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    天を突く祈りの尖塔 ルーマニア・マラムレシュ、シュルデシュティの木造教会を巡る旅

    コンクリートジャングルと金網に囲まれたジムでの日常。汗と熱気、そして時折響く鈍い打撃音。それが、ここ最近の僕の生活のすべてだった。東欧での格闘技修行は、心身を極限まで追い込む日々だ。だが、どれだけ強さを求めても、魂が乾ききってしまう瞬間がある。そんな時、僕は決まって地図を広げる。文明の喧騒から最も遠い場所はどこだろうか、と。今回、僕の指が止まったのは、ルーマニア北部の山間にひっそりと存在する「マラムレシュ」という地名だった。

    「生きた博物館」。ガイドブックにはそう記されていた。何世紀にもわたって変わらない木造建築の文化と、篤い信仰が今なお息づいているという。特に僕の心を捉えたのは、天を衝くかのようにそびえ立つ木造教会の写真だった。釘を一本も使わずに建てられたというその姿は、鍛え上げられた肉体のように、機能美と力強さに満ちていた。アスファルトと鉄骨の世界から逃れ、木の温もりと祈りの静寂に触れたい。衝動に駆られるようにバックパックを掴み、僕は北へ向かう列車に飛び乗った。その旅の終着点こそが、マラムレシュ地方の至宝と謳われる、シュルデシュティの木造教会だったのだ。

    ルーマニアの旅で感じた静寂とは対照的に、光の魔法に包まれる夜の街並みもまた、ヨーロッパの旅の魅力を教えてくれる。

    目次

    生きた博物館、マラムレシュへの道のり

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    首都ブカレストから夜行列車に揺られて十数時間。ルーマニアの広大な平野はやがて緩やかな丘陵へと姿を変えていく。窓の外を流れる風景はまるで時代を遡るかのようで、近代的な高層ビルは次第に見えなくなり、代わりに干し草を積んだ馬車が土塵を巻き上げながらゆっくりと進んでいく。マラムレシュ地方の玄関口である街、バイア・マーレに降り立った時には、すでに都会の喧騒をすっかり忘れていた。

    バイア・マーレはマラムレシュ地方を巡る旅の拠点として非常に便利な町だ。ここからバスを使うか、より自由に動きたいならレンタカーを借りて点在する村々を訪れることになる。私は迷わず小さなレンタカーを選択した。時間に縛られず気になった脇道に気軽に立ち寄れる自由こそ、この旅に必要だと感じたからだ。実際、この選択は大正解だった。幹線道路から離れて村と村とをつなぐ細道に入ると、マラムレシュの本質が目の前に広がり始めた。

    まず目を惹くのは、どこの家の入口にも立つ巨大で精巧な彫刻の施された木製の門だ。オーク材を贅沢に使い、太陽や縄、狼の歯など伝統的なモチーフが隙間なく刻まれている。これらは単なる飾りではない。家を守る魔除けであり、その家の経済的豊かさや社会的地位を表すステータスシンボルでもあるのだ。同じデザインは一つとしてなく、それぞれの家の主の誇りと信仰心が伝わってくる。車を降りてその圧倒的な存在感に息を呑む瞬間は、門そのものがこの土地の歴史を静かに語りかけているかのようだった。

    道はさらに深い山中へと続いていく。やがて携帯電話の電波は弱まり、やがて完全に繋がらなくなった。不安感よりはむしろ自由な解放感があった。デジタルな繋がりが断たれ、五感が研ぎ澄まされていくのが感じられる。耳に届くのは鳥のさえずりや風が木の葉を揺らす音、遠くで鳴る牛の鈴の音だけ。澄んだ空気を吸い込むたびに草と土の香りが肺を満たしていく。普段私が身を置くスラム街の混沌やジムの熱気とは対照的に、そこには穏やかで優しい世界が広がっていた。

    誰かが言うには、マラムレシュ地方はまるで巨大なテーマパークのようだという。しかしそれは違う。ここは観光のために作られた場所ではない。何世紀にもわたって受け継がれてきた人々の生活様式がそのまま息づいているのだ。道端で出会う村人たちは鮮やかな民族衣装を普段着として身にまとっている。畑を耕す老人の深い皺が刻まれた顔、井戸端で談笑する女性たちの柔らかな笑い声。すべてが本物で、彼らの日常の営みそのものがこの土地の風景を形づくっている。彼らの生活に触れさせてもらっているという謙虚な気持ちが自然と湧き上がってきた。

    この地方を旅するなら、少なくとも2、3日は見ておきたいところだ。バイア・マーレや少し北にあるシゲトゥ・マルマツィエイといった町に宿を取り、そこを拠点に日帰りで村々を巡るのが効率的だろう。ペンションと呼ばれる家族経営の宿に泊まれば、温かみのある家庭料理を味わい、地元の人々と触れ合う機会にも恵まれる。旅を計画する際は移動時間に余裕を持つことが肝心だ。道路は決して広くなく、未舗装の箇所も多い。しかし、その不便さこそがマラムレシュの魅力を守ってきたとも言える。せかせかした旅はここには似合わない。窓を大きく開け、ゆったりと流れる時間を体全体で感じ取る。それこそがマラムレシュを訪れる正しい姿勢だ。

    天を目指す尖塔、シュルデシュティの木造教会との対面

    いくつもの丘を越え、小さな村々を通り過ぎて、ついに僕はシュルデシュティ村へと辿り着いた。想像していたよりもずっと小規模で、静けさが漂う集落だった。石畳の細い道が緩やかな坂を描き、その両側には質素ながら丁寧に手入れされた家々がずらりと並んでいる。村の人々は、僕のような見慣れない旅人を温かなまなざしで迎えてくれ、その視線には警戒や好奇心よりも、穏やかで包み込むような優しさを感じた。

    そして、その景色は村のどこからでも捉えられた。緑豊かな丘の頂に、一本の巨大な槍のように天空へと伸びる教会の尖塔がそびえ立っていた。写真で見ていたよりもはるかに高く、威厳に満ちている。僕は車を村の広場に停め、まるで何かに引き寄せられるように、その尖塔に向かって歩き出した。

    教会の建つ丘へ近づくにつれて、その全貌が徐々に明らかになった。シュルデシュティの木造教会は、想像を超えるほど細長く、絶妙なプロポーションを誇っていた。教会本体から伸びる尖塔の高さは54メートルにも及び、全体の高さは72メートルに達する。これはヨーロッパに現存する木造教会の中でも屈指の高さだという。しかし、その威圧感はまったくなく、むしろ大地から空へと伸びる植物のような生命力と、切実な祈りを感じさせた。

    教会の周囲は古い墓地となっている。苔むした石の十字架がいくつも並び、それぞれにこの村で生まれ生き、そして旅立った人々の物語が刻まれている。風が墓石の間を抜け、そばに咲く野の花をそっと揺らす。僕はしばらくその静かな場所に立ち尽くし、教会とその周囲の静謐な空間を見つめていた。この教会が単なる建物ではなく、長い年月をかけて村人たちの信仰の中心として、生と死を見守り続けてきた場所なのだと深く実感した。

    この教会は、他の8つのマラムレシュ地方の木造教会群とともに、ユネスコの世界遺産に指定されている。1766年に建てられ、その卓越した建築技術も広く知られている。特筆すべきは、この巨大な建築物に一切金属釘が使われていない点だ。すべての部材はオークやモミの木から切り出され、精緻なほぞ継ぎや木組みによってまるでパズルのように組み合わされている。格闘技で人体の構造や力の流れを学ぶ自分にとって、その建築技術は驚異に値した。外部から加わる力を見事に受け流し、分散させる構造は、まさに柔よく剛を制す武術の極意を思わせる。何世紀にも渡る風雨や地震に耐えてきたその姿は、人間の知恵と自然素材への深い理解が生み出した奇跡の結晶と言っていいだろう。

    教会の入り口には鍵がかかっていた。観光地のように常に開放されているわけではないらしい。途方に暮れていると、近くで畑仕事をしていたおばあさんがにこやかに手招きしてくれた。ルーマニア語は分からなかったが、身振りで「あの家に鍵がある」と教えてくれた。指し示された小さな家を訪れると管理人の女性が現れ、大きな鉄の鍵を手に教会まで案内してくれた。入場料はわずかで、日本円にして数百円ほどだった。この料金は貴重な文化遺産の維持に充てられているのだろう。管理人との短いやりとりも、マラムレシュならではの温かい思い出となった。もし訪れて鍵が閉まっていたら、慌てずに周囲の家に声をかけてみてほしい。きっと誰かが親切に案内してくれるはずだ。

    祈りが沁みこむ静謐な内部へ

    重厚な木製の扉が軋む音を立てて開かれると、ひんやりとした濃密な空気が外へと流れ出てきた。何百年もの間、祈りを閉じ込めてきたかのような気配と、古木の香りが混ざり合った独特の匂いが漂う。僕は一歩、また一歩と暗い内部へと足を踏み入れた。

    外の明るさとは打って変わって、内部は荘厳な静寂と闇に包まれていた。慣れてくると、壁や天井が色褪せたフレスコ画でびっしりと覆われているのが見えてきた。小窓から差し込むか細い光の筋が、まるでスポットライトのように壁画の一部を照らし出し、その姿を幻想的に浮かび上がらせていた。派手さはなく、むしろ素朴でやや未熟さも感じさせる絵だったが、描いた人々の強い信仰心がひしひしと伝わってくる。

    描かれているのは聖書の物語の数々だ。「最後の審判」では、天国へ導かれる者と地獄の業火に焼かれる者が対比的に描かれている。表現は極めて直接的で、見る者の心に強く響き渡る。文字を読むことができなかった当時の村人にとって、この壁画は聖書そのものであり、神の教えを学ぶ唯一の教科書でもあったのだろう。僕はひとつひとつの場面を食い入るように眺めた。そこには恐怖や希望、喜びや悲しみといった人間の根源的な感情が鮮やかに描き出されていた。

    教会の内部は、身廊(ナオス)と内陣(アルタル)の二つの空間に分かれている。女性は身廊までしか入れず、男性だけが内陣に入ることが許されている古い慣習が今も残っている。僕が訪れた際は他に人がおらず、管理人の許可を得て内陣まで入ることができた。そこはより一層神聖な空気に包まれ、豪華に装飾されたイコノスタシス(聖障)が祭壇を彩っていた。黄金の背景に描かれた聖人たちの厳しいながらも慈愛に満ちた眼差しに見つめられると、自然と背筋が伸びるような気持ちになった。

    床の木材は数えきれない足跡で擦り減り、滑らかな表面になっている。壁の隅には煤で黒ずんだ跡もあった。かつてはろうそくの炎だけがこの暗がりを照らしていた時代があったのだ。その揺らめく灯火の中で村人は何を祈ったのだろうか。家族の健康や豊穣、そして死後の魂の安らぎ。彼らのささやかでありながら切実な祈りは、今も教会の木の壁や柱の一つひとつに深く染み込んでいるように思えた。

    もちろん、この神聖な空間での撮影には細心の注意が求められる。フラッシュの使用は禁止されており、壁画の顔料を傷めてしまうからだ。そもそも、この場所の空気を写真に収めようとすること自体が、どこか無粋に感じられた。ファインダーを覗くよりも、自分の目で見て、肌で感じ、その感動を心に刻むことの方がずっと大切だ。僕はカメラをバッグにしまい、静かにその場に佇んだ。試合前の精神統一とは違う、もっと深く穏やかな心の静寂がゆっくりと僕を包み込んだ。

    シュルデシュティだけではない、マラムレシュの木造教会群

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    シュルデシュティの木造教会がもたらしてくれた感動は計り知れない。しかし、マラムレシュの魅力はここだけにとどまらない。この地域には、それぞれ独自の個性と歴史を誇る木造教会が、まるで宝石のように点在している。シュルデシュティを訪れた際には、ぜひ足を延ばして他の教会も巡ることを強くおすすめしたい。

    シュルデシュティから車でほど近い場所に位置するのが、ブルサナの木造教会だ。ここはより大規模な修道院の敷地内にあり、シュルデシュティとは異なる華やかさと活気が感じられる。教会自体は比較的新しく建てられているが、伝統的なマラムレシュ様式を忠実に守っており、その精巧な木組みや彫刻の美しさは圧巻だ。周囲には尼僧たちの生活空間や美しい庭園が広がり、まるでおとぎ話の世界に迷い込んだかのような気分にさせてくれる。

    さらに南へ進むと、デセシュティの木造教会にたどり着く。ここの見どころは、内部に残るフレスコ画の保存状態が非常に良好なことだ。特に「最後の審判」の描写は鮮やかで、その迫力に圧倒される。シュルデシュティの壁画が長い時を経て静かな美しさを帯びているのに対し、デセシュティの壁画は当時の色彩を鮮明に今に伝える、生き生きとした力強さを感じさせる。両者を比べることで、この地域の芸術の深みを一層実感できるだろう。

    また、マラムレシュで最も古い木造教会のひとつとされるのがイエウドの教会である。丘の上に静かに佇むその姿は、素朴ながらも力強く、長い歴史の重みを感じさせる。内部で発見された「イエウド写本」は、ルーマニア語で書かれた最古級の文献のひとつとされ、この教会が文化的に非常に重要であったことを示している。訪れる人が少なく、静寂のなかでゆっくりと歴史を味わいたい人には、特におすすめの場所だ。

    これらの教会を効率よく巡るには、やはりレンタカーが最も便利だ。公共交通は便数が限られており、村同士の移動はかなり困難になる。一日あれば、滞在拠点の街から出発して3〜4か所の個性的な教会をゆっくり巡ることが可能だ。入場料はいずれも数百円程度で、鍵を開けるために管理者を探すという、少し冒険心をくすぐる体験も共通している。

    もし運転に自信がなかったり、地元の人々とより深く交流したい場合は、現地ツアーを利用するのも良い選択肢だ。バイア・マーレなどの街には、マラムレシュの教会巡りを専門に扱うツアー会社が複数存在する。経験豊富なガイドが、それぞれの教会の歴史や見どころを詳しく解説してくれるだけでなく、ガイドブックに載っていない隠れたスポットや美味しいレストランにも案内してくれるだろう。言葉の壁を気にせず、この土地の文化にじっくり浸りたいなら、ツアー参加を検討する価値は十分にある。

    どの教会を訪れても共通して言えるのは、急がず一つひとつの教会と丁寧に向き合う時間を持つことだ。それぞれの教会には独自の物語が宿っている。尖塔の形状、屋根の勾配、壁画のタッチ、そしてそこに漂う空気感。五感を総動員してその違いを感じ取ってほしい。それは単なるスタンプラリー的な観光ではなく、マラムレシュの土地の魂の多様性に触れる、深い学びの旅となるはずだ。

    マラムレシュの暮らしに触れる旅のポイント

    マラムレシュ地方の旅をより深く、快適なものにするために、いくつか知っておくと役立つポイントがある。旅の準備や現地での過ごし方に関するささやかなヒントだ。

    まず服装について。この地を巡る際には、歩きやすい靴が不可欠だ。村の道は石畳や未舗装の箇所が多く、教会は小高い丘の上に建っていることも少なくない。スニーカーやトレッキングシューズなど、しっかり足を支えてくれる靴を選びたい。また、教会は神聖な祈りの場であることを忘れてはならない。特に夏場はラフな格好になりがちだが、タンクトップやショートパンツなど過度に肌を露出する服装は避けるのが礼儀だ。最低でも肩と膝が隠れる服装を心がけると良い。薄手のカーディガンやストールを一枚持っていれば、温度調整に便利で必要なときにさっと羽織ることができる。

    次に食事に関して。マラムレシュは、ルーマニアの中でも特に食文化が豊かな地域として知られている。せっかく訪れたなら、ぜひ伝統的な家庭料理を味わいたい。代表的な料理が「マンマリーガ」。トウモロコシ粉を練って作る、ポレンタに似た素朴な料理で、サワークリームやチーズ、肉料理などとともにいただくのが一般的だ。また「チョルバ」と呼ばれる、少し酸味のある具だくさんのスープも絶品である。特に肉団子入りの「チョルバ・デ・ペリショアレ」は、旅の疲れをやさしく癒してくれる味だ。これらの料理は街のレストランでも楽しめるが、もしペンションに泊まる機会があれば、ぜひそこの家庭料理を味わってほしい。現地のお母さんたちが心を込めて作る料理は、どんな高級店よりも心に残る最高の体験になるだろう。

    宿泊先としては、先に触れた「ペンシウネ(Pensiune)」と呼ばれる家族経営の民宿が断然おすすめだ。近代的なホテルとは異なり、アットホームな雰囲気が魅力で、まるでルーマニアの親戚の家に招かれたかのように温かく迎えられる。部屋は清潔で快適なことが多く、料金も比較的手頃だ。主要な予約サイトで簡単に見つけられるので、いくつか比較しながら自分に合った宿を選ぶのも楽しい。オーナー家族との交流は、この地域の文化や生活を理解するうえで最高の体験となるに違いない。

    最後に、この地域を旅する際の心構えについて。マラムレシュは観光地である以前に、住民が静かに暮らす生活の場であることを忘れてはならない。私たち旅行者は、その日常にお邪魔させてもらっているという謙虚な気持ちを持ち続けたい。村を歩く際は、住民のプライバシーに配慮し、無断で家屋や個人を撮影することは控えるべきだ。目が合ったら笑顔で「ブナ・ジワ(こんにちは)」と挨拶を交わすだけでも、地元の人々との距離がぐっと縮まる。彼らの文化や信仰に敬意を払い、日常の営みを乱さないよう心がけることが、この美しい「生きた博物館」を未来に繋いでいくために、私たち旅行者ができる最も重要なことなのだ。

    木の文化と祈りが刻む、心の静寂

    シュルデシュティの木造教会の前に広がる墓地で、僕は夕焼けの空を見つめていた。茜色に染まった空を背に、教会の尖塔が黒い影となり、静かに天へと伸びている。一日中、マラムレシュの村々を巡り、いくつもの木造教会を訪れた。そのすべてが美しく、心に深く刻まれたが、やはり最初に訪れたシュルデシュティの、空へと伸びる姿だけは忘れがたい印象を残した。

    僕の旅はいつも新鮮な刺激で満たされている。格闘技の練習は肉体に痛みをもたらし、スラム街での取材は精神を消耗させる。混沌とした喧騒の中で、アドレナリンが溢れ出す感覚を味わいながら生きている実感を得るのだ。しかし、ここマラムレシュで過ごした時間はまったく異なっていた。ここには、僕が普段の生活で求めるような刺激は一切存在しない。あるのは、圧倒的な静寂、ゆったりと流れる時間、そして何世紀にもわたり伝えられてきた人々の純朴な祈りだけだ。

    シュルデシュティの教会内部、あのほの暗い空間で感じた静けさを思い返す。それは単に物静かなだけの空気ではなかった。何百年にも渡る祈りが重なり合い、熟成されたかのような、深くて重厚な静寂だった。その中に身を置くと、普段は意識の隅に追いやっている自分の内面と否応なく向き合わされる。自分は何を望み、何を信じ、どこへ向かおうとしているのか。答えの見えない問いが次々と浮かび上がり、消えていった。

    格闘技は、自分の肉体と精神の限界を知るための手段だ。しかし、この教会での時間は、その限界の先にあるもっと大きな存在について考えさせてくれた。人間の力を超越する何か。神であったり自然であったり、あるいは歴史という概念かもしれない。釘を使わずに巨大な教会を築いた人々の知恵や、色あせてもなお人の心を打つ壁画の信仰心、そのすべてはその偉大な存在への畏敬の念から生まれている。僕がリングの上で追い求める強さは、なんと個人的で小さなものなのだろうか。その思いがふと胸をよぎった。

    この旅は単なる観光地巡りではなかった。それは、ルーマニアという国の魂の最も深く、清らかな部分に触れる旅であり、同時に自分自身の魂を洗い清める旅でもあった。木のぬくもり、人々の笑顔、そして祈りの持つ静けさ。マラムレシュで得た経験は、すぐに次の試合で僕を強くするものではないかもしれない。しかし、これから続く人生という長い闘いを乗り越えるうえで、確かに僕を支え、温かく揺るぎない何かを与えてくれたと信じている。

    もしあなたが日々のざわめきに疲れ、本当に大切なものを見失いかけているなら、ルーマニアの北の果て、マラムレシュを訪れてみてほしい。そこにはスマートフォンの画面の中には決して映らない、本物の感動が待っている。天へと突き刺さるシュルデシュティの尖塔を見上げた時、きっとあなたも、僕が味わったような心の深いところで響く静かな震えを感じるだろう。

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    この記事を書いた人

    起業家でアマチュア格闘家の大です。世界中で格闘技の修行をしながら、バックパック一つで旅をしています。時には危険地帯にも足を踏み入れ、現地のリアルな文化や生活をレポートします。刺激的な旅の世界をお届けします!

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