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    魂が震える、エメラルドの絶景へ。カナディアンロッキー、バンフ国立公園に心溶かす旅

    普段、僕は四角いジャングル、つまり金網に囲まれたリングの上で汗を流している。相手の動きを読み、一瞬の隙を突く。アドレナリンが全身を駆け巡り、痛みと興奮が入り混じる世界。そんな日常を送る僕が、時折無性に求めるものがある。それは、人間のスケールを、悩みやこだわりを、いとも簡単にちっぽけなものにしてしまう、圧倒的な大自然だ。カナダ、アルバータ州に広がるカナディアンロッキー。その心臓部に抱かれたバンフ国立公園は、まさにそんな場所だった。エメラルドグリーンに輝く湖、天を突くようにそびえる岩山、数万年の時を刻む氷河。そこは、都会の喧騒やリング上の緊張感とはまったく違う理で動く、静かで、荘厳で、そしてどこまでも美しい世界。この旅は、単なるリフレッシュでは終わらない。自分の内なる声に耳を澄まし、地球という星の途方もないエネルギーを肌で感じるための、魂の洗濯のような時間だった。さあ、僕と一緒に、息をのむ絶景の中へ足を踏み入れてみよう。

    バンフ国立公園での感動をさらに広げたいなら、カナダ・ガスペ半島でのシーカヤック体験もおすすめです。

    目次

    ロッキーの心臓部へ。カルガリーからバンフへの道のり

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    旅の出発点はカルガリー国際空港だった。飛行機の窓越しに見渡す限り続く広大な平原の景色が、ロッキー山脈への期待感を静かに高めてくれる。深く息を吸い込むと、乾燥しているが澄んだ心地よい空気が肺を満たした。これまで格闘技の海外遠征で多くの都市空港を訪れてきたが、カルガリーの空気にはどこか異なる清らかさがあった。これから始まる冒険の壮大で清新な序章を感じさせてくれた。

    今回の旅のパートナーは、空港で借りたレンタカーだ。バンフ国立公園はとても広く、各地に点在する絶景スポットを自由に巡りたいなら車が最適だ。国際免許証と日本の免許証、そしてクレジットカードがあれば、手続きは非常にスムーズに進む。予約は日本にいるうちに済ませておくのが賢明だろう。特に夏休みなどのピークシーズンでは、希望する車種が借りられない場合もあるためだ。

    カルガリーの市街地を抜けると、トランス・カナダ・ハイウェイが目の前にまっすぐ広がっていた。地平線まで続くように見える一本道。ここから始まるドライブが、旅の最初の見どころだ。最初は広大な平原が広がっていた風景も、走り続けて1時間ほど経つと徐々に変化を見せ始める。遠くの空と大地の境目にギザギザした山の輪郭が浮かんでくる。カナディアンロッキーだ。まるで巨大な生き物がゆっくりと姿を現すかのように、その形は少しずつ、しかし確実に大きくなっていった。その迫力に思わずアクセルをゆるめてしまうほどだった。

    バンフの街に入る前に、キャンモアという町のスーパーマーケットに立ち寄ることをおすすめしたい。バンフの中心部にもスーパーはあるが、ここは規模が大きく品揃えも豊富だ。水やスナック、朝食用のパンなどを買い揃えておくと、滞在中がずっと快適になる。車内での軽食やハイキング時のエネルギー補給に、ナッツやドライフルーツは欠かせない。特に野生動物との遭遇に備え、食べ物の匂いが車内に充満しないように、密閉可能な容器や袋も購入しておくと安心だ。

    カルガリーから約1時間半走ると、ついにバンフ国立公園のゲートが視界に入った。ここで国立公園パスを購入する必要がある。このパスがないと園内に入ることはできない。料金は滞在日数や人数によって異なるが、僕のように数日間滞在する場合は、日割り計算されたディスカバリーパスが便利でお得だ。このパスはフロントガラスの見やすい場所に掲示するのがルールだ。この一枚のステッカーが、これから始まる特別な時間への扉を開く入場券のように感じられて、胸が高鳴った。

    ゲートを通過すると、空気の質感が変わったように感じた。針葉樹の濃い香りが窓から流れ込んでくる。そしてついにバンフの街へ到着。カスケード山を正面に望むメインストリートのバンフ・アベニューは、まるで物語の世界から飛び出してきたかのようだ。山小屋風の建物が立ち並び、世界各地から訪れた旅人たちが楽しげに行き交っている。厳しい自然の中にありながら、温かく洗練された街並みだ。これから数日間、この街を拠点にしてあの山々の懐へと分け入っていく。期待はすでに最高潮に達していた。

    湖の女王、ルイーズ湖との邂逅

    バンフ国立公園を訪れる人なら誰もが、その名に特別な響きを感じる湖がある。レイク・ルイーズ。カナディアンロッキーの宝石であり、湖の王妃と称される場所だ。これまで数多くの写真や映像で見てきたはずのその姿。しかし、フェアモント・シャトー・レイク・ルイーズのホテル裏手から湖畔へと歩みを進め、目の前にその全景が現れた瞬間、私は言葉を失ってしまった。

    目の前に広がる光景は、もはや「湖」という言葉だけでは表現しきれないほど神々しく輝いていた。エメラルドグリーンやターコイズブルーといった一般的な色名では到底表現できない、深く複雑な光沢がその水面に宿っていた。日差しを浴びてキラキラと輝く部分があれば、ヴィクトリア氷河の影によって深い青色に沈む場所もある。この独特の色彩は、氷河が削り出した微細な岩の粒子(ロックフラワー)が水中に溶け込み、太陽光の特定の波長だけを反射することで生まれるという。理論は理解しても、この非現実的な美しさの前ではただただ圧倒されるのみだ。

    湖の奥には、万年雪と氷河を抱いたヴィクトリア山が、まるで女王を守る騎士の如く堂々とそびえている。その荘厳な姿が、静かな湖面に鏡のように映し出されている。風が止んだ一瞬、まるで天地の境界が消え去ったかのような完璧なシンメトリーが生まれる。その静寂は、まるでリング上で極限の集中を強いられる瞬間のようでもあるが、そこに漂うのは闘争心ではなく、偉大なるものへの畏敬の念だった。

    この美しさをただ眺めているだけでは物足りない。私は迷わず湖畔のボートハウスへと向かった。ここでは、鮮やかな赤色のカヌーを貸し出している。料金は1時間あたり150カナダドル前後と決して安くはないが、その価値は十分にあると断言できる。予約は不要で、列に並び順番を待つ方式だ。ライフジャケットを装着し、スタッフから簡単なパドル操作の説明を受けたら、いよいよ湖上へ漕ぎ出す。岸を離れ湖の中心へ進むと、景色はまったく新しい表情を見せ始めた。

    地上からは見えなかった山の側面や氷河の細かな凹凸がはっきりと見渡せる。何より、奇跡の色をたたえた水に自分の手でパドルを差し込んで進んでいると感じられることが言葉にならないほど素晴らしい。氷河から溶け出したばかりの水は驚くほど冷たく、パドルに伝わる水の抵抗や、時折聞こえる鳥のさえずり、そしてカヌーが水を切る音だけが静かに響く。周囲を見渡すと、同じようにカヌーを楽しむ人々の笑顔が見える。さまざまな国籍や年齢が違う人々が、この同じ絶景に感動し、心を一つにしている。そんな空間に身を置けることが、非常に幸せに感じられた。

    服装は動きやすいものが最適だ。少し水しぶきがかかることもあるため、速乾性のある素材の服なら安心できる。湖上は日差しを遮るものがないのでサングラスは必須であり、標高が高いことから晴れていても風が吹くと肌寒く感じることもある。薄手のウインドブレーカーのような羽織れる一枚があると、体温調節がしやすくて便利だ。1時間もあれば、湖の奥まで進んで戻ってくるのに十分な時間となる。この湖上のひとときは、レイク・ルイーズを訪れたらぜひ体験してほしいアクティビティの一つだ。女王の懐に抱かれるような、忘れがたい時間になるだろう。

    神秘の輝きを放つ、モレーン湖

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    レイク・ルイーズが「女王」と称されるならば、これから訪れるモレーン湖は、まさに「秘宝」と呼ぶにふさわしい存在かもしれない。よく知られているものの、誰もが簡単にその姿を目にできるわけではない。この湖は、その神秘的な魅力と訪れる人々を魅了する圧倒的な美しさによって、多くの旅人にとって憧れの地となっている。

    かつてカナダの20ドル紙幣に描かれた壮麗な風景を一目見たいと、僕も胸を躍らせていた。しかしここで重要な情報がある。2023年より、環境保護と交通渋滞の緩和の目的で、モレーン湖への自家用車の乗り入れは通年禁止となったのだ。この事実を知らずに向かうと、ゲートの前で途方に暮れることになる。僕も旅の計画中にこの措置を知り、慌ててアクセス方法を再確認した。格闘技の試合で相手の得意技を研究するのと同じく、旅の情報収集は極めて重要だ。

    モレーン湖へは複数のアクセス手段があるが、一般的なのはパークス・カナダが運営するシャトルバスの利用だ。レイク・ルイーズ・スキーリゾートの広い駐車場に車を停め、そこからバスに乗り換える必要がある。このシャトルバスは事前にオンラインで予約することが必須で、争奪戦は激しい。例年、春頃に夏シーズン分の予約が一斉に解放されるが、人気の時間帯はわずか数分で満席になってしまう。旅程が決まったら、まず最優先でシャトルバスの予約状況を確認し、公式サイトをこまめにチェックしつつ予約開始日時をカレンダーに入れておくことが求められる。

    僕が訪れたのは早朝の時間帯だった。まだ薄暗い景色の中、曲がりくねった山道をバスで進み、降車後は真っ先に向かうべき場所がある。それは「ロックパイル」と呼ばれる、湖畔に積み上げられた岩の丘だ。短いトレイルを少し登ると、一気に視界が拓ける。そこで広がる光景は、言葉を超えた美しさだった。

    「テン・ピークス」と呼ばれる10の峰が鋭く険しい岩肌を湖面に映し出し、その静寂な姿に目を奪われる。湖水の色も特筆すべきで、レイク・ルイーズが鮮やかなエメラルドグリーンなら、モレーン湖はより深みのある濃いターコイズブルーだ。まるでインクが溶け出したかのような、信じられないほどの青さ。まだ昇りきらない太陽の柔らかな光が頂を次第に黄金色に染め上げていく。その荘厳な光景の前で、展望台にいた誰もが息を呑み、静かにその瞬間を見守っていた。シャッター音すら控えたくなるような、厳粛な静けさがそこにはあった。

    ロックパイルからの眺めを満喫したあとは、ぜひ湖畔まで下りて散策してもらいたい。水際に近づくと、その透明度と深さに改めて驚かされる。カヌー乗り場もあり、湖上からの景色を楽しむこともできるが、モレーン湖のカヌーはレイク・ルイーズ以上に人気が高く、早朝から行列ができることも珍しくない。時間に余裕があれば、ぜひチャレンジしてみる価値は十分あるだろう。

    シャトルバスのほかにも、現地のツアー会社が運行するバスや公共交通機関であるRoamトランジットを利用する手段もある。それぞれにメリットとデメリットがあるため、自分の旅のスタイルに合った方法を選ぶのが望ましい。いずれにしても、モレーン湖への訪問に欠かせないのは「計画性」だ。行き当たりばったりの行動では、この秘宝に辿り着くことは難しい。しかし、その努力を払ってこそ、見る価値がある風景が待っている。努力して掴んだ勝利が格別であるように、計画を練りに練ってたどり着く絶景は、心に深く鮮やかに刻まれるだろう。

    大氷原を歩く。コロンビア大氷原とアサバスカ氷河

    バンフ国立公園の旅は、湖の美しさだけで終わるものではない。さらに記憶に残る体験にするため、私は車を北へと進めた。目的地はコロンビア大氷原だ。バンフから北に位置するジャスパー国立公園へと続く国道93号線、別名「アイスフィールド・パークウェイ」をひたすら走る。

    このルートは単なる移動手段ではなく、「世界で最も美しいハイウェイ」と称されるほどの絶景街道であり、その美しさ自体が旅の目標となる。左右には次々と壮大な山脈と氷河が姿を現し、その迫力に自分の運転する車がまるでおもちゃのミニカーのように感じられる。ペイトー湖やボウ湖など、道中には息を飲むほど美しい湖が点在し、気になる場所で何度も車を停めて写真を撮った。時間に縛られず、気に入った場所で好きなだけ過ごせるのはレンタカー旅の大きな魅力だ。

    約2時間半のドライブ後、ついにコロンビア大氷原ディスカバリー・センターに到着した。ここは北米大陸で最大規模の氷原にアクセスするための玄関口であり、冒険の本番はここから始まる。私が参加したのは、巨大な雪上車「アイス・エクスプローラー」に乗ってアサバスカ氷河の上まで向かうツアーだ。このツアーは非常に人気が高いため、公式ウェブサイトでの事前予約が必須となる。当日券も存在するが、ピークシーズンにはほぼ完売していることが多いため、訪問日を決めたら早めに予約するのが賢い選択だ。

    最初にシャトルバスで氷河のふもとまで移動し、そこで「アイス・エクスプローラー」に乗り換える。直径約1.5メートルの巨大なタイヤを装備した、この特殊車両の姿はまるでSF映画から抜け出したかのようで、興奮を覚えた。車内では陽気なドライバー兼ガイドが、氷河の成り立ちやこの地域の自然環境について詳しく解説してくれる。ゆっくりと力強く急勾配を登る際に見える車窓の外には、氷の浸食によって形作られた荒々しい地形が広がり、地球の悠久の歴史を直に感じられる場面だ。

    やがてバスは平坦な場所で停車し、「ここがアサバスカ氷河の上だ。20分間自由に散策していいよ」とガイドが告げた。タラップを降りて氷の大地に足を踏み入れた瞬間、その感覚は永遠に忘れられないだろう。眼下に広がるのは、真っ白な雪原ではなく、長い年月にわたり圧縮された硬く青みがかった氷の大地だ。安全に歩けるよう区切られたエリア内を歩くと、足元に「ザクッ、ザクッ」とした独特の感触が伝わってくる。

    真夏であっても、頬を吹き抜ける風は冷たく感じるため、ダウンジャケットを持ってきて正解だった。夏でもしっかり防寒対策を講じる必要があり、長ズボンはもちろん、フリースや軽めのダウンジャケットが欠かせない。また、氷の反射は予想以上に強烈なため、サングラスや日焼け止めの用意も必須だ。空のペットボトルを持参すれば、氷河の溶け水を汲んで飲むこともできる。この何万年も前の水は驚くほどまろやかで、体の中にスッとしみ込んでいく感覚があった。限られた時間の中で太古の氷に触れ、その上に立ち、その水を味わうという体験は、地球の壮大な時間の流れの中に自分が一瞬だけ存在するかのような、感慨深く神秘的なものだった。

    氷河散策の後は、ツアーに含まれる「グレイシャー・スカイウォーク」へ向かう。ディスカバリー・センターからバスで少し移動した先にある、断崖絶壁から突き出した半円形のガラス張り展望台だ。サンワプタ渓谷の底まで約280メートルの高さから望む景色は圧巻である。一歩踏み出せば足元が透けて見え、まるで宙に浮いているかのようなスリルが味わえる。高所恐怖症の方には少し勇気が必要かもしれないが、360度の大パノラマは必ず一見の価値がある。氷河ツアーとスカイウォークがセットになったチケットを購入すると、価格と時間の両面で効率が良い。ツアー全体の所要時間は約3時間ほど。バンフ旅行のスケジュールにぜひ加えてほしい、特別なひとときだ。

    バンフの街歩きと、旅の実用情報

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    大自然の中で感動的なひとときを過ごしたあとは、その拠点となるバンフの街へと戻る。この街は単なる観光の拠点ではなく、それ自体が魅力的な目的地であり、旅の疲れを癒し、次の冒険に向けた活力を与えてくれる場所だ。

    バンフのメインストリートであるバンフ・アベニューを歩くだけで、気持ちが高揚してくる。通りの正面には、圧倒的な存在感を放つカスケード山がそびえ立ち、まるで街の守護神のような威厳を感じさせる。両側には、可愛らしい山小屋風の建物が並び、アウトドア用品店や土産物店、レストランやカフェが軒を連ねている。世界各地から訪れた旅人たちが思い思いの言葉を交わし、笑顔で行き交う。その活気あふれる空気の中に身を置くと、自分もこの大きな旅の一員だと実感できる。

    食事の選択肢が豊富なのも、バンフの大きな魅力の一つだ。特に味わってほしいのは、アルバータ州が誇るアルバータ牛のステーキ。赤身が多く肉本来の旨みがぎゅっと詰まったステーキは、日中のハイキングで消費したエネルギーをしっかり補ってくれる最高のごちそうだ。地元で醸造されたクラフトビールとの相性も抜群である。そのほか、カジュアルなハンバーガーショップから世界各国の料理を提供するレストランまで、気分や予算に応じて多彩に選べる点も嬉しい。私のお気に入りは、少し早めのディナーをテラス席で楽しみながら、夕日に染まる山並みを眺めるひとときだった。

    お土産探しもまた楽しめる。カナダの象徴であるメープルシロップやスモークサーモンの定番品はもちろん、地元アーティストによるアクセサリーやアート作品、国立公園のロゴ入りTシャツやマグカップなど、見ているだけで飽きない品々が揃う。特にアウトドアブランドの品ぞろえが充実しており、最新のウェアやギアが豊富に並んでいる。日本で購入するよりも手頃な価格で手に入ることもあるので、思いがけない掘り出し物に出会えるかもしれない。

    ここで、バンフ滞在をより快適に過ごすためのいくつかの実用情報にも触れておきたい。まず服装についてだが、何度でも強調したいのは「レイヤリング(重ね着)」の重要性だ。夏であっても、日中は半袖で過ごせるほど暖かい日もあれば、朝晩はフリースやジャケットが必要なほど肌寒く感じることがある。天候も変わりやすく、晴れていても突然雲が広がり雨が降ることも珍しくない。防水性と防風性を兼ね備えたアウター(ゴアテックスジャケットなど)が一枚あると安心できる。そして足元は必ず歩きやすい靴を選びたい。街歩き程度ならスニーカーで十分だが、少しでもハイキングに出かける場合は足首を支えるハイキングシューズがおすすめだ。

    もう一つ欠かせないのが、野生動物への備え、特に熊対策である。バンフ国立公園はグリズリーベアやブラックベアの生息地であり、遭遇する可能性はゼロではない。そのためハイキング時には「ベアスプレー」の携帯が強く推奨されている。これは唐辛子成分を含む強力な熊対策スプレーで、万が一の場合に備える安心のアイテムだ。街のアウトドア用品店でレンタルまたは購入できる。とはいえ使わずに済むのが何より望ましい。熊との遭遇回避のためには、複数人での行動、時々声を出す、熊鈴を鳴らすなどの工夫が効果的である。また、食べ物の管理は厳重に行うこと。ゴミは必ず熊が開けられない特殊な構造の指定ゴミ箱に捨て、車内に食べ物を置きっぱなしにしない。これらのルールは、自分たちの安全を守るとともに、野生動物の暮らしを守るうえでも極めて重要だ。

    バンフの街は、大自然への玄関口であると同時に、文明の快適さを提供する安らぎの場所でもある。この二つの顔を持つおかげで、私たちは安心して思う存分、カナディアンロッキーの冒険を楽しむことができるのだ。

    野生の鼓動を感じる瞬間

    バンフ国立公園の魅力は、その壮大な景観だけにとどまらない。この広大な自然環境は、多数の野生動物たちの生息地であり、生きた聖域としての役割を果たしている。旅の途中、ふとした瞬間に彼らの姿を見かけることがあり、それがこの旅で最も印象的で特別な体験の一つとなる。

    街の近くの草原には、大きな角を持つエルク(ワピチ)の群れがゆったりと草を食べる光景が日常的に見られる。車を運転していると、道路脇に突然現れることもあるため、常に注意を払う必要がある。断崖絶壁に目を向けると、重力を無視するかのようにビッグホーンシープが軽やかに岩場を移動している場面に出会うかもしれない。そのたくましい姿は、野生の力強さを強く感じさせる。

    特に印象に残ったのは、アイスフィールド・パークウェイをドライブしていた際の出来事だった。森の中から一頭のブラックベアが姿を現したのだ。車をゆっくりと路肩に寄せ、エンジンを切ると、熊は私たちの気配に気づきつつも警戒心を見せることなく、悠然と道を横断し反対側の森へと消えていった。わずか数十秒の出来事であったが、その黒く艶やかな毛並み、力強い四肢の動き、静かな森に響くかすかな足音が脳裏に深く刻まれている。動物園の檻の中とはまったく異なる、本来の棲み家で生きるありのままの姿に触れ、その圧倒的な存在感に畏敬の念を禁じ得なかった。

    もちろん、グリズリーベアに遭遇する可能性もある。彼らはブラックベアよりも大きく、肩の盛り上がった筋肉が特徴的だ。もしハイキング中に遠くでその姿を目にしたら、静かにそしてゆっくりその場を離れることが最も重要だ。彼らの領域に人間が侵入していることを忘れてはならない。

    ここで肝心なのは、野生動物と正しい距離を保つことだ。彼らは愛らしい外見をしているかもしれないが、決してペットではない。過度に近づいたり、餌を与えたりすることは絶対に避けるべきだ。人間の食べ物を覚えてしまった動物は、自力で餌を探す能力を失い、最悪の場合は人里に下りてきて危険と判断され、殺処分されることもある。私たち旅行者が最大限に示すべき敬意は、彼らの生活に干渉せず、遠方から静かに彼らの姿を見守ることにほかならない。

    車内から野生動物を観察する際にもルールが存在する。ハザードランプを点けて安全に車を路肩に停め、決して車外に出ないこと。特に熊やクーガーなどの大型肉食動物の場合、これが自分の身を守るために最も重要な対応だ。写真を撮りたい気持ちは理解できるが、安全な距離を保つことが最優先だ。望遠レンズがあれば、動物たちを驚かせることなく、その自然な表情をカメラに収めることが可能だろう。

    バンフの旅は、常に野生の息づかいを感じながら進んだ。時にはスリリングであり、常に感動的な旅だった。人間の世界とは異なる、もう一つの時間がそこには流れていることを実感させてくれる。この野生の鼓動を感じる体験こそが、バンフ国立公園を訪れる最大の魅力なのかもしれない。

    この旅が教えてくれたこと

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    カナディアンロッキーの壮大な自然に包まれた数日間は、僕にとって単なる絶景を巡る旅以上の意味を持っていた。普段は勝敗という明確な結果が求められる環境で、常に心身を緊張させている僕にとって、バンフの時間は自分自身や生きる意味をまったく異なる視点で見つめ直す貴重な機会となった。

    レイク・ルイーズの湖畔に佇み、何万年もの歳月をかけて氷河が刻んだ渓谷と、その中にたたえられた奇跡のような色彩を湛えた湖水を眺めた瞬間。アサバスカ氷河の上に立ち、目の前の氷が遥か昔の空気を閉じ込めていることを思い知らされた時。僕は自分の存在の小ささと儚さを痛感した。リングの上では、つい自分が世界の中心にいるかのように錯覚することもあるが、この壮大な自然の前では、僕は無数の生命の一つに過ぎなかった。その無力さは決してマイナスの感情ではなく、むしろ自分を縛っていた小さなプライドやこだわりから解き放たれ、心が軽くなっていく不思議な安らぎをもたらしてくれた。

    モレーン湖へ行くために、早朝からバスの予約システムと格闘したこと。アイスフィールド・パークウェイで、次にどんな風景が広がるのか期待に胸を膨らませながらハンドルを握ったこと。野生の熊と遭遇し、その圧倒的な生命力に息を呑んだこと。旅の一つひとつの瞬間が五感を刺激し、心を大きく動かした。計画通りに物事が進む喜びがあれば、予想外の出会いがもたらす感動もあった。

    この旅は、僕に「待つこと」の尊さも教えてくれた。モレーン湖で、テン・ピークスの峰に朝日が射し込むそのわずかな瞬間をじっと待つ時間。それは単なる待機時間ではなかった。刻々と変化する空の色、穏やかな湖面、冷たい空気の匂い、すべてを全身で感じながら、自然が織りなす最高の光景を心待ちにする、贅沢な瞑想のような時間だった。せわしなく動き、常に結果を求める日常とはまったく異なる、豊かな時間の流れがそこにはあった。

    日本に戻り、再び金網に囲まれた日々が始まっても、僕の心の中にはあのエメラルドグリーンの湖が静かに広がっている。厳しいトレーニングで心が折れそうな時は、あのロッキーの山並みを思い出す。人間の一生など、あの岩々が刻んできた悠久の時間に比べればほんの一瞬の出来事だ。そう考えると、目の前の困難も乗り越えられる気がしてくる。

    もし、あなたが日々の暮らしに疲れを感じたり、何か大きな存在に触れたいと思っているなら、ぜひカナダのバンフ国立公園への旅を計画してみてほしい。そこには、写真や言葉だけでは伝えきれない圧倒的な感動が待っている。あなたの魂を震わせ、心の奥深くまで洗い流してくれるような、本物の自然がそこに存在する。この旅は、きっとあなたの人生にとってかけがえのない宝物になるだろう。

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    この記事を書いた人

    起業家でアマチュア格闘家の大です。世界中で格闘技の修行をしながら、バックパック一つで旅をしています。時には危険地帯にも足を踏み入れ、現地のリアルな文化や生活をレポートします。刺激的な旅の世界をお届けします!

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