船の遅延や突然のスコールによる計画変更、停電が起こることも珍しくありません。しかし、それらこそがこの島の日常です。完璧なスケジュールにこだわるのではなく、予想外の出来事や偶然の出会いを楽しむ態度こそが、ファトゥ・イヴァの旅を最高のものにします。公用語はフランス語ですが、簡単なフランス語や英語、そして何より笑顔や身ぶりがあれば、温かい島民がきっと歓迎してくれるでしょう。

    楽園の土の味が教えてくれたこと

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    ファトゥ・イヴァで過ごした時間は、私の旅に対する価値観を大きく塗り替えました。これまで私は、世界各地の朽ち果てゆく建築物、つまり「失われた時間」の美しさに惹かれていました。しかし、この島で触れたのは、失われるどころか太古から絶え間なく受け継がれ、今なお力強く「生き続けている時間」そのものでした。

    森で収穫したパンノキの重み、畑から掘り出したタロイモの土の感触、そしてウム・アヒの湯気と共に漂う大地の香り。あの一皿に込められていたのは、単なる栄養やカロリーの補給ではありませんでした。それは、この島の人々が自然と調和し、知恵と工夫を重ねて命を繋いできた、何千年にもわたる歴史の重みだったのです。

    現代ではスーパーマーケットへ行けば、世界中の食材がいつでも手に入ります。だからこそ、私たちは食べ物がどこから来て、どのように育まれたのかを想像する機会を少しずつ失っているのかもしれません。しかし、ファトゥ・イヴァの土の味は、「食べること=生きること」という原初的でありながら最も大切な真実を改めて教えてくれました。

    もしあなたが、日常の喧騒に少し疲れているのなら。もし本当に豊かな暮らしとは何かを、頭ではなく心と体で実感したいと願うのなら。ぜひ南太平洋の果てにあるこの小さな島を訪れてみてください。パンノキやタロイモの滋味深い味わいとともに、あなたの人生にほんの少し変化をもたらすような、力強い生命の輝きがそこに待っているはずです。

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    この記事を書いた人

    大学時代から廃墟の魅力に取り憑かれ、世界中の朽ちた建築を記録しています。ただ美しいだけでなく、そこに漂う物語や歴史、時には心霊体験も交えて、ディープな世界にご案内します。

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